豪華な部屋に驚いたあと、夕食前は壁越しに気配だけ感じる貸し切り温泉へ行って、最後は澪に髪を乾かしてもらいながら膝枕までされました
部屋に入ってしばらくのあいだ、 澪は本当に何度も「すごい」と言っていた。
窓の外の景色を見て、 整えられた室内を見て、 置かれている調度品を見て、 そのたびに小さく感嘆の声を漏らす。
「なんか、 今日いろいろありすぎて感覚がおかしくなってるけど、 それでもこれはすごい」
「それはよかった」
そう返すと、 澪はようやく少しだけ肩の力を抜いたように笑った。
「ここにいると、 さっきまでのことが少し遠くなるね」
「うん」
「ちゃんと休めそう」
その言葉を聞いて、 俺も少しだけ安心する。
今日一日、 澪はずっと気を張っていた。 だからこそ、 ここでは少しでも落ち着いてほしかった。
荷物を置いてひと息ついたあと、 俺は澪に声をかけた。
「夕食の前に、 温泉行く?」
「温泉?」
澪がこちらを見る。
「うん。 予約してある」
「大浴場?」
「いや、 貸し切りのところ」
そう言うと、 澪は少しだけ目を丸くした。
「また貸し切り……?」
「今回はちゃんと別だよ」
「別?」
「男湯と女湯で分かれてて、 壁一枚挟んで隣同士になってるらしい」
その説明を聞いて、 澪はほっとしたような、 でも少しだけ照れたような顔になる。
「……びっくりした」
「混浴じゃないから安心して」
「そこは最初からそう言って」
澪は少しだけむっとした顔をしたけれど、 すぐに小さく笑った。
「でも、 そういう温泉ってちょっと珍しいね」
「せっかくだし、 落ち着いて入れるほうがいいかなと思って」
そう言うと、 澪はやわらかく目を細めた。
「ありがとう」
その一言が静かで、 でもすごくあたたかかった。
案内された貸し切り温泉は、 想像していた以上に落ち着いた空間だった。
入口が二つに分かれていて、 片方が男湯、 もう片方が女湯。
中は別々だけれど、 隣り合っていて、 間には壁が一枚あるだけらしい。
「じゃあ、 あとでね」
入口の前で澪がそう言う。
「うん。 のぼせないように」
「あなたも」
そう言って、 澪は女湯のほうへ入っていった。
俺も男湯へ入る。 中は静かで、 木の香りがほんのりして、 それだけで気持ちがゆるんでいく。
湯に浸かると、 今日一日の疲れがじわじわほどけていくのがわかった。
朝からずっといろいろあった。
上野駅で待ち合わせして、 新幹線に乗って、 旧軽井沢を歩いて、 思いがけない出来事があって、 長い事情確認まであった。
ようやく今、 本当にひと息つけた気がする。
しばらくして、 壁の向こうから小さな声が聞こえた。
「……いる?」
澪だった。
「いるよ」
そう返すと、 向こうで少しだけ安心したような気配がした。
「よかった」
壁越しだから姿は見えない。
でも、 すぐ隣に澪がいるのがわかる。 その距離感が不思議で、 でもどこか心地よかった。
「そっちはどう?」
「すごくいい」
澪の声がやわらかく響く。
「静かだし、 落ち着くし、 なんかやっと今日が旅行っぽくなってきた」
「たしかに」
「昼間は本当にどうなるかと思ったもの」
その言葉に、 俺は湯の中で小さく息を吐いた。
「……ごめんな」
またそう言ってしまうと、 壁の向こうで少し間があった。
「もう、 それ言うの何回目?」
澪の声は少しだけ呆れたようで、 でもやさしかった。
「あなたが悪いわけじゃないって、 何回も言ったでしょう」
「でも」
「でもじゃない」
きっぱり言われて、 思わず苦笑する。
「今は、 ちゃんと休むこと考えて」
「……はい」
そう返すと、 向こうで小さく笑う気配がした。
「よろしい」
そのやり取りだけで、 胸の奥の重さが少し軽くなる。
しばらく無言の時間が続いた。
でも気まずさはなかった。
湯の音と、 ときどき聞こえる澪の小さな気配だけで、 十分落ち着けた。
「ねえ」
また澪が呼ぶ。
「なに?」
「今日、 疲れたね」
その声は、 昼間の緊張が抜けたぶんだけ、 少し甘く聞こえた。
「疲れた」
「うん。 すごく疲れた」
澪はそう言って、 少しだけ息を吐く。
「でも、 あなたと一緒でよかった」
その言葉に、 胸の奥がじんと熱くなる。
「俺も、 澪が一緒でよかった」
壁越しだから顔は見えない。
でもたぶん、 今の澪は少し笑っている。
そんな気がした。
温泉から上がると、 体だけじゃなく気持ちまで少し軽くなっていた。
脱衣所で身支度を整えて外へ出ると、 ちょうど澪も女湯のほうから出てきたところだった。
部屋着ではなく、 普通の服に着替えている。
でも温泉上がりのせいか、 頬がほんのり赤くて、 いつもよりやわらかい雰囲気に見えた。
「おかえり」
「ただいま」
澪はそう言って、 少しだけほっとしたように笑う。
「なんか、 すごくすっきりした」
「顔見ればわかる」
「そんなに?」
「うん。 だいぶやわらかくなった」
そう言うと、 澪は少し照れたように視線をそらした。
「あなたも、 さっきよりちゃんと元気そう」
「温泉すごいな」
「すごい」
二人でそんなことを言いながら、 旅館の部屋へ戻る。
部屋に入ると、 澪はふうっと息をついてソファに腰を下ろした。
「……疲れたね」
その言い方は、 さっき壁越しに聞いたときよりずっと近くて、 やわらかかった。
「うん」
「ちょっとこっち来て」
そう言われて、 俺は澪の前へ行く。
すると澪は、 テーブルの上に置かれていたドライヤーを手に取った。
「座って」
「え?」
「髪、 乾かしてあげる」
思わず目を瞬く。
「自分でできるけど」
「知ってる」
澪はそう言って、 少しだけ笑った。
「でも今日は、 そうしたいの」
その声がやさしくて、 結局おとなしく従うことにした。
ソファの前に座ると、 すぐ後ろでドライヤーの音が鳴る。
あたたかい風と一緒に、 澪の指先が髪に触れる。
「熱くない?」
「大丈夫」
「ならよかった」
澪は丁寧に、 本当に丁寧に髪を乾かしてくれる。
ただ乾かしているだけなのに、 その手つきがやさしすぎて、 胸の奥がじんわりあたたかくなる。
「なんか、 すごく落ち着く」
思わずそうこぼすと、 後ろで澪が小さく笑った。
「よかった」
「澪、 こういうの上手いな」
「甘やかすの?」
「うん」
そう言うと、 澪は少しだけ得意そうな声になる。
「あなた限定だから」
その一言が強くて、 また胸が熱くなる。
髪を乾かし終えると、 澪はドライヤーを置いて、 今度はソファを軽く叩いた。
「次」
「次?」
「膝枕」
あまりにも自然に言うから、 一瞬反応が遅れた。
「ここで?」
「ここで」
澪は当然みたいにうなずく。
「今日はいっぱい疲れたでしょう」
「澪もだろ」
「私はあとでいいの」
そう言って、 澪はやわらかく笑った。
「今はあなたを甘やかしたい」
その言葉に逆らえるわけがなかった。
おとなしく頭を預けると、 すぐに澪の手が髪に触れる。
さっき温泉上がりに乾かしてもらったばかりの髪を、 今度はもっとやさしく撫でられる。
「……だめになる」
「いいの」
「よくない」
「今日はいいの」
澪はそう言って、 額のあたりまでそっと撫でてくれる。
その手つきがあまりにもやさしくて、 今日一日の緊張が本当にほどけていく気がした。
「夕食まで少しだけ、 こうしてようか」
「うん……」
返事をすると、 澪は満足そうに小さく笑った。
豪華な旅館の部屋で、 温泉上がりのやわらかい空気の中、 膝枕をされながら髪を撫でられる。
昼間の疲れも、 不安も、 この時間だけは少し遠くなる。
澪の膝の上は、 今日いちばん安心できる場所だった。
大ニュース!!なんと、noteで本作品の最新話(なろうで投稿される前)や外伝を定期購読のプランで読むことができます!
月300円で読めるので、読みたいなって思ったらこの下にあるリンクから私のnoteページに移動し、プラン内の「加入する」ボタンから登録してください!
外伝では、本編では明かされなかった「元カノ視点」の切ない裏話や、「澪視点」での主人公への本音エピソードなど、ここでしか読めない特別な物語をどんどん投稿していく予定です!
最新話の先読みや限定エピソードで、さらに作品の世界を楽しんでいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします!
公開は7月11日を予定しています。(都合上10日や12日以降になることもあります。)
ぜひ楽しみにしていてください!




