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膝枕で甘やかされたあと、部屋に運ばれてきた料理が想像以上に高級すぎて澪が固まり、食べ終わるころには今夜の空気が少し変わっていました

膝枕のまましばらく撫でられていると、 部屋の中の空気はすっかりやわらかくなっていた。

昼間の疲れも、 警戒していた気持ちも、 澪の手のひらに少しずつほどかれていくみたいだった。


「そろそろ起きる?」


澪がやさしくそう言う。


「このままでもいいけど」


「だめ。 夕食が来るでしょう」


少しだけ笑いを含んだ声だった。

俺が体を起こすと、 澪は名残惜しそうにしながらも姿勢を整える。


「でも、 ちょっと元気になった」


「ならよかった」


澪はそう言って、 自分の髪を耳にかけた。

温泉上がりのやわらかい雰囲気がまだ残っていて、 その仕草だけで妙にどきりとする。

そのとき、 部屋の外で控えめなノックの音がした。


「失礼いたします」


落ち着いた声とともに、 スタッフがワゴンを押して入ってくる。

その後ろには、 白いコックコートを着た男性がいた。


「本日の夕食をお持ちしました」


澪が小さく目を見開く。


「……え、 シェフ?」


「はい。 こちらのお料理は、 最後の仕上げも含めて私が担当いたします」


穏やかな口調でそう言って、 シェフは一礼した。

俺は事前に聞いていたけれど、 実際に目の前で見るとやっぱり特別感がある。

けれど澪は、 それ以上に完全に圧倒されていた。


「部屋に、 シェフが来るの……?」


小声でそうつぶやく澪の顔が、 また少し赤くなる。


「すごいな」


俺がそう言うと、 澪はこくこくとうなずいた。


「すごいどころじゃない……」


料理は一皿ずつ、 丁寧にテーブルへ並べられていった。

器からしてもう違う。 盛りつけも美しくて、 どこから見ても高級という言葉しか出てこない。

前菜、 温かい一皿、 魚料理、 肉料理。 香りまで上品で、 見ているだけで緊張してくるような料理ばかりだった。


澪は完全に固まっていた。


「……どうしよう」


「なにが?」


「これ、 どうやって食べるの?」


真顔でそう聞かれて、 思わず笑いそうになる。


「普通に食べればいいだろ」


「普通って何」


澪は料理とカトラリーを交互に見ながら、 本気で困っている顔をしていた。


「だって、 崩したらだめそうだし、 順番とかありそうだし、 変な持ち方したら恥ずかしいし……」


「そんなに緊張する?」


「するわよ」


澪は少しだけむっとした顔をしたあと、 でもすぐに小さく息を吐いた。


「あなた、 こういうの慣れてるの?」


「慣れてるってほどじゃないけど、 最低限は」


「じゃあ教えて」


その言い方が素直で、 少しだけ頼るようで、 胸の奥がくすぐったくなる。


「わかった」


シェフが料理の説明を終えて部屋を出ると、 ようやく二人きりの夕食が始まった。

澪はまだ少し緊張しているみたいで、 背筋がきれいに伸びている。


「そんなに構えなくていいよ」


「だって、 すごいんだもの」


「まずは前菜からでいい」


そう言って、 俺はカトラリーの使い方を軽く示す。


「外側から順番に使えば大体合ってる」


「外側から……」


澪は真剣な顔でうなずく。


「ナイフとフォークは、 そんなに完璧じゃなくても大丈夫。 食べやすいようにでいい」


「ほんとに?」


「ほんとに」


そう言うと、 澪は少しだけ安心したように肩の力を抜いた。


「じゃあ、 やってみる」


おそるおそる前菜に手をつける。

最初のひと口を口に入れた瞬間、 澪の表情が変わった。


「……おいしい」


「よかった」


「すごくおいしい」


その声には、 さっきまでの緊張より感動のほうが強くにじんでいた。


「なんか、 見た目がきれいすぎて味の想像つかなかったけど、 ちゃんとすごくおいしい」


「感想が素直すぎる」


「だってほんとなんだもの」


澪はそう言って、 今度は少しだけ落ち着いた手つきで次のひと口を運ぶ。

料理が進むにつれて、 澪の緊張は少しずつほどけていった。

魚料理が運ばれてきたときには、 もう最初ほど固まっていなかった。


「これ、 どう切るのが正解?」


「骨はないから、 食べやすい大きさでいい」


「こう?」


「うん、 上手い」


そう言うと、 澪は少しだけ得意そうに笑う。


「褒められると、 ちょっと安心する」


「子どもみたいだな」


「今日はそれでいいの」


その返しが可愛くて、 思わず頬がゆるむ。

肉料理では、 澪はまた少しだけ困った顔をした。


「これ、 切るの緊張する」


「じゃあ見てて」


俺が先に切り分けてみせると、 澪は真剣にその手元を見る。


「なるほど……」


「力入れすぎないで、 ゆっくりでいい」


「うん」


澪は慎重にナイフを入れて、 きれいに一口分を切り分けた。


「できた」


「できたな」


「なんか達成感ある」


「料理の味じゃなくて?」


「両方」


そう言って笑う澪は、 もうすっかりいつもの調子に戻っていた。

食事の途中、 澪はふと手を止めて俺を見た。


「ねえ」


「うん?」


「今日、 ほんとはすごく疲れてたの」


その声は静かだった。


「うん」


「でも、 今はちゃんと楽しい」


その言葉に、 胸の奥がじんと熱くなる。


「それならよかった」


「あなたが隣で、 こうやって教えてくれるからかも」


澪は少しだけ照れたように笑う。


「ひとりだったら、 たぶん最後まで緊張してた」


「じゃあ、 役に立てた?」


「すごく」


その一言がうれしくて、 今日一日の重さが少し報われる気がした。

最後のデザートまで食べ終えるころには、 テーブルの上には満ち足りた空気が広がっていた。

澪は背もたれに少しだけ体を預けて、 ふうっと息をつく。


「……おいしかった」


「よかった」


「すごかった」


「そっち?」


「両方」


澪はそう言って笑ったあと、 少しだけ視線を落とす。


「最初はどうしようって思ったけど、 ちゃんと食べられた」


「ちゃんとどころか、 かなり上手かった」


「それはあなたが教えてくれたから」


その言い方がやわらかくて、 部屋の空気まで少し甘くなる。


食事を終えた満足感と、 温泉上がりの落ち着きと、 豪華な部屋の静けさ。

全部が重なって、 時間の流れまでゆっくりになったみたいだった。

澪はしばらく黙っていたけれど、 やがて小さく俺の名前を呼んだ。


「……ねえ」


「なに?」


「このあと、 少しだけ」


そこまで言って、 澪は言葉を止める。

いつもの澪なら、 もう少しはっきり言うはずなのに。

その珍しいためらい方に、 思わず視線を向ける。

澪は頬をほんのり赤くしたまま、 でもまっすぐ俺を見ていた。


「……やっぱり、 なんでもない」


そう言って笑おうとしたけれど、 その笑みは少しだけぎこちなかった。

なんでもないはずがない。そう思った瞬間、 今度は部屋の外から静かなノックの音が響いた。

さっきとは違う、 どこか間の悪いタイミングの音だった。

俺と澪は同時に顔を上げる。


「……誰だろう」


澪が小さくつぶやく。

その声を聞いた瞬間、 胸の奥に、 昼間とは別のざわつきが走った。

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