26. キナリと燈
はるか昔、人魚の肉を食べた一人の少女が、800歳も生きたという。
少女はたいそう美しく、その美しさに見惚れた一人の男が、妻子がいるにもかかわらず、少女に恋をし、妾にした。
そして、少女は妊娠し、子を成した。だが、子を産んでから少女は歳を取り始め、美貌に翳りが見えたからか、男の心は少女から離れていった。
何百年も変わらなかった自分の容姿に陰りが見えた時、産み落とした子供が全てを奪ったように思えた。
この子さえいなければ、あの男にさえ出会わなければ。
少女は気が狂い、自身の息子を殺めようとした。だが、どういうわけか、子供は死ななかった。
腹を槍で刺しても、首を絞めても、高いところから落としても、子供は死ななかった。
己が800歳まで生きたというにも関わらず、自分の子の不死の体を気持ちが悪いと思った少女は、自ら命をたった。
残された子供は母の骸を抱きしめて、父が来るのを待ったが、父は現れることはなかった。
だから、子供は母の頭を切り落とし、母の頭を風呂敷に包むと、子供から父へ会いに行くことにした。
父の家に着いた時、不思議なことに誰も子供の姿を見ようとしなかった。まるでそこにいないような、そのような状態だった。
無理もない。子供ははるか昔に死んでいたのだ。
子供は母に殺された。肉体は滅んでも、魂だけは浄化されることなく、この世界にとどまっていた。
子供の母は人魚の血肉を食らったため、他には見えぬものが見えていたのだ。
魂だけの子供の姿を見えた人がいた。彼は子供の存在を父に伝え、父は男の指差す方に目を向け、子供は父が気がついてくれるという期待で胸が熱くなった。
(お父様)
子供の父は蔑むように、侮蔑の視線を送ると、子供の抱えている風呂敷を掴むと、投げ捨てる。
「始末してくれ、●●●●」
子供は、父が読んだ男の名前が聞き取れなかった。父が発した言葉があまりにも残酷だったからだ。
●●●●は躊躇いながらも、子供の首を絞めたが、子供の魂は浄化されることなく、この世に漂い続けた。
彼は母により生を絶たれ、父により魂まで消滅させられそうになった。
それが滋丘キナリだ。
キナリは残留思念として、この世に漂い続けた。父の滋岳家だけを怨み、残虐に殺戮を繰り返した。
そんなある時、あの人に出会った。太陽のように明るいあの人は安倍晴明がもつ十二の式の一人として、君臨していた。
太陰と言った。
太陰は殺戮を繰り返していたキナリを諭し、今まで、キナリと正面から向き合って、彼を諭そうという人物など、誰もいなかった。
それ故に、最初は鬱陶しかったが、キナリも次第に打ち解けていった。
キナリが攻撃するたびに着物の裾をふわりとはためかせるだけで、太陰は攻撃を交わし、太陽のような暖かさだけをキナリに残していった。
圧倒的力の差を見せつけられ、尚も嗜めるだけだった。
そんなある時、太陰が任務のため、英家に入った時、キナリは嫉妬した。護衛対象が英紺の同級生である滋岳透だったからだ。
キナリにとって滋岳家の人間は成人前に殺している。だが、透は英紺の式のおかげか、17を超えても生きながらえていた。
(何故、何故、何故)
黒いものが、キナリを塗り潰そうと襲ってきて、彼は暗闇の中で手を取った。
♦︎♦︎♦︎
太陰が橙色の髪の毛を揺らしながら、安倍晴明の前で跪いた。
「キナリをどうするおつもりですか?」
晴明は懐から扇子を取り出し、口元を隠す。
「どうもこうも……、彼は度が過ぎている。消滅せねば道理から外れる。そうは思いませんか?」
太陰は下唇を噛みながら「しかし、あと少しで浄化できるところまできているのも事実。ここは少し時間を置いて」反論するが、すぐに去なされた。
「人命がかかっているのですよ?」
太陰は項垂れ、「御意」と返答する。
「貴方は、英紺とペアとなってターゲットである滋岳透を守りなさい。分かりましたね?」
「はい」
顔を上げた太陰は翌日、花紺の元を訪れた。英紺の家は両親とは別屋を設けられており、太陰が紺の家族に会うことはなかった。
「初めまして。安倍晴明が式、太陰と申します。この度は、どうぞよろしくお願いします」
紺は目の前に現れた橙色の髪をした式に絶句した。
「うわあ………女性の式と仕事をするのが初めてだから、なんというか、緊張するなあ」
紺は照れながらそういうので、太陰は話を逸らそうとキョロキョロと辺りを見回すと、家族写真を見つけた。
少女を取り囲むように少女の兄弟と思われる紺と、もう一人の男性が立ち、二人の背後に両親と思わしき男女が微笑んでいた。
「これは」
「ああ。一年前かな。妹が事故に遭う前に撮った写真」
青は目を細めて家族写真を見る。
「妹さんは?」
「意識不明で、今も眠っているよ」
「そうですか……」
「誰も助からない、と知っているのに、すがっているんだ。浅葱も父さんも母さんも……」
太陰は意を結したように、「あの……、もしお嫌でなければ!」と言って、とある提案を紺に向けた。
太陰の力に他人になりすますことができる能力がある。
その力で、彼女はこの日より英燈として紺と共に生きることとなる。
紺の行った最後の乾紺一擲により、太陰は自分を式ではなく英燈として完全に生きることとなる。




