第2話 時を駆けるゲーマー
目覚めると、黒野は自室のベッドの上にいた。
自室――と言ったが、起き上がると妙な違和感がある。
――アレ?
間違いなく自分の部屋だ。しかし、普段とは違う。毎日過ごす部屋には似つかわしくない懐かしさを感じる。
寝ぼけた頭がはっきりとし始めて、黒野はようやく違和感の正体に気が付いた。
「ここ、大学の時の部屋だ」
ぽつりと声が漏れ出る。わざわざ声に変換したのは、現実かどうかを確かめるためでもあった。
大学時代――といえばもう十年も前になる。田舎の親を説得し、東京の大学に入学した。
上京して一人暮らしを始め、バイトに明け暮れて何とか生活した極貧時代。
四年間過ごした部屋が、今まさにクロノのいる場所だった。
――でも、どうして。
脳裏に疑問が浮かぶ。この部屋は就職と共に引き払い、職場に近い場所に引っ越したはずだ。
引っ越しをしてから、この部屋を訪れたことはない。
そもそも、昨日だって引っ越し先の自宅で眠ったはずだ。
自宅で眠った――本当にそうか?
脳裏に浮かんだ考えに、再び脳裏で問い返す。
冷静に思い返してみると、自分が昨日眠りについたかどうかの記憶は定かではない。
仕事を終えて、帰宅した。疲労困憊だったが、適当に風呂に入り適当に夕食を済ませた。
それは覚えている。
PCの前に置いたVRチェアに座り、ゲームを起動。それが日課だ。
ゲーム内ではあの憎々しい紅の探究者のインタビュー配信が放送されていて、それを見ていたらメッセージが届いた。それで――。
【この世界をやり直しますか】
あの文言が頭に浮かぶ。「はい」と書かれた画面に自分が触れたことを思い出す。
――そんな、まさかな……。
ありえない考えが頭をよぎる。視線は、無意識に壁掛けのカレンダーに向かっていた。
瞬間、目を見開く。
そこにあるはずのない数字を目にして。
今度は思わず立ち上がる。まだ確信はできない。それを確かめるために黒野は洗面所へ走った。
走ったといっても、狭くぼろっちい安アパートだ。ガタガタと大きな音を立てて、壁とか扉に身体をぶつけながら洗面所に入ると、水垢で汚れた鏡に目を向ける。
「は……はは……」
笑ったのか、ただ口から空気が漏れただけなのか、自分ではわからない。ただ、笑うしかないような状況ではあった。
カレンダーに表示された西暦は十年前のもの。鏡に映った自分の姿は、昨日目にした自分より明らかに若い。
「嘘だろ……俺、タイムスリップしたのか」
信じられない、そんな表情のまま黒野は洗面所の壁に背中を預けた。腰が抜けて立っていられない。ずるずるとその場に座り込み、頭を抱える。
――やり直すって、そういう意味だったのか?
昨夜のメッセージの文言を頭の中で反芻する。しかし、いくら何でも理屈に合わない。
一体どんな技術で、どんな力を使えばゲームのメッセージが現実に干渉して、時間を巻き戻せるというのか。
もしかするとこれは夢なのかもしれない。そう思って黒野は自分の右頬をつねる。
「いひゃい……」
確かめるためにそう言ったものの、その声はどことなく間抜けなものになった。しかし、確かに痛みは感じる。夢ではないようだ。
五感を限りなく再現し、現実と変わらない体験を提供することに定評があるLEOでもここまで完璧な痛覚の再現はできない。
つまり、ここがまだゲームの中だという可能性は低い。
――もしこれがゲームなら、個人情報だだ漏れだしな。
短くフッと鼻で笑う。そんな場合ではないのだが、そんな風に独り言でも言っていないと現実を直視できない。
――そういや、今日は何日なんだ?
しばらくその場で呆然とした後、黒野は不意にそんなことを考えた。
先ほどカレンダーを見た時には西暦の数字しか確認しなかった。カレンダーは六月のページになっていた気がするが、日付まではわからない。
何とか足に力を入れて立ち上がる。そのまま廊下に出て、今度は何にぶつかることもなくベッドに戻る。
ベッドの枕もとの壁にコンセントがあり、黒い充電器が繋がれている。その充電器の先に着いたスマートフォンは随分と型の古い物だった。
大学時代に使っていた物と機種も色も同じ。そのスマホを取り上げて、画面を立ち上げる。
十年以上変えていないパスワードを打ち込むと、スマホのロックはさも当然というように解除された。
「……LEOのサービス開始の日じゃねぇか」
表示された日付に目を通して呟く。それはまさに、十年間熱中したゲームの発売日を示していた。
ふと脳裏に淡い記憶が蘇ってくる。
心待ちにしたゲームの発売日のことだ。十年前でもよく覚えている。
その日は、前日から興奮が収まらなかった。「後〇時間でLEOがプレイできる」。時計を見る度にそう思い、期待を胸にベッドに入った。
翌日の八時からというサービス開始時間に合わせるためだ。
オンラインゲームのサービス開始時間からゲームを始める。ゲーマーなら、誰だって考える「スタートダッシュを決めて一気に攻略を進めたい」と。
しかし黒野は寝坊した。高まった興奮のせいで碌に寝付けず、もういっそ不眠でゲームを起動しようかと考えたのが夜中の四時頃。無意識に寝落ちしたのが五時頃だった。
目が覚めたのは時計の針が両方とも頂点を指す、正午――十二時だった。
それが淡い記憶、他のプレイヤーに数時間の遅れを取った後悔の思いでだ。
黒野は時計を見る。時間は七時五十分。今日が本当にLEOのサービス開始の日ならば、あと十分でゲームをプレイできるようになる。
迷っている時間はなかった。
ベッドの真向いに置いてある勉強机に向かい、ひと昔前のVRゲームのハード機を頭に装着する。
「本当にやり直せるのかどうか、確かめてやる」
自分の中の混乱を鎮めるようにそう言って、黒野はゲームを起動した。




