第13話:隠れ家での再始動
ライブ喫茶の2階。かつてマスターが物置にしていたその部屋は、埃っぽいが日当たりだけは良かった。
「光ちゃん、当分はここを使いなさい。下には私や常連もいるし、変な取材陣も通さないからね」
マスターの言葉に、光は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……。本当に、助かりました……」
ボロアパートを飛び出し、ここに身を寄せて数日。
配信で得た臨時の収益と投げ銭は、手数料を引いても数十万円にのぼっていた。
「キラ、ヒゲ。……これでお肉、買えるね。それに、キラの足の精密検査も……」
光は、床に置かれたおもちゃのキーボードの前に座るキラを優しく撫でた。不自由な足でお転婆に振る舞う雌猫のキラは、「ニャン!」と高い声で応え、前脚で鍵盤をパチャパチャと叩いて見せた。
(……フッ。ひとまずは『籠城戦』の成功だ。だが、ここからが本当の『戦略』だぜ)
俺――泥棒ヒゲの猫・マダオは、喉の奥に溜まった熱を逃がすように静かに息を吐いた。あの日、喉が潰れるほど無理に発声したせいか、俺の喉には奇妙な変異が起きていた。
(……ミ、ミャ。……カ……)
試しに鳴いてみると、以前よりも楽に、言葉に近い響きが形になる。
(オ、ハ、ヨ……)
「……オ、ハヨ……」
それは猫の鳴き声を借りた、けれど明晰な意思を持った「言葉」だった。
その時、階下からマスターが階段を上がってきた。
「光ちゃん、ちょっといいかい? さっき、店の方に変な問い合わせが来ててね」
マスターが差し出したスマホを、光は「拡大鏡」機能で必死に覗き込んだ。そこには、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気作家・成瀬の名前が記されていた。
『昨夜の配信を拝見しました。信じられないかもしれませんが、あの猫ちゃんがキーボードを叩いていたリズム……そして光さんが口ずさんだ鼻歌。……あれは、私の古い友人が考え事をする時にだけ無意識に刻んでいた癖と、全く同じなんです。彼とはもう何年も連絡が取れず、風の噂で亡くなったと聞きましたが……。どうしても確認したいことがあります。一度、お会いできませんか』
光は不思議そうに小首を傾げた。
「……未来男さんの親友だった作家さん? 私、そんな人がいるなんて聞いたことなかった。でも、ヒゲとキラが、その人の癖に似てたのかな……」
(……成瀬か。よりによって、あいつが嗅ぎつけやがったか)
俺と成瀬は、かつて同じ文学賞を目指したライバルであり、親友だった。あいつが華々しくデビューし、俺が作家として底辺で燻り始めた時、俺は情けなくて自ら連絡を断ったのだ。光は、未来男にそんな輝かしい過去があったことすら知らない。
光の平穏な生活に、俺の過去を知る唯一の男が踏み込もうとしている。
正体がバレれば、光は混乱する。だが、もし成瀬を味方につければ、光の目を治すための「さらなる資金」を動かせるかもしれない。
俺は不安そうにする光の足元に寄り添い、掠れる声で、けれど力強く告げた。
「……シ、ンパ、イ……ス、ナ……」
光が目を見開いて、固まった。
「……ヒゲ? 今、心配するな、って言ったの……?」
「……カ、ネ……カ、セ、グ……。ヒ、カ、リ……ウ、タ、エ……」
猫の姿をした「元作家」は、かつての親友と対峙し、光を救うための新たな物語を書き始めた。
第14話:予告
ついに隠れ家を訪れた、かつての親友・成瀬。
「未来男は、考えが煮詰まるといつもそのリズムで机を叩き、その鼻歌を歌っていた。……猫がそれを知っているはずがないんだ」
鋭い成瀬の視線が、マダオを射抜く。
一方、光の症状は進行し、ついに手術の具体的な話が持ち上がる。
「手術代、私が出そう。……その代わり、この猫たちをしばらく観察させてくれないか」
成瀬の提案は、救いの手か、それとも正体を暴くための罠か。
次回、「再会と疑惑」。




