「この人は私のもの。もう触らないで」――文化祭の喧騒の中、冷徹な先輩が元カノの前で僕を抱きしめた
大学の文化祭当日。
朝のキャンパスは、いつもの静けさとはまるで違っていた。
模擬店のテントが並び、焼きそばの匂い、ポップコーンの甘い香り、ステージのリハーサル音、学生たちの笑い声が混ざり合っている。
普段は講義へ向かう学生が行き交うだけの場所が、今日はまるで別世界のように賑やかだった。
そんな空気の中で、俺はひとり、正門前で立ち尽くしていた。
落ち着かない理由は簡単だ。
「藤崎くん、お待たせ」
その声が聞こえた瞬間、周囲の空気が変わった気がした。
振り返ると、如月先輩が立っていた。
白いブラウスに、淡い青のロングスカート。
文化祭だからか、いつもより少しだけラフな装いなのに、それでも誰よりも綺麗で、目を引く。
まるでこの文化祭の主役みたいな存在感だった。
そして――俺を見つけた瞬間だけ、その表情がふわりと緩む。
「藤崎くん、今日……一緒に回ってくれる?」
その言い方が妙に甘くて、胸の奥がじんわり熱くなる。
「もちろんです。先輩と回るって約束しましたし」
そう答えると、先輩はやわらかく微笑んだ。
「ええ。
……あなたと回りたかったの」
その一言だけで、胸が熱くなる。
文化祭を一緒に回る相手として、自分を選んでくれたことが嬉しかった。
二人でメインストリートを歩き始めると、周囲の視線が一斉にこちらへ向いた。
「え、如月先輩と藤崎くん……?」
「二人で文化祭回ってるの、初めて見た」
「てか距離近くない?」
ざわめきが広がる。
でも先輩は気にしていない。
むしろ当然のように俺の腕へそっと手を添え、そのまま自然に距離を詰めてくる。
「藤崎くん。
今日は、あなたを“彼氏”として連れて歩くつもりよ」
耳元で囁かれ、心臓が跳ねた。
「か、彼氏って……」
思わず声が上ずると、先輩は少しだけ首を傾げて俺を見つめた。
その距離は、触れれば届くほど近い。
「違うの?」
まっすぐな視線に言葉を失う。
先輩はそのまま、やわらかく続けた。
「私は、そう思ってるけれど」
その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなる。
逃げる理由なんてなかった。
「……俺も、そう思ってます」
そう答えると、先輩は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。よかった」
そしてそのまま、俺の腕にぎゅっと抱きついてくる。
周囲のざわめきはさらに大きくなった気がしたけれど、不思議と嫌ではなかった。
先輩が隣にいてくれることのほうが、ずっと大事だった。
「藤崎くん、あれ見て。
クレープ屋さん、すごい行列ね」
先輩が指差した先には、学生たちがやっているクレープの模擬店があった。
甘い匂いが風に乗って漂ってくる。
「食べたいんですか?」
そう聞くと、先輩は少しだけ困ったように笑った。
「……うん。
でも、並ぶのはちょっと大変そう」
その表情が、普段の完璧美人とは少し違って見えて、妙に可愛かった。
胸の奥がくすぐったくなる。
「じゃあ、俺が並んできますよ」
「えっ……でも……」
「先輩は日陰で待っててください。
俺、すぐ買ってきますから」
そう言うと、先輩は一瞬だけ目を見開き、すぐにやわらかく微笑んだ。
「……ありがとう。
藤崎くんって、本当に優しいわね」
その一言だけで、並ぶ苦労なんてどうでもよくなった。
三十分後。
ようやくクレープを二つ手に入れて、先輩のもとへ戻る。
「先輩、お待たせしました」
「藤崎くん……!」
先輩は嬉しそうに駆け寄ってきて、俺が差し出したクレープを両手で大事そうに受け取った。
「ありがとう。
こんなに並んでくれたの?」
「まあ……先輩が食べたいって言うなら」
少し照れながらそう答えると、先輩はクレープを見つめ、それから俺の顔を見て、少しだけ頬を赤くした。
「……嬉しい」
その一言が、やけに胸に響く。
「藤崎くん。
一口、食べさせてくれる?」
「え?」
「ほら、あーんって」
周囲の視線がまた一斉にこちらへ向く。
でも先輩は気にしていない。
むしろ、俺の反応を楽しんでいるようだった。
「……先輩、恥ずかしいですよ」
そう言うと、先輩は少しもひるまずに微笑む。
「私は恥ずかしくないわ。
だって、あなたは私の“彼氏”なんだから」
その言葉に、また胸が跳ねた。
何度言われても慣れない。
でも、そのたびに嬉しくなる。
「……じゃあ、どうぞ」
俺がクレープを差し出すと、先輩は嬉しそうに微笑み、そっと口をつけた。
「……甘い。
藤崎くんが買ってくれたから、余計に美味しいわ」
その言葉は、クレープよりずっと甘かった。
しばらく歩いたあと、先輩がふと立ち止まった。
「藤崎くん」
「はい」
「今日ね……
あなたと文化祭を回れるの、ずっと楽しみにしてたの」
そう言いながら、先輩は俺の手を取る。
そしてそのまま、ためらいなく指を絡めてきた。
恋人つなぎ。
その自然さに、胸がまた熱くなる。
「あなたと一緒にいると、
周りの視線も、噂も、全部どうでもよくなるの。
私が見ているのは……あなた一人だけだから」
その言葉は、まっすぐ胸の奥へ届いた。
周囲のざわめきも、好奇の視線も、今この瞬間だけは遠く感じる。
先輩の瞳の中に映っているのが自分だけだと思うと、それだけで満たされる気がした。
「……俺も、先輩と一緒にいられて嬉しいです」
そう答えると、先輩はやわらかく笑った。
「ふふ。
じゃあ、もっと一緒にいましょう。
文化祭はまだ始まったばかりよ」
先輩は俺の手を引き、次の模擬店へと歩き出す。
その背中は、誰よりも綺麗で、誰よりも頼もしい。
そして――誰よりも、まっすぐに俺を求めてくれていた。
賑やかな文化祭の喧騒の中で、手のぬくもりだけがやけにはっきりと感じられる。
人であふれるキャンパスなのに、不思議と俺の世界は先輩を中心に回っていた。
今日という一日が、きっと特別な思い出になる。
そう思えるくらい、先輩の隣はあたたかくて、甘くて、幸せだった。
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