冷徹先輩の甘やかしが限界突破。俺、高級マンションで囲い込まれそうです
総集編もあるので、テンポよく読みたいかたはそちらがおすすめです。
講義が終わるのとほとんど同時に、ポケットの中でスマホが小さく震えた。
何気なく取り出して画面を見る。そこに表示されていた名前を認識した瞬間、胸の奥がふっと熱を帯びた。
『藤崎くん、今どこ?
迎えに行くわ』
たったそれだけの短いメッセージ。
けれど、その一文には不思議なくらいの温度があった。
事務的でもなく、気まぐれでもなく、まっすぐに自分へ向けられた優しさが滲んでいて、見つめているだけで心の奥にじんわりとしたぬくもりが広がっていく。
如月先輩。
その名前を心の中でそっと呼ぶだけで、今日一日の重たさが少しだけ軽くなる気がした。
教室を出ると、夕方のやわらかな光が廊下に差し込んでいた。
窓から伸びる淡い陽射しの中、廊下の端にひときわ目を引く姿がある。
白いブラウスに、淡いベージュのスカート。派手ではないのに、むしろ控えめな色合いだからこそ、その人の整った美しさが際立って見えた。
柔らかな光をまとって立つその姿は、まるで一枚の絵のようで、通り過ぎる学生たちが思わず振り返ってしまうのも無理はなかった。
その完璧美人が、俺を見つけた瞬間だけ、ふっと表情を和らげる。
さっきまで周囲に向けていた凛とした空気が、俺に向けられた途端にやさしくほどけるのがわかった。
「藤崎くん」
名前を呼ばれただけなのに、胸が大きく跳ねた。
たった一言で、こんなにも心を揺らされる相手がいることに、自分でも少し驚く。
「先輩、迎えに来てくれたんですか」
そう言うと、先輩はごく自然に微笑んだ。
「ええ。……あなたと一緒に帰りたかったの」
その言い方が、妙に甘かった。
さらりと告げられたはずなのに、耳に残る響きだけがやけにやわらかくて、胸の奥をくすぐる。
周囲の視線がこちらに集まっているのを感じた。けれど先輩は、そんなものを少しも気にしていないようだった。
むしろ当然のように俺の腕へそっと手を添え、そのまま自然に距離を詰めてくる。
触れられたところから熱が広がっていく気がして、思わず息を呑んだ。
「今日は……離したくない気分なの」
耳元で囁かれたその声は、甘く、静かで、逃げ場がなかった。
心臓がどくんと大きく跳ねる。
こんなふうに近くで、こんなふうに求められることに、まだ慣れない。
そのまま二人でキャンパスの中庭へ出る。
外に出ると、少し強めの風が吹き抜けて、木々の枝葉を揺らした。
ざわ、と葉擦れの音が広がり、地面に落ちる木漏れ日の影がゆらゆらと形を変える。
夕方特有の少し冷たい空気の中で、先輩の体温だけがやけにはっきりと感じられた。
先輩は俺の腕を抱いたまま、ゆっくりと歩く。
その歩幅はきちんと俺に合わせられていて、急かすことも、置いていくこともない。
肩が触れそうなほど近い距離。
その自然さが、かえって胸を締めつけた。
まるで“恋人”という言葉が、そのまま形になって隣を歩いているみたいだった。
「藤崎くん」
「はい」
呼ばれるたびに、心がそちらへ引き寄せられる。
「今日……辛かったでしょう?」
先輩はそう言って、俺の顔を覗き込むように見上げた。
その視線はやさしいのに、驚くほどまっすぐで、隠していたものまで見透かされてしまいそうだった。
「リナさんのことも、神谷くんのことも。
あなたは優しいから、全部自分の中に抱え込んでしまう」
図星だった。
何も言い返せない。
平気なふりをしていたつもりだったのに、先輩には最初から全部わかっていたのかもしれない。
「……まあ、少しだけ」
そう答えると、先輩は小さく首を振った。
「少しじゃないわ」
その声はやわらかいのに、断言するような強さがあった。
そして先輩は俺の手を取ると、ためらいなく指を絡めてきた。
恋人つなぎ。
あまりにも自然な仕草で、けれどその親密さに胸が熱くなる。
「あなたの表情を見ればわかるもの。
私は、あなたの味方よ。
誰が何を言っても、ね」
その言葉は、昨日聞いたどんな慰めよりも深く胸に落ちてきた。
ただ励ますだけじゃない。
何があってもこちら側に立つと、そう言ってくれている。
その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
中庭のベンチに腰を下ろすと、先輩は迷いなく俺の隣にぴたりと寄り添った。
肩が触れ合う距離。
少し意識すれば、互いの呼吸さえ感じられそうな近さだった。
「藤崎くん」
「はい」
「……手、貸して」
言われるまま差し出した手を、先輩は両手でそっと包み込んだ。
あたたかい。
やわらかい。
そのぬくもりは、冷えかけていた心の奥までじんわりと染み込んでくるようだった。
しかも、その手には少しも離す気配がない。
「あなたの手、好きなの。
大きくて、優しくて……落ち着く」
そんなことを、照れもなく真顔で言われたら、平静でいられるわけがない。
耳の奥まで熱くなるのが自分でもわかった。
「先輩……」
「なに?」
「そんなに見つめられると……」
言い切る前に、先輩は少しだけ首を傾げた。
その仕草がまた綺麗で、息を呑む。
「困る?」
まっすぐに目を見つめられる。
触れれば届くほど近い距離で、逃げることも逸らすことも許されないような視線だった。
「私は困らないわ。
むしろ……もっと見てほしい」
甘く、やわらかなその声は、耳から入って胸の奥へ直接触れてくるみたいだった。
鼓動が速くなる。
先輩の前では、自分の感情が隠しきれない。
「藤崎くん」
「はい」
「今日ね……ずっと考えてたの」
「何をですか?」
問い返すと、先輩は少しも迷わず答えた。
「あなたのこと」
即答だった。
その一言だけで、胸の奥が強く揺れる。
「あなたが御曹司だって知って、
周りの人が態度を変えるのが嫌だった。
あなた自身じゃなくて、“藤崎グループの息子”として見られるのが」
先輩は俺の手を握り直し、絡めた指に少しだけ力を込めた。
そのぬくもりが、言葉の真剣さをいっそう際立たせる。
「でもね、私は違うの。
あなたが御曹司じゃなくても、
外見が変わらなくても、
昨日のままでも、
私はあなたを選んでいた」
その言葉は、まっすぐに胸の奥へ刺さった。
ずっと言葉にできなかった不安。
誰にも見せられなかった弱さ。
それらを先輩は、何もかもわかったうえで受け止めてくれている。
「……先輩」
やっとのことで名前を呼ぶと、先輩はやさしく微笑んだ。
「だから、あなたも覚えておいて。
私は“藤崎グループの御曹司”じゃなくて、
“藤崎恒太”が好きなの」
その瞬間、胸の奥が熱く満たされていくのを感じた。
張りつめていたものが、音もなくほどけていく。
苦しさも、不安も、寂しさも、先輩の言葉に溶かされていくようだった。
俺はゆっくり息を吸い込み、先輩の手を握り返した。
「……俺も、先輩が好きです」
言葉にした瞬間、先輩は少しだけ目を見開いた。
けれど次の瞬間には、花がほころぶみたいにやわらかく微笑む。
「知ってるわ」
「え?」
思わず間の抜けた声が出る。
すると先輩は、くすりと笑って言った。
「だって、あなた……
私を見るとき、すごく優しい目をするもの」
その言葉に、また心臓が大きく跳ねた。
そんなふうに見られていたのかと思うと、照れくさくてたまらない。
けれど同時に、どうしようもなく嬉しかった。
先輩はそっと俺の肩に頭を預けた。
その重みは軽いのに、胸には確かな幸福として残る。
「藤崎くん。
今日は、ずっと一緒にいてもいい?」
その声は甘く、少しだけ寂しげで、でも確かに俺を求めていた。
必要とされている。
その実感が、胸の奥を静かに満たしていく。
「……はい。
俺も、先輩といたいです」
そう答えると、先輩は本当に嬉しそうに微笑んで、俺の腕にぎゅっと抱きついた。
「よかった。
じゃあ……今日はあなたを独り占めするわね」
その言葉に、胸がまた熱くなる。
独り占め。
そんなふうに言われることが、こんなにも幸せだなんて思わなかった。
風が吹き、木々が揺れる。
遠くではキャンパスのざわめきがかすかに聞こえていた。
学生たちの話し声も、足音も、日常の気配として確かにそこにある。
それなのに――この瞬間だけは、不思議なくらい静かだった。
世界の音が遠のいて、
ただ隣にいる先輩のぬくもりと、
絡めた指先の感触と、
胸の奥で鳴り続ける鼓動だけが、やけにはっきりと感じられる。
まるでこの世界に、俺と先輩しかいないみたいに。
そう思ってしまうほど、この時間はやさしく、甘く、かけがえのないものだった。
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