22. 赤の文書 拾壱
青が鴇と時戻りから戻った先は、鴇の部屋である。
出発前に青の部屋に赴いたから当然だが、鴇の部屋を選んだ理由は2つ理由がある。
一つは、鴇は時戻りを経験するのが初めてなので、鴇が倒れた際、すぐに横になれるように、だ。
青のショウコは他者の術を解くのに役立つが、他者を運搬はできない。もし、鴇が具合が悪くなった際、青自身で運ぶか、誰かもしくは誰かの式を借りなければならない。
誰かの式の場合、それは碧の式の可能性が高い。
それは絶対に避けたと思ったこと。
もう一つが、鴇の姉、桜の存在だ。桜は治癒が得意である。大怪我をした際、すぐに桜に診てもらえるのは大きなメリットだと考えたからだ。
青は鴇の部屋に戻ってくるなり、頭を抱えていた。というよりは、頭からゆっくりと血の気がひいていくように目の前が真っ白くなっていくので、頭部を支えた、というのが正しい。
徐々に視界が悪くなり、足元がぐらつき、身体が垂直ではなく並行になっていくような感覚になる。
「青くん!」
鴇が倒れて地面に頭を打ちつけそうな青を支えるため、即座に術を使い、糸で青の上肢を支えグイッと上に引っ張り、頭部と地面の直撃を逃れた。
「………っ」
突発的に術を発動したせいで、鴇の指に負担がかかったのか、自身の術で腕を切ってしまった。
右腕の皮膚から血が吹き出し、床に鮮血が飛び散った。
「桜!」
鴇は桜の名前を叫び、青の体を術で支えながら、ゆっくりと自身のベッドへ青の身体を下ろす。
桜は足音を鳴らして、勢いよく青の部屋を開け「鴇!」と叫んだ。桜が床に飛び散った血を見て一瞬身構えたので、青は「大丈夫。俺の血。自分で切った」と言って切れた右腕を見せて説明をする。
桜は青のそばに駆け寄ると、青の手を握る。
「大丈夫なの?」
「青くん? 倒れたけど、どうなの?」
桜は首を横に振る。
「鴇の方だよ」
鴇は傷口をみる。いくらか縫わなければならなそうだ。縫うにしても自分でなんとかなるだろう。
「まあ、うん、大丈夫」
桜は真っ白だった青の顔が少しずつ柔らぎ、色を取り戻していくのを確認してから鴇をチラッと見る。
鴇は、腕から出血している部位を抑えるために引き出しからタオルを取り出し、患部を抑えながら部屋を出ていく姿が見えた。
リビングで術を使ってチクチク縫っていると桜が青の部屋から現れた。
「過労じゃないかな?」
鴇は目線を逸らさず、自分の右手に集中しながら「時戻りってすごい負担なんだね」と言う。
桜は冷蔵庫から麦茶を出すと、流しに置いてあったグラスに麦茶を注ぐ。
「それもあるだろうけれど、今、試験期間中でしょ?」
桜の言葉に鴇は作業を止めて顔を上げる。桜はグラスを持ち「何?」と鴇に問いかける。
鴇は何が楽しいのか、ふっと笑って「いや、予想外に仲が良いようで、安心した」作業に戻る。深く切っているのか縫うのに時間がかかる。
桜は鴇をジトっと見て、麦茶を飲み終わるとそそくさとグラスを洗い、流しの横に置く。
「身体の関係はないけれどね」
「はっ?」
桜のぶっ飛び発言に鴇は手元が狂ったのか変なところを刺してしまった。
鴇の声に桜は「じゃあね」と言って、リビングを後にした。
(身体の関係がないのは本当だ)
鴇は桜の背中を見た後、からかわれたのかもしれない、と深く息を吐く。
青が碧に抱いている感情が、恋愛なのか家族愛なのか、鴇にとって実のところ分からなかった。桜という婚約者がいるのに、青は碧を構っているので、桜と青は名ばかりの婚約者なのではと思い続けていた。
だが、桜は青の近状を把握していたことから、あの疑り深い青が桜にはある程度心を許しているらしい。
身体の関係については………知りたくはなかった。
腕の傷を縫い終わり、ソファに座ってスマートフォンをいじりながら、鴇は時戻りのことを考えていた。
そもそも陰陽師は五行説を元に5人の偉人が各、専門を極めている。その5人全てに面会するのであれば、少なくとも5回は時戻りをしなくてはならない。
今回、華岡青洲には会ったので残り4回だ。だが、時戻りは元来多発できる代物ではないのであろう。恐らく、術者の体力を大幅に削ると思われる。
青が倒れたのもそうだが、戻っている間の現代での時は止まっているのに、過去に帰るので身体的苦痛が凄まじいのだろう。
時戻りはできたところで恐らく月に一度程度、という見立てでいた方が良いだろう。
しかも、歴史の証人の全てが時戻りができるわけではないだろうし、実際、碧は正式な歴史の証人ではないけれど、時戻りはできないのでは、と思っている。
このことが青くんにとっての不幸だろう。
歴史の証人である土御門杏は別の仕事についていると、太常は言っていた。つまり、今回の件に関して言えば、不幸なことに青以外に時戻りができる人物がいないのだ。
加えて青は現在試験期間中である。本来なら体力の回復を図るところだが、彼は机に向かい、勉強しなくてはならない。それが相まって、今回倒れたのだろう。
鴇が、無心でスマホをいじっていると後ろから声をかけられた。
「過労だって」
振り返ると青が立っており、鴇の斜め向かいのソファに腰掛ける。
「うん、起きて大丈夫?」
「ああ」
鴇としては桜の能力で治癒を促したが、どうやら青の疲労はまだ取り除き切れていないらしい。
「じゃあ、安心だね」
ソファに座り息切れをする青を見て、鴇がスマホをポチポチ押し始めたので、青がスマホを取り上げる。
「なんで?」
「やめろ、そういうの」
「あ、桜を呼ぶことが? 少し歩いただけで息切れしているのに?」
鴇の提案に青はジトリと睨みつけ、深くため息を吐く。
青はフェミニストだ。青は御曹司として育てられたので、女性に無理を強いるのは好きではない。青の疲労を取り除く、ということは桜にいくらか負担をかけることになる。
ましてや自分より脆弱な能力の彼女にこれ以上負担をかけることは気がひける。
「いや、ごめん」
鴇は「そ」と言って、青に取り上げられたスマホを取り返そうとするが、青はひょいと頭上に上げてスマホを返そうとしない。
何度か二人は攻防戦を繰り返し、鴇が「おい! なんだよ」と悪態づき、青は鴇にスマホを返した。
「子供じみた嫉妬というか、まあ、そんなところだよ。兎に角、迷惑はかけたくない」
青は頭がおかしくなるほど疲れているらしい。鴇は携帯をテーブルに置き、腕組みをする。
「それなら、過去に行って、歴史の証人引っ捕まえてきたら?」
鴇の提案に青はため息をつく。
「できたらな……ん?……」
青は難しそうに眉間を寄せ「できるのか?」と呟いて、鴇を見る。
「知らないけどさ、未来に行くわけではないから、行けそうじゃん?」
鴇は先ほどまで触っていたスマホの画面を青に見せる。そこには、菅原褐の連絡先を表示させてニカっと笑った。
「そこらへんが詳しい人、いるし、聞いてみない?」
「桜に連絡するつもりじゃなかったのか?」
「誰が言ったの? そんなこと。」
青はふーと息を吐く。
この場にはいないのだが、太常は二人の考えを察知したのか、突然背筋に冷感が走り、武者震いをした。




