憧れの先輩が俺のために部屋を整えはじめた結果、溺愛が止まりません
「今日はもう、ゆっくりしていってね」
澪先輩にそう言われて、
俺は小さくうなずいた。
その声はいつも通りやわらかいのに、
今の俺には妙に特別に聞こえる。
枕があって、歯ブラシがあって、パジャマがあって、棚がある。
ほんの少し前まではなかったはずの“俺のもの”が、
この部屋の中にちゃんと存在している。
それだけで、胸の奥がじんわりと満たされていく。
先輩はベッドから立ち上がると、
「お茶いれるね」と言って寝室を出ていった。
その背中を見送りながら、
俺はもう一度、部屋の隅に置かれた小さな棚へ目を向ける。
上の段には、さっき買ったばかりのパジャマ。
空いている段には、これから俺の着替えや小物が入っていくのだろう。
まだ途中のはずなのに、
そこにはもう不思議なくらい自然に“俺の場所”ができていた。
なんとなく棚に近づいて、
そっと手を伸ばす。
木の感触はなめらかで、
新しい家具特有の匂いが少しだけした。
先輩はこの場所を見ながら、
どんなふうに俺のことを考えてくれていたんだろう。
そう思うだけで、胸が熱くなる。
「藤崎くん?」
不意に声をかけられて振り向くと、
先輩がマグカップを二つ持って立っていた。
湯気の立つカップからは、甘いミルクティーの香りがする。
「そんなに見てくれると、ちょっと照れるわ」
「すみません。
なんか……嬉しくて」
正直にそう言うと、
先輩は少しだけ目を細めて笑った。
「私も嬉しい」
その一言が、
何よりもやさしく胸に落ちてくる。
◆
リビングのソファに並んで座ると、
先輩は俺の前にマグカップを置いた。
白いカップの中で、ミルクティーがやわらかい色をしている。
「甘めにしたけど、大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
ひと口飲むと、
ほどよい甘さがじんわり広がった。
今日一日の空気にぴったりな、
やさしい味だった。
「おいしいです」
「よかった」
先輩はそう言って、
自分のカップを両手で包み込む。
その仕草が妙に可愛くて、
つい見つめてしまった。
「……どうしたの?」
「いえ。
先輩、ほんとに嬉しそうだなって」
そう言うと、
先輩は少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「だって、今日はいっぱい進んだもの」
「進んだ?」
「藤崎くんの居場所づくり」
あまりにも当然みたいに言うから、
思わず胸が高鳴る。
「枕を置いて、歯ブラシを並べて、棚を作って……
こうやって少しずつ形になっていくの、すごく好き」
先輩はそう言いながら、
どこか満ち足りた表情でカップを見つめた。
「目に見えて増えていくとね、
ちゃんとここにいてくれるんだって思えるの」
その言葉に、
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
先輩はただ甘やかしてくれているだけじゃない。
俺がここにいることを、
ちゃんと喜んでくれている。
それがどうしようもなく嬉しかった。
「俺、そんなに歓迎されてるんですね」
「もちろん」
先輩は即答した。
それから少しだけ身を寄せて、
やわらかな声で続ける。
「むしろ、もっと歓迎したいくらい」
その距離の近さに、
一気に心臓がうるさくなる。
先輩はそんな俺の反応を見て、
少しだけ楽しそうに笑った。
「顔、赤い」
「先輩のせいです」
「ふふ。
じゃあ、もっと赤くなっちゃうかも」
そう言って、
先輩は俺の肩にそっと頭を預けた。
一瞬、息が止まりそうになる。
やわらかな重みと、
ふわりと届く髪の香り。
肩越しに伝わる体温が近すぎて、
頭が真っ白になりそうだった。
「先輩……」
「少しだけ、このまま」
甘えるみたいな声だった。
そんなふうに言われて、
断れるわけがない。
「……はい」
答えると、
先輩は安心したように小さく息をついた。
「今日ね、ずっと幸せだったの」
肩にもたれたまま、
先輩がぽつりと言う。
「買い物してるときも、
棚を組み立ててるときも、
歯ブラシを並べたときも。
全部、すごく嬉しかった」
その言葉を聞きながら、
俺も同じだったと思う。
先輩と一緒に選んで、
一緒に作って、
一緒に笑って。
その全部が、
胸の奥にやさしく積もっていくみたいだった。
「俺もです」
「ほんと?」
「はい。
こんなに幸せでいいのかなって思うくらい」
そう言うと、
先輩はゆっくり顔を上げて俺を見た。
その瞳はやわらかく揺れていて、
でもまっすぐだった。
「いいの」
先輩は静かに言う。
「藤崎くんには、いっぱい幸せでいてほしいの」
その一言が、
胸のいちばん深いところに触れた気がした。
先輩は本当に、
俺が幸せであることを願ってくれている。
それが伝わるから、
どうしようもなく心があたたかくなる。
◆
しばらくして、
先輩はふと思い出したように立ち上がった。
「そうだ。
まだ足りないもの、あったかも」
「まだあるんですか?」
「あるわよ」
先輩は真剣な顔で指を折り始める。
「マグカップ。
あと、タオル。
それから……できればスリッパも」
「増えますね」
「増やすの」
きっぱり言い切る先輩に、
思わず笑ってしまう。
「そんなに俺のもの増やしたいんですか」
「増やしたいわ」
先輩は少しも迷わなかった。
「だって、部屋の中に藤崎くんの気配があると、
すごく落ち着くんだもの」
その言葉が甘すぎて、
また顔が熱くなる。
「先輩、それ反則です」
「反則でもいいの」
先輩はくすっと笑って、
今度は俺の隣に座り直した。
そして自然な動きで、
俺の手に自分の手を重ねる。
「これから少しずつ増やしていきましょ」
「少しずつ?」
「うん。
急に全部そろえるんじゃなくて、
来るたびにひとつずつ増えるのも素敵じゃない?」
その言い方が、
まるでこれから先も当然のように
俺がここへ来ることを前提にしていて、
胸がまた熱くなる。
「……それ、すごくいいですね」
「でしょ?」
先輩は嬉しそうに笑った。
「次に来たときは、
藤崎くん専用のマグカップを選びましょう。
その次はタオル。
その次は……そうね、部屋着用のクッションとか」
「どんどん快適になりますね」
「快適にするもの」
先輩はそう言って、
俺の手をきゅっと握る。
「ここに来るのが楽しみになるくらい、
甘やかしたいの」
その言葉に、
もう何も言えなくなる。
こんなふうに大事にされて、
こんなふうに居場所を作ってもらって、
幸せじゃないわけがなかった。
窓の外は少しずつ夕方の色を深めていて、
部屋の中にはやわらかな静けさが満ちていた。
その静けささえ心地いいのは、
隣に先輩がいるからだと思う。
先輩は俺の肩にもう一度そっと寄りかかり、
小さな声で言った。
「次に来る日、今から楽しみ」
その一言だけで、
胸の奥がいっぱいになる。
たぶんこれから先、
この部屋には少しずつ俺のものが増えていく。
マグカップも、タオルも、スリッパも。
そうやって日常の小さな欠片が積み重なるたびに、
先輩の部屋はもっと特別な場所になっていくのだろう。
そしてそのたびに俺は、
先輩のやさしさと溺愛を、
何度でも実感するに違いない。
澪先輩はきっとこれからも、
やわらかく笑いながら俺を甘やかして、
当たり前みたいに居場所をくれる。
そんな未来を想像するだけで、
胸の奥があたたかく満たされていく。
この部屋で、
先輩の隣で、
少しずつ増えていく“俺の場所”。
その全部が、
どうしようもなく愛しかった。
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