神様は私を許さない
※サトミのトラウマ回です。中盤に虐待や暴力を連想する箇所があります。少し重い内容なので、苦手な方はご注意ください。
この娘は、壊れている───。
この世界に落とされた稀人達は女も男も、
呆れるほど善良でお人好し、騙されやすく弱い存在だった。
今まで平和な世界にどっぷり浸かり、楽観的にぼんやりと生きてきて、
何もしなければ己に悪意を向けられる訳がないという性善説を
心から信じて疑わない、危機感の無さが滑稽な民族だった。
やがて、こちらの悪意を知った時、心から信じられないという顔をして、
なぜそんな事をするのかと聞いてくる。
そして、どんな相手にも寄り添って話し合えば解決できると考えている。
実に哀れで無力な、脳天気な異世界人だったはずだ。
だから、この女も膨大な神聖力を持ちながら、稚拙な正義感を振りかざし、
綺麗事を並べているだけの偽善者で、実現不可能な理想主義を掲げる、
世間知らずの甘い思想の女だと思っていた。
そして、このか弱そうな見かけに───騙されていた。
なぜ、見抜けなかった。
リンドゥーテはフラフラと立ち上がり、
自分の大剣を抜いて向き合った。
どこか退廃的な黒い瞳は、冷笑しながらもピクリとも動かず、
鋭くこちらを見やる。
立ち上った自分に比べて、小さくて細い華奢な体は、
改めて見ると、まるで子供みたいな女だった。
しかし、恐れを忘れているのか、
命など惜しくないとでも思っているのか、
この娘の居直ったような、腹が決まった佇まいに、
本能が警鐘を鳴らす。
なんだ……コイツは。
この得体の知れない不気味さは、一体何なのだ。
他の稀人とは、明らかに違う。
さっき、父親を殺したと…言っていたか?…狂言なのか、真実なのか…
だが間違いなく、こいつは前の平和な世界で、一線を超えているのだ。
退 け
逃げろ
ニゲロ
コイツは ───────
「サトミ様‼︎ 」
「私は大丈夫。今侵入者に対処してる。
魔力を使うから一人は離れて待機、一人は応援を呼んで来て」
廊下の奥から、異変を感じた北の護衛騎士がこちらに走ってくるが、
それに対して、サトミは落ち着き払った口調で指示を飛ばす。
「は、はいっ!」
「了解しました!」
護衛騎士は指示通り、一人はその場に待機して大剣を抜いて臨戦態勢。
一人は走って応援を呼びに去った。
しっかりしろ…何を…何を恐れている。
こんな、私の三分の一位しかない体格の女に…
こんな小娘、力で押し切れば ──────
意を決して片足をにじり出し、サトミの首めがけて大剣を横に振り抜くが、
サトミは視線も動かさずに、姿勢を低くして素早く避ける。
空振りした大剣をもう一度振るうのも間に合わず、
長い黒髪が残像の様に上から下へ目の前を過ぎたのが見えた瞬間、
姿勢を低くしたまま、いつの間にか近付いて来ており、
片手持ちで下から長剣を振り上げ、リンドゥーテの胸部に浅く斬り付けた。
そして、上に振りきった長剣の向きを手首でくるりと変え、
今度は両手持ちで上体を起こし、体全体を使って長剣を振り下ろし、
胸から腰に深く斬り付けてくる。この間わずか1秒の出来事だった。
目にも留まらぬ早さと、見たことのない太刀筋に、
リンデゥーテは虚を突かれ呆然とするが、手の届く距離にいるサトミを見て、
咄嗟に大剣を手放してサトミの細い首に手を伸ばして掴み、
乱暴に壁に押し当て取り押さえた。
しかし、サトミは乱れた黒髪も構わず、動揺も身動ぎもせず、
無表情でリンドゥーテを見やる。
こんな、こんな片手でも力を入れてしまえば、折れそうな細い首。
そうだ、このまま捕まえて転移してしまえばいい。
転移直後に神殺しを使えば簡単ではないか。
所詮、非力な女だ。力では男に敵わん。
「触るな」
バシンッ‼︎
「…っ‼︎…」
なんだ⁉︎ 電流みたいなのに弾かれ…
くそ、拒絶の…防御魔法かっ‼︎
ピリピリとする手を振りながら引っ込め、後ろに下がり距離を取る。
「私、人殺しは嫌い。
でも、私の大切な人を傷つける奴は、許さない」
ユラリと傾けた顔に黒髪が掛かり、その髪の隙間から見える
焦点の合っていない憎悪に染まった黒い瞳。
「お母さんと弟達をこれ以上傷つけるなら──また、殺してやる」
こいつは、幻覚と現実の狭間で、最も恐れを抱いている相手、
父親への強烈な “憎悪” を俺に重ね合わせている。
普通の…状態ではない。
口惜しいが仕方ない…一旦、撤退をっ…
「逃さないよ」
再び姿勢を低くしたサトミは、リンドゥーテに体当たりするように、
躊躇なく長剣を下から鳩尾へ突き立てた。
「ガッ、ハッ‼︎……グアアアアッ‼︎」
「こんな所に転移魔石隠すんじゃないよ」
飲み込んで胃に隠し持っていた、転移魔石を長剣で砕かれ、
逃げる術を失ったリンドゥーテは、その場で前屈みに手と膝をつき、
満身創痍で咳込みながら口から血を吐いた。
「クソッ、このっ…ゲッホ…ゴッ、ハァッ…」
「ねえ、みんな、コイツの拘束お願いできる?」
意味のわからない事を呟いたと思った瞬間、
突然後ろの窓ガラスが派手に割れ、それを突き破ってきた植物の蔓が、
ズロズロと生きているかのように動き侵入してきた。
そして、ぐるぐると体に巻きつき、瞬く間に身動きが取れなくなる。
「…っ、……土、魔法⁉︎ 貴様っ、攻撃魔法が使えるのか?
何属性持っている⁉︎…ガハッ!」
「さあね。教えない」
ずっと平坦で抑揚のない口調で話すこの娘。
深層心理にある恐怖に触れさせて弱体化させるどころか…
まるで絶体絶命の危機に立たされた者が、命がけで最後の抵抗をするように、
この女は、極限まで感覚を研ぎ澄まし、特殊な集中状況に没入したのだ。
ただでさえ、こちらは魔力量の差で不利な上に、
自意識喪失の無敵状態になっているコイツに適うはずがない。
圧倒的な魔力の波動と、重厚な盾のような隙の無さ。
我々は選択を誤ったのだ。
神の力を持つ、この娘の逆鱗に触れてはならなかった───。
恐怖心でさえ…潜在能力に反転する、
この娘の強靭な精神力を甘く見ていたのだ。
ああ…
もう…レガリアには、帰れぬか…
国王陛下……申し訳、ありません。
「リンドゥーテ!てめぇっ‼︎」
トウジが転移してきて、サトミとリンドゥーテの間に入る。
サトミの肩が揺れて、瞳に意識が戻る。
同時に応援に呼ばれた騎士5名が駆けつけてくる。
「…って、捕まってるし。お前のがズタボロじゃん。
姫さんに負けてやんの。かっこわりー」
「ふん…何が聖女だ…化け物がっ、ガッ、ハァッ…」
「失礼な奴だな。姫さんは、化物じゃねーよ。
魔力だけじゃなく、剣術も規格外だっただろ?
まあ、俺は前に襲撃した時に姫さんの多属性も知ってたけど、
あえてお前らには報告しなかったんだけどな。
それが仇になったな、ザマーみやがれ」
「このっ、裏切り者がっ‼︎……これで終わると思うなっ‼︎」
「おーお、死に損なっても減らず口は変わらねぇな。
騒いだところで現行犯だし、捕虜は決定だぜ。おめでとさん」
応援で来た護衛騎士が “魔力封じ” をリンドゥーテの腕にはめて、
他の護衛騎士達も、しっかり巻きついて拘束している植物の蔓を
大剣でブツブツ切っている。
待機していた騎士はサトミに駆け寄り、彼女の様子を心配して声をかけるが、
サトミは終始ぼんやりしていた。
「サトミ様…大丈夫ですか?サトミ様?」
「うん…転移魔石は砕いたけど…アイツの左の衣嚢に、
神殺し魔石が入ってる…牢屋に入れる前に回収してくれる?」
「は、はいっ、了解しました」
「……………」
「姫さん…大丈夫か?おいっ」
「………う、ん…」
「目の焦点が合ってねぇぞ。幻覚を見せられたな?」
「……食堂に、行かない、と…」
「いや、何言ってんの。ダメだろ」
「なんで?」
「…長剣に血がついてるし、服にも返り血すげーぞ。
その格好のまま、厨房に行く気かよ?」
「……………」
「護衛騎士さん、上層部は今会議中だから、ステラ師団長を呼んできてくれ。
姫さんの様子が変なんだ」
「あ、ああ、分かった。その間サトミ様を頼む」
「おう、任せとけ。
姫さん、とりあえず部屋に戻ろう。な?」
「うん……」
「……………」
リンドゥーテは、護衛騎士達に連行されて行った。
割れたガラスや、植物の蔓の片付けで忙しく動き回っている騎士達を尻目に、
トウジは、ぼんやりしているサトミの背中を優しく押して私室に戻し、
バタンと静かにドアを閉めた。
* * * * * * *
ねえ、
いつまで追い詰めるの。
なぜ、私の心をグチャグチャにするの。
これは、罪を犯した報いなの。
どうして、忘れさせてくれないの──────。
世界を変えてしまうような、この膨大な魔力を、
なぜ私が手にしたのか、分かった気がする。
試されているんだ。私がここで、どうするか。
いつだって、そう。
“ あんた人を殺したことないだろ? ”
トウジさんのあの言葉に動揺したのは、その重みに耐えられなかったから。
あの時も、みんなの為だった。
私はいつも選択を迫られ、決断して実行する役目だった。
私がやらなくては───。
あの時だって、ああしなかったら、
お母さんや弟達を、毎日続く地獄から、
父親の暴力から守れなかった。
私達家族は、夜が怖かった。
毎日階段を上がって仕事から帰ってくるアイツの足音に怯えていた。
足音の強さや速度で、その日の機嫌が分かるくらい、
神経が研ぎ澄まされていた。
そして、子供の私たちを庇って、
いつもアザだらけになっていくお母さんの悲鳴をもう聞きたくなかった。
誰も助けてくれない…あんな生活、もう嫌だった。
だから─────階段から突き落としたの。
呆気なかった。
あんなに私達を痛めつけ、怯えさせ支配してきた
巨大な悪魔は、首の骨を折って即死した。
今思えば…父親も、きっと何か現実で辛いことがあったのだろう。
でも、その不満の吐口を───なぜ、私たち家族に向けたのか。
私たちじゃ贖えない、その力を
なぜ暴力ではなく、守る為に使わないのか。
それが、理解できなかった。
それが、許せなかった。
お母さんと弟達は、事故だと証言した。
そして、私に忘れるように何度も言い聞かせた。
実際、父親は随分酒を飲んでおり、酔って足を踏み外したのだろうと、
警察はあっさり事故として処理して、高額の保険金が下りた。
その後は、嘘のように平和になったのだ。
私に何度も事故だと言い聞かせる、お母さんと弟達の言葉で、
いつしか本当に事故だと、私自身も思い込んだ。
それを弓道サークルの練習場に行く途中で、フッと思い出したんだ。
そして、ここに落とされた。
これは、人の命を奪った私に命をもって罪を償えと─────
その戒めの転移だったのかもしれない。
実際私の召喚は、歓迎されたものではなかったし、
私など…そういう扱いをされて…当然なのだ。
正義感を振りかざして言い訳しているが、その心の中はドス黒いものだった。
私は、父を殺す時に計算していたのだ。
今現在は、随分警察や世間も家庭内の暴力や子供の虐待に対して、
理解を示し寛容になって対処してくれる様になったが、
私の小さな頃は、家族内の揉め事ごときに、大騒ぎするのは恥ずかしい事で、
血の繋がる家族なのだから、話し合えば分かり合えるという、
無責任な性善説がまかり通っており、非常に軽く見られていた。
そして、女は働き口すらろくに無く、夫から逃げて生きて行くのは、
経済的に困難で、特に子を育てている妻は逃げ場もなく、
諦めてその現実を受け入れるしかない。
誰も助けてくれないし頼れない。まさに生き地獄だった。
私たち子供がいなければ、お母さんはアイツから逃げられたのにと、
自分たちの存在さえ疎ましく、嫌悪するようになった。
そして、父親は成長した私を女として、汚らわしい目で見るようになった。
母が買い物で留守中に、私は一度父親の手に落ちそうになったが、
弟達が身を挺して助けてくれたのだ。
私を逃がそうと、自分より4倍もある父親の腕に噛み付いて、
払い落とされ殴られても蹴られても、私を逃す為に立ち向かって行った。
結果、弟達は酷い怪我を負ったのだ。
その私に対する父親の下劣な行いを聞いたお母さんは、
長年の度重なる暴力もあいまって、もう耐えられなかったのだろう。
私は、お母さんが覚悟を決めた目をして手に包丁を持ち、
帰宅して階段を上がってきているであろう父親に向かう姿を見て、
一瞬で何をしようとしているか理解し、頭の中で計算したのだ。
父親が死ぬのは構わないが、お母さんが逮捕されて罪人になるのは嫌だ。
お母さんが悪者になってしまう。テレビでも人殺しとして報道されてしまう。
そして、刑務所に送られて離れ離れになってしまう。
何より、大好きなお母さんを失ってしまうのは、嫌だと強く思った。
当時、私は小学6年生の12歳。
まだ未成年だから情状酌量があり、この家庭環境も同情される。
更に、この国では少年法により、保護観察か悪くて少年院送り。
刑事責任年齢に達していないから刑罰はない。
やり直せるチャンスは、私だったら、いくらでもある。
だから、私は実行した。
包丁を持ったお母さんを後ろから追い越し、玄関を走り出て、
アパートの階段を上り切る直前の父親の前に立ち塞がり、
両腕を力の限り前に出し、階段から突き落とした。
お母さんは小さく悲鳴を上げて、私を後ろから強く抱きしめた。
罪を償おうと警察に自首しようとした私にお母さんが、
「こんな男と一緒になったばっかりに、紗都美、こんな事させてゴメンね。
お母さんが悪いの、全部お母さんが悪いの」と謝って泣いてすがって、
弟達と共に、必死に私を引き留めたのだ。
そして、自責の念と強烈な憎悪を抱えて葛藤しながら、
私は普通の人間のフリして、ここまで生きてきた。
でも、現実は変わらない。
違う世界に来ても、
人一人の人生を奪った、人 殺 し なのだ。
どういう事情があろうが、犯 罪 者 なのだ。
それが、ずっと苦しかった。
いつも私の良心をギリギリと締め上げて、グラつかせる。
この私が聖女だなんて、なんて皮肉なんだと苦笑したが、
でも、私がここに落とされた理由を聞いた時、やっぱりと思った。
神様は私を許していない。
許さない────のだと。
* * * * * * *
「ねえ、君全然魔力ないんだね」
「は?」
「珍しいなー、こんなに何にもないの」
「……誰ですの?いきなり無礼ですわ」
「あれ?気にしてるの?
僕、魔力持ち苦手だから、嬉しかったのに」
目の前には7歳ぐらいの子供が立っていた、というかフワフワ浮いていた。
見たことのない、水色の髪に水色の瞳。髪はくるくるして天使のよう。
服は、ふわふわしたフリルが付いた白いシャツに、下は黒の半ズボン、
靴は黒の革の上等な物に見える。
浮いていなくて髪の色が水色でなければ、普通の子供に見えただろう。
「………………」
「あ、黙っちゃった。僕はね、デューリーン。朝露の精霊。
魔力って相性悪いと反発して、気分悪くなるし付き合いにくいんだよ。
特に水属性の僕は、影響受けやすくてさー」
「…朝露の精霊?」
「そう。こんなに魔力の反発ないの久しぶり~。
そういえば、王都の方に凄い神聖力持ちの子いるでしょ?
彼女のおかげで、僕元気になったんだ」
「その方は、稀人の聖女サトミ様ですわ」
「異世界人なんだ、へえ~。あ、ねえ、僕と友達になってよ」
「は?」
「ヴァニティーナ!誰だお前は、控えろ!その方はっ…」
「イケレス、大丈夫よ。精霊に話しかけられているだけ。
何もされていないわ」
「せ、精霊?」
「こんにちはー、彼は魔力あるね。ちょっと離れて欲しいなぁ。
君、ヴァニティーナっていうんだ~、ふ~ん」
「……………」
これは、どうしたらいいのかしら…
自然と繋がる精霊には、無礼を働いてはいけないと言われている。
もう少し熱心に勉強しておくのだったわ。
魔力なしの私には、精霊や妖精、魔物などは、関係のない世界の話だと
思っていたから、全然学ばなかったのよね。
ヴァニティーナは、王都を離れ、
自然豊かで静かな領地の別邸で大人しく過ごしていた。
そして、中庭の木の下で日光浴しながら本を読んでいたら、
この精霊に絡まれ、今まで縁の無かった者と出会ってしまったのだった。
* * * * * * *
『リンドゥーテが、戻らぬだと?』
「は、はい。あの…国王陛下、大変申し上げにくいのですが…
どうやら、ガレリアに捕らえられた、ようで…」
『あやつが、失敗したのか…信じられぬ。
やはり、あの稀人は一筋縄では行かぬか…』
「生きては、いるようです」
『そうか…まあ、いい。すぐに王子を送り込むから問題ない。
その時に救出すればいいだけの事だ』
「しかし、大将が捕虜になるのは少々不味いのでは?
こちらの情報と計画が知られる可能性が…」
『問題ない、あいつは口が堅い。
それより準備は整っているか、副師団長』
「は、はい、順調です」
『よかろう。ガレリアめ…待っていろ』




