「たぶん、思ってたよりずっと好き」って澪に言われた夜、もう付き合ってるはずなのに改めて告白みたいになって、空気が少しずつ甘くなっていきました
「……あのね」
澪の声は、 さっきまでより少しだけ小さかった。
でも、 聞き取れないほどではなくて、 むしろ静かな部屋の中ではその一言だけがやけにはっきり響いた。
俺は何も言わずに、 澪の次の言葉を待つ。
急がしたくなかった。
たぶん今の澪は、 自分の中にある気持ちをひとつずつ確かめながら、 ちゃんと言葉にしようとしている。
そんな気がした。
澪は膝の上で指先をそっと重ねて、 少しだけ視線を落とした。
温泉上がりのやわらかい空気も、 豪華な夕食の余韻も、 お茶の香りも、 全部そのまま部屋に残っているのに、 今だけはそこに別の熱が混じっているみたいだった。
「今日ね」
澪がゆっくり言う。
「すごくいろんなことがあったでしょう」
「うん」
「楽しいこともあったし、 びっくりすることもあったし、 ちょっと怖いって思うこともあった」
その言葉に、 俺は静かにうなずく。
本当にその通りだった。 朝から今まで、 一日とは思えないくらい濃かった。
「たぶん、 普通だったら疲れて、 最後のほうは何も考えられなくなっててもおかしくないのに」
澪はそこで少しだけ笑った。
「今の私、 ちゃんといろいろ考えちゃってるの」
「なにを?」
そう聞くと、 澪は少しだけ困ったように、 でもやわらかく笑う。
「あなたのこと」
その答えがまっすぐすぎて、 胸の奥が静かに熱くなる。
「俺?」
「うん」
澪はそう言って、 今度はちゃんと俺を見た。
「今日、 何回も思ったの。 ああ、 私この人と一緒でよかったなって」
その声は落ち着いていた。
照れていないわけじゃない。 頬は少し赤いし、 視線もほんの少しだけ揺れている。
それでも、 逃げずに言おうとしてくれているのがわかった。
「新幹線の中でも、 軽井沢でも、 あのあとも、 温泉でも、 ご飯のときも」
澪はひとつずつ、 思い出を指でなぞるみたいに言葉を重ねていく。
「ずっと、 あなたが隣にいてくれたでしょう」
「いるのは当たり前だよ」
そう返すと、 澪は少しだけ首を横に振った。
「その当たり前が、 すごくうれしかったの」
その一言が、 思っていた以上に深く胸に落ちる。
俺は何か言おうとして、 でもうまく言葉が見つからなかった。
澪はそんな俺を見て、 少しだけ安心したように息をついた。
「変な言い方かもしれないけど」
「うん」
「私たち、 もう付き合ってるでしょう」
「そうだな」
「だから、 今さらこんなこと言うのも変かなって思ったの」
澪はそう言って、 ほんの少しだけ唇を引き結ぶ。
「でも、 今日一日ずっと一緒にいて、 なんか……」
そこで言葉が止まる。
俺は急かさずに待つ。
澪は一度だけ視線を落として、 それからまた俺を見る。
「前より、 もっと好きかもしれない」
その瞬間、 部屋の空気が静かに変わった気がした。
大きな音がしたわけでもない。 何かが劇的に動いたわけでもない。
ただ、 澪のその一言だけで、 今までやわらかかった空気が、 もっと甘く、 もっと近いものに変わっていくのがわかった。
「……かも?」
やっとそれだけ返すと、 澪は少しだけむっとした顔になる。
「そこ?」
「いや、 うれしくて」
「なら素直に喜んで」
「十分喜んでる」
そう言うと、 澪は照れたように視線をそらした。
「だって、 恥ずかしいんだから」
「そりゃそうだよな」
「そうよ」
でもその声は、 怒っているというより、 照れすぎて困っているみたいだった。
しばらく、 どちらもすぐには次の言葉を出せなかった。
沈黙が落ちても気まずくない。 むしろ、 今はその静けさごと大事にしたい気がした。
澪はソファの端に座ったまま、 指先でカップの縁をそっとなぞっている。
その仕草が落ち着かない気持ちをそのまま表していて、 見ているだけで愛しくなる。
「澪」
名前を呼ぶと、 澪がゆっくり顔を上げる。
「俺も、 今日ずっと思ってた」
「……なにを?」
「やっぱり澪が好きだなって」
そう言った瞬間、 澪のまつげがわずかに揺れた。
「やっぱりって何」
「何回確認してもそう思うってこと」
「それ、 ずるい言い方」
「本音だよ」
澪は少しだけ黙って、 それから小さく笑った。
「……うれしい」
その笑い方があまりにもやわらかくて、 胸の奥がきゅっとなる。
「今日、 いろいろあったけど」
俺はゆっくり言葉を選ぶ。
「澪がいてくれたから、 ちゃんとここまで来れた気がする」
「それは私も同じ」
「うん」
「だから、 たぶん」
澪はそこで少しだけ身を乗り出した。
「前よりもっと好きっていうの、 私だけじゃないでしょう」
その問いかけに、 思わず笑ってしまう。
「そうかも」
「またかもって言った」
「じゃあ訂正する」
俺も少しだけ澪のほうへ近づく。
「前よりもっと好きだよ」
今度こそはっきり言うと、 澪は一瞬だけ息を止めたみたいだった。
それから、 頬を赤くしたまま、 でもうれしそうに笑う。
「……それならいい」
距離が、 さっきより少し近い。
手を伸ばせば触れられるくらいの距離なのに、 今はそのわずかな間が妙に意識される。
澪は視線をそらしたり戻したりしながら、 落ち着かない様子で髪を耳にかけた。
「なんか、 改めて言われると変な感じ」
「告白みたいだった?」
「ちょっと」
「もう付き合ってるのに?」
「そういう問題じゃないの」
澪はそう言って、 少しだけ唇を尖らせる。
「だって、 付き合ってるからって、 何回好きって言われても平気になるわけじゃないし」
「澪は平気にならないんだ」
「ならない」
きっぱり言い切ってから、 澪は少しだけ声を落とした。
「むしろ、 前よりだめかも」
「だめ?」
「どんどん弱くなる」
その言い方が可愛すぎて、 思わず笑いそうになる。
「笑わないで」
「笑ってない」
「笑いそうな顔してる」
「可愛いなって思っただけ」
そう言うと、 澪は完全に言葉を失ったみたいに固まった。
耳まで赤くなっていくのがわかる。
「……ほんとに、 今日のあなたずるい」
「今日だけじゃないかも」
「それはもっと困る」
そう言いながらも、 澪は逃げなかった。
むしろ、 少しだけ迷ったあと、 そっとこちらへ手を伸ばしてくる。
指先が、 俺の袖を軽くつまむ。
それだけなのに、 胸の奥が大きく揺れる。
「澪?」
呼ぶと、 澪は視線を上げた。
「……もうちょっと、 こっち来て」
その声は小さかったけれど、 はっきりしていた。
俺がゆっくり距離を詰めると、 澪はつまんでいた袖を離して、 今度はためらいがちに俺の手に触れる。
指先が重なる。
それだけで、 さっきまでの会話が全部熱を持ってよみがえるみたいだった。
「手、 あったかい」
澪が小さくつぶやく。
「澪も」
「温泉上がりだからかも」
「それだけじゃない気がする」
そう返すと、 澪はまた困ったように笑った。
「……ほんと、 だめ」
「何が?」
「これ以上やさしくされたら、 たぶん私」
そこで澪は言葉を止める。
視線が揺れる。 でも、 手は離れない。
むしろ、 さっきより少しだけ強く握られた気がした。
部屋の静けさが、 またひとつ深くなる。
外の夜はもうすっかり更けていて、 旅館の灯りだけが静かに残っている。
澪は何かを決めるみたいに、 一度だけ小さく息を吸った。
そして、 俺の手を握ったまま、 ほんの少しだけ身を寄せてくる。
「……ねえ」
その呼び方だけで、 次に来る言葉が、 きっと今までよりずっと甘いものだとわかった。
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