第14話:再会と疑惑
ライブ喫茶の2階に、張り詰めた沈黙が流れていた。
光の向かい側に座っている成瀬は、端正な顔立ちを崩さず、手元に置かれたおもちゃのキーボードを眺めていた。
「……信じられない。本当に、あの動画の通りなんだな」
成瀬の視線は、光ではなく、その足元で丸まっている俺――マダオに向けられた。
「光さん。不躾なことを聞きますが……。あなたの目は、今どういう状態なのですか?」
成瀬の問いに、光は戸惑いながらも答えた。
「……時々、白い霧がかかったようになります。お医者様には、特殊な病気で、早いうちに手術をしないと手遅れになると言われていて……」
成瀬はふむ、と頷くと、俺を指差した。
「この猫が、あなたの治療費を稼ごうとしているように見える。……私の思い過ごしでなければ、ですが」
(……相変わらず鼻が利く野郎だ。だが、お前がここへ来た本当の理由は別にあるはずだぜ、成瀬)
「光さん。私に協力させてくれませんか。私の知人に、眼科の権威……一条という女性医師がいます。彼女なら、その進行を止められるかもしれない」
光が息を呑み、小さく声を弾ませた。
「名医……の方ですか? でも、私、そんな方に診ていただく余裕なんて……」
「費用については、私が全額立て替えましょう。……ただし、無償ではありません。これは『契約』です」
成瀬の目が、作家特有の冷徹な光を帯びた。
「私は今、新作のプロットに行き詰まっている。……この『喋る猫』と『視力を失いかけた歌手』。これほど魅力的な題材はない。私が納得のいく作品を書き上げるまで、この猫たちを私の手元で観察させてほしい。手術代と治療費は、その『独占取材費』の前払いだ。これなら、仕事として受け取れるでしょう?」
光は黙り込んだ。手術を受けたい。けれど、自分たちを「ネタ」として差し出すことに、得体の知れない不安を感じているようだった。
(……待て。こいつ、何か企んでやがるな)
俺は成瀬をじっと睨み据えた。
成瀬は未来男の親友だった。だが、同時にあいつは、面白い物語のためなら身近な人間さえ切り刻んで原稿にする、業の深い男だ。光の目を治すという餌で、俺の正体を引きずり出し、自分の作品に利用しようとしている……。
俺は、光の足元から成瀬の方へ一歩踏み出し、低い声で威嚇するように喉を鳴らした。
「……ナ、ル、セ……。オ、マ、エ……」
成瀬の眉が、ピクリと跳ねた。
「……ほう。やはり私の名前を呼んだか。それだけでなく、私を疑っているようだな」
成瀬は薄く笑い、俺の泥棒ヒゲを覗き込むように顔を寄せた。
「いいだろう。君が何者であれ、光さんの目を治す手段を他に持っているのか? ……戦略家なら、今はどの手を取るのが最善か、分かっているはずだ」
俺は悔しさに奥歯を噛み締めた。
猫の姿のままでは、名医を紹介することも、今すぐ数百万の現金を工面することもできない。成瀬の提案に乗るのが、光にとって最も確実な「勝利への道」だ。
「……ヒゲ……?」
光が不安げに俺の名を呼ぶ。俺は彼女の足に体を擦り付け、小さく「……クッ」と短く鳴いた。
(……今は、負けてやる。だが成瀬、光に手出ししてみろ。猫の爪がどれだけ痛いか、その面に刻んでやるからな)
数日後。
成瀬の紹介で現れた眼科医、一条。
彼女は冷徹なまでの冷静さで光の目を診察し、成瀬を一瞥して言い放った。
「成瀬さん。あなたの『取材』の都合は知りませんが、この患者さんの容態は遊びで済むレベルじゃありません。……光さん、私を信じて。必ず、光を取り戻しましょう」
その言葉に、光の瞳に初めて本物の希望が宿った。
第15話:予告
一条医師による精密検査。
「成瀬、あの男の言いなりになる必要はないわ。あなたは私の患者よ」
成瀬を牽制し、光の味方となっていく一条。
一方、成瀬の仕事場で始まった「観察生活」。
キラはおもちゃのキーボードを叩き、成瀬の執筆リズムを乱していく。
「……この猫、わざと私の苦手なコードを鳴らしているのか?」
そして、マダオは成瀬の書斎の奥で、生前の「馬田未来男」に関する、驚くべき資料を見つける。
次回、「女医の決意、猫の潜入」。




