25. 疑念
山口鴇の元には晴明の式は現れなかった。管轄外と言われればそれまでだが。
だが鴇は青と情報を集めるうちに一つの答えが導き出せていた。
キナリは実体化しない幽霊のような存在で、それが残留思念となってこの世にいるのではないか、と。
そんなことはずっと前から思っていた。だが、目先のキナリを倒すことで頭がいっぱいになっていた。
本当は彼の身体が死滅した頃である江戸末期に行かねばならないのではないかと。
だが、医術師は華岡青洲を祖とするため、彼の生まれる前の時代まで遡ることはできない。キナリが残留思念となった原因を解決するために、医術師は介入できないのだろう。
この制約を解くのは2つ条件がある。一つは時戻りの付き添いとしてならば、この範囲から外れる、ということだ。
もう一つが歴史の証人である晴明からの正式なオファーである文送りがくることだ。
現状、晴明は青には式を送った。だが、文送りはしていない。
青は医学生なので、現代医学の知識においては鴇よりはるかに上回っている。
この時点で、青が鴇を連れていくメリットは低いのだが、それでも今まで一緒に時戻りをしてきた。
時戻りは血縁者が近いほどその負担は減ると言われており、青が鴇を連れて行くのも、鴇が青に連れて行かれるのもどちらも疲弊が大きかった。
(今更、蚊帳の外かよ)
だからこそ晴明は歴史の証人たちに自身の式をあてがい、師団のように何人も一度に時戻りをして、キナリを叩くつもりなのだろう。
考えていることはよくわかる。
真っ青な空を見上げて、山口鴇はため息を付いた。
意外にも打たれ弱いのが、山口鴇の特徴である。
鴇のため息姿を学校の屋上から見ていた騰蛇はクスクス笑って、背伸びをした。
「楽しそうですね」
横にいたハルから話しかけられ、笑うのをやめる。
「1人で右往左往してるようだから、しばらく見てみようかと思って」
「心が読めるのですか?」
「いいや。でも、まぁ、わかりやすいですからね。彼は」
騰蛇は首を振るとニコリとハルへ微笑む。
「それより、ここにいていいのですか? 碧さんの側を離れていいのですか?」
ハルはジトリと騰蛇を見ながら「貴方が私の指導者ですよね?」と念を押す。
騰蛇はバレたか、というような顔色でおどけて見せて、屋上のヘリに立つ。
「まあ、代理ですから。私は」
「え?」
「なんでもありません」
騰蛇は屋上のヘリから降りると、懐から1通の手紙を取り出し、ハルの前に差し出した。
「これを鴇さんに渡してもらえますか? 彼が望む答えが入っていると思いますよ」
ハルは自分と同じ顔の男から差し出された手紙を受け取ると、訝しそうに眉を寄せる。
「だから、私は代理なんですよ」
(なんに対しての代理なのかは言わないのか)
ハルは学生服を着ると、校舎の中をうろつき鴇を探す。何人かの女子生徒がざわついていた時、教室前の廊下で碧と出くわした。
碧が学生服姿でうろついていたハルを凝視した後、汚物でも見るような蔑んだ視線を向ける。
「私との約束は?」
「え?」
「私、前に、学校へ連れていくつもりはない。って言ったよね?」
ハルは自分の姿を見ながら、動揺したのか「え、あ……これは……」と言葉にならない声をあげながら、己の服を見やる。
明らかに主人の意を汲むことなく勝手な行動をしている式そのものである。
弁明すらできない。
「知らない」
碧はプイッと顔を背けると、廊下にハルを残して教室へと入っていった。
(ハルの見た目は目立ちすぎるから、後々面倒なのに、それをまるでわかってない)
碧が教室に入った後、しょぼくれたハルの前に鴇が現れ、なんとなく状況を察知したのだろう。二人で鴇の術が効いている理科室へと向かう。
「碧に嫌われた……」
ジメジメと落ち込むハルを横目に、鴇はハルから手渡された手紙を読んでいく。
それは偽の赤の文書を英家に持ってきた人物の名前が記されていた。
なるほど………。
土御門蘭。
書かれた名前を見て合点が言った。
青は一連の歴史の証人の仕事である黒の文書を青から見せてもらったことがある。
故にこの名前にピンときた。
土御門蘭の兄の鬱金は碧の祖父にあたる。英と土御門はいわゆる親戚なので、行き来が容易なのは想像がつく。
そして英に負けることを良しとしないうさあの女性ならば、たしかにあり得る話だ。
「手紙ありがとう」
鴇はそう言うと、理科室を離れ、教室へと戻った。
赤の文書の偽装に土御門が関わっていた。ならば、もう一人、埃が出る家がある。
いや、むしろ、紺はわざと命を落とす事でそれを露呈したとすら思えた。
土御門蘭の母方の実家には……ーー。
「鴇」
突然声をかけられ、山口鴇は、勢いよく振り返り、そこには碧がいた。
「ごめん、何度も声かけんだけど」
鴇は目を数回瞬きさせながら「いや、考え事してた」と碧に告げる。
碧は「あの、ハルが迷惑かけてごめんね」と顔の前で両手を合わせる。
「いや、そんなこと……」
碧は安心したようにふふっと笑った。
「来月末はお母さんの命日だから、お墓参りに行こうと思うの。一緒に来てくれる?」
あれ、そうだったっけ? 命日……。
鴇は「うん、もちろん」と応えた。
だが、なぜ、忘れているんだ? あの時、俺も一緒にいたはずじゃないか……。
鴇は碧の顔を見た後、一瞬だけ少し嫌な予感が巡り、真っ青になって、口元を手で覆った。
なぜ土御門蘭は赤の文書を偽造しなければならなかったのか……。
鴇の心拍が上がり、呼吸が速くなる。
考えたくない、いや、なぜ今までその答えを考えなかったのだろうか……。
晴明が碧の母、燈に固執した理由、キナリが燈と碧に執拗に追いかける理由、英紺がなぜ偽の赤の文書を持っていたのか、土御門蘭がなぜ偽造しなければならなかったのか。
青は気がついているのだろうか。
気がついたからこそ、今、俺を巻き込まないのではないのか。
あり得ない事態だ。
英燈が晴明の式である可能性を。
そしてキナリもまた、式である可能性を。
碧の心配そうに見つめる瞳を見ながら、鴇は嘯いて笑った。
「なんでもないよ」
言えるわけがない。絶対に。




