旅行の準備をするだけのはずなのに、澪の部屋で一緒に荷造りしてたら幸せすぎて全然帰りたくなくなりました
軽井沢へ行く日が近づくにつれて、 俺は講義中でもふとそのことを考えてしまうようになっていた。
一泊二日。澪と二人。
それだけでも十分特別なのに、 今日はその準備をするために澪の部屋へ行く約束までしている。
放課後、 いつもの道を歩いて澪のマンションへ向かう足取りは、 自分でもわかるくらい軽かった。
インターホンを押すと、 少しして扉が開く。
「いらっしゃい」
澪はやわらかく笑って、 当然みたいに俺を迎え入れてくれた。
「おじゃまします」
そう言いながら部屋に入ると、 もうこの場所に来ること自体が自然になり始めているのを感じる。
洗面所には俺の歯ブラシがあって、 寝室には俺の枕と棚がある。
それだけで、 ここがただの先輩の部屋じゃなくなっているのがわかった。
「今日はちゃんと準備するわよ」
澪はそう言って、 リビングのテーブルの上を指さした。
そこにはメモ帳とペンが置かれていて、 その横には小さめの旅行バッグまで用意されている。
「本気だな」
「本気よ。 せっかくなんだから、 忘れ物したくないもの」
澪は少しだけ得意そうに笑った。
その顔が可愛くて、 思わず頬がゆるむ。
まずは持ち物の確認から始まった。
「着替えは一泊分だから、 そんなに多くなくていいでしょ」
澪がメモ帳を見ながら言う。
「でも、 念のため一枚多めに持っていくのもありかも」
「澪、 そういうところしっかりしてるよな」
「あなたが適当すぎるの」
そう言いながらも、 澪の声はどこか楽しそうだった。
俺が持ってきたバッグを開けると、 澪はすぐ隣に座って中をのぞき込む。
肩が触れそうなくらい近い。 その距離にどきどきしながらも、
今さら離れる気にはなれなかった。
「これと、 これと……」
澪は俺の服を一枚ずつ見ながら、 丁寧にたたみ直していく。
「自分でやるよ」
「いいの。 こういうの、 やりたいから」
その言い方がやさしくて、 結局また甘やかされる側に回ってしまう。
「澪、 ほんとに準備好きなんだな」
「好きというより、 あなたのことを整えるのが好きなのかも」
さらっとそんなことを言うから、 胸がまた熱くなる。
「それ、 かなり破壊力ある」
「本当のことだもの」
澪はそう言って笑い、 たたんだ服をバッグの中へきれいに並べていく。
荷造りは思っていたよりずっと楽しかった。
何を持っていくか相談して、 これは必要、 これはいらないかも、 と話しながらバッグを埋めていく。
ただの準備のはずなのに、 二人でやると妙に特別になる。
「洗面道具は向こうにもあるけど、 使い慣れてるのがいいなら持っていってもいいかも」
「じゃあ、 最低限だけ入れとく」
「うん。 あと充電器」
「あ」
「ほら、 そういうの忘れるでしょう」
澪は少し呆れたように言いながらも、 どこかうれしそうだった。
「澪がいて助かった」
「でしょ?」
得意げに笑うその顔が愛しくて、 思わず見つめてしまう。
「……なに?」
「いや、 楽しそうだなって」
そう言うと、 澪は少しだけ照れたように視線を落とした。
「楽しいわよ。 だって、 あなたと旅行の準備してるんだもの」
その言葉が、 じんわり胸にしみる。
ひと通り荷物を詰め終えると、 澪は満足そうにバッグを見つめた。
「うん、 いい感じ」
「ほんとに旅行前って感じするな」
「するでしょう?」
澪はそう言って、 俺のほうへ少し身を寄せた。
「なんかね、 準備してる時間も好き」
「行く前から?」
「うん。 楽しみにしてる時間も、 旅行の一部みたいで」
その感覚はよくわかる。
今日こうして荷造りしている時間も、 たぶんあとで思い返したら大事な思い出になるのだろう。
「俺も、 今すごく楽しい」
そう言うと、 澪はやわらかく笑った。
「よかった」
それから少しだけ間を置いて、 小さな声で続ける。
「あなたが楽しみにしてくれてるの、 すごくうれしい」
その言い方があまりにも素直で、 胸の奥があたたかくなる。
準備が終わったあとも、 俺たちはそのままリビングでのんびりしていた。
澪はソファに座ると、 当然みたいに隣をぽんぽんと叩く。
「こっち」
言われるまま座ると、 澪はすぐに肩を寄せてきた。
「終わっちゃったね」
「準備はな」
「うん。 でも、 なんかもう少しやってたい気分」
そう言って、 澪は俺の腕に軽くもたれかかる。
「準備してる時間、 思ったより好きだった」
「俺も」
「ふふ。 一緒ね」
澪はうれしそうに笑って、 そのまま俺の手を取った。
「旅行の日も楽しみだけど、 こういう時間も好き」
「澪の部屋で、 二人で荷造りする時間?」
「うん」
澪は小さくうなずく。
「なんか、 すごく自然だったから」
その言葉に、 俺も静かにうなずいた。
たしかに自然だった。
まるで前から何度もこうしてきたみたいに、 澪の部屋で、 二人で並んで、 同じ旅行の準備をしていた。
その自然さが、 どうしようもなくうれしい。
気づけば時間はだいぶ遅くなっていて、 そろそろ帰らないといけない時間になっていた。
「もう帰る?」
澪が少しだけ名残惜しそうに聞く。
「今日は帰るよ。 明日もあるし」
「……そうね」
澪はわかっているのに、 少しだけ寂しそうだった。
その表情を見ると、 こっちまで帰りたくなくなる。
「でも、 すぐ旅行だろ」
「うん」
「だから、 そのときいっぱい一緒にいよう」
そう言うと、 澪は少しだけ目を丸くして、 それからやわらかく笑った。
「……うん」
玄関まで見送りに来た澪は、 靴を履く俺のそばでじっと立っていた。
「ねえ」
「うん?」
「今日は来てくれてありがとう」
「こっちこそ。 楽しかった」
「私も」
澪はそう言って、 少しだけためらってから、 そっと俺の袖をつまんだ。
「旅行、 いっぱい楽しもうね」
その声が甘くて、 胸の奥がじんわり熱くなる。
「もちろん」
そう答えると、 澪は満足そうにうなずいた。
「じゃあ、 また連絡する」
「うん。 気をつけて帰って」
「澪もちゃんと寝ろよ」
「あなたも」
最後に小さく笑い合って、 俺は部屋を出た。
帰り道は、 行きよりもずっとふわふわした気分だった。
澪の部屋で一緒に荷造りしたこと。服をたたんでもらったこと。
忘れ物しないようにって、 あれこれ気にしてくれたこと。
その全部がやさしくて、 甘くて、 思い返すたびに頬がゆるむ。
家に着いてからも、 バッグを部屋の隅に置いて、 しばらくぼんやり眺めてしまった。
あの中には、 澪と一緒に準備したものが入っている。
それだけで、 ただの荷物じゃなくなっている気がした。
ベッドに入って天井を見上げる。
今日のことを思い返すだけで、 胸の奥があたたかい。
澪の部屋で過ごす時間は、 もう特別であると同時に、 少しずつ当たり前になり始めているのかもしれない。
それがうれしくて、 幸せで、 どうしようもなく愛しい。
「……楽しみだな」
誰もいない部屋で、 思わずそうつぶやく。
軽井沢へ行くことも。その前に、 こうして澪と準備した時間があることも。
全部ひっくるめて、 今はただ楽しみだった。
その気持ちを抱えたまま目を閉じると、 いつもより少しだけ早く、 やさしい眠気がやってきた。
次に澪に会うときは、 きっともう旅行の直前だ。
そう思うだけで、 胸の奥がまたあたたかくなる。
楽しみだな。
もう一度心の中でそうつぶやきながら、 俺は静かに眠りに落ちていった。
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