19. 赤の文書 撥
山口鴇が、昼休みに購買にパンを買いに行っていると背後から「先輩」と聞き慣れた高い声がした。
(そう言えば俺、最低なことしてたな、うん)
自覚があるだけまだマシだが、頬を、二、三発殴られる覚悟で、声のした方を振り返ると、長身の男子が立っていた。
「え?」
ミス桜庭だと思っていたから、鴇は思わず呆けた声を出してしまった。
「国見菖蒲です。兄がお世話になっています」
菖蒲は鴇の目の前に右手を差し出し、握手を求めるが、鴇は何故かその握手に応じるかわりに「こちらこそお世話になってます」無難な返答をする。
(擬似化できるのなんて、トリガーがどこか怖くて握手できねぇよ)
「慎重なんですね」
菖蒲の言葉に鴇はカチンときたので「どうも。不作法でごめんなさいね」と嫌味を言って、菖蒲の側から離れようと歩く。
菖蒲はふっと受け流すように笑った後、小走りで鴇の後をついて歩く。
「何?」
ついてくる菖蒲に鬱陶しそうに鴇が問う。
「昼休み、一緒にどうですか?」
「君とは初対面なので、一緒しません」
鴇は少し早歩きのスピードを上げる。それでも菖蒲は食い下がる。
菖蒲が諦めないので、鴇は更にスピードをあげる。すると、菖蒲もスピードを上げる。
廊下で追いかけっこをしている馬鹿な男子二人、という構図がどうしても否めない。
「そんな、冷たいな。僕はずっと、ずっと先輩に憧れていたんですよ?」
「ストーカーかよ」
と思った矢先、口にしていた。
鴇は走りながら視界の端に社会科準備室が見えた。
「じゃあ」
鴇はそう言うと、社会科準備室の中に入って、ピシャリと締めた。
息を切らして鴇が入ってきたので、中で待っていた碧は目を丸くして「どうしたの?」と覗き込む。
鴇は肩で息をしながら近場の椅子に座って「ちょっと、ストーカーが」と言った。
その時、社会科準備室のドアを叩く音と同時に「先輩」と声がするので、鴇を見ると鴇は首を横に振っているが、そもそもここに入っているのは知っているわけで、隠れるよりも話した方が早い。
碧はそう考えてドアを開けた。
すると、国見菖蒲が立っていた。
何故だろうか、頬がピンク色に染まっているような気がする。
国見菖蒲はニコニコしながらパンを口に頬張り「本当に、嬉しいです! 英先輩!」と明るい声で碧を呼ぶ。
実際には見えないがピンクの花やらハートが飛んでいそうな雰囲気である。
どうやら国見の憧れは碧だったらしい。
何故、分かったか、って?
あからさまに碧と話す時に頬を赤らめるからだ。
それに国見藤が以前『弟が碧さんを気にしている』って言っていたからだ。
碧と食事をしたいが、声をかける勇気がない。それならば同性の俺を籠絡してから、本丸である碧を攻めたいと思ったのだろう。
将を射んと欲っすれば先ず馬を射よ、と言うことか。
まあ、射させはしないけど。馬も将も。
鴇は菖蒲を睨みながらパンをむしゃむしゃ食べる。
「国見くんって、藤さんの弟だよね? それなら、何故、この間来なかったの?」
碧はコンビニで買ったチャーハンを口に運びながら、質問をした。
碧の隣に鴇が座り、鴇の向かい側に国見菖蒲が座っている。
「用事があったんですよ」
碧は菖蒲の顔を見て「部活とか?」と素知らぬ風に尋ねる。
碧はどこまで菖蒲の話を信じているかはわからない。それは菖蒲も知っているはずだ。
「そのことで、呼んでたんです」
「なら、普通の声にしろよ」
「男の声だと、認識しないかもしれないので」
菖蒲の反論に鴇はいちいち腹を立てているのか、眉間が険しくなっていく。
「女の声でも逃げ出す、と言う選択肢はないのか?」
「あー、ないです。だって、ドキリとしたでしょ? 実際」
的を射ている返答に鴇はぐうの音も出なくなった。
「ちょっと、本題からずれていますけど」
碧が逸れていく話を元に戻す。
「それで、話したいこととは?」
「魂だけ死なないけれど、魂だけ呼び戻せる人たちがいるってのは知っていますか?」
碧も鴇も首を横に振るが、碧の式のハクは固まっていた。
「土御門」
鴇がパンを食べ終わり、紙パックのジュースを飲みながら答える。その言葉にハクはピクリ、と肩を動かした。
(ハク?)
「そうです」
鴇の言葉に菖蒲が拍手つきで応える。いちいちリアクションがオーバーなので鴇はイラッときて飲み終わったジュースやパンのゴミを袋にまとめる。
「アホか。土御門に今、そんな反乱分子残ってねぇよ」
ゴミをゴミ箱に捨てにいきながら鴇は続ける。
「本家は杏さんだけだし、分家から養子をとってまで残したい、と思ってるなら、既に手を打っているはずだけもそれもない。仮に分家に誰か残ってると仮定しても、既に英青が調べているだろ」
菖蒲は目で鴇の様子を追いながら、小さくなった残りのパンを口に放り込む。
「そうですか。なら、心配無用ですね」
碧に先刻のハクの様子も気になり、菖蒲に質問をする。
「けれど土御門って、確か、平安から続くよね? それって分家とか複雑なんじゃないのかな」
菖蒲は碧の顔を見て少し頬を赤らめる。
「いや、ほんと、そうなんです。複雑なんです。碧先輩のおじいさまも土御門の出ですし、昔からある家は序列がうるさいですし」
「そうだよ。うちだって一枚岩ってわけではないし。俺はお飾りの当主だから尚更」
鴇ほ言葉に碧は「え?」と反応し、鴇を見る。
すると頭の中に突然鴇の声が響く。
『聞こえる? 聞こえるならまばたきを2回して』
碧はまばたきを二度する。
その間、菖蒲が「歴史あるところって大変ですね」と返答していた。
「分家が多いと分家の中でも順位付けがあるから、そう言う争いに、仲裁で入ることもあるし、くだらない」
『菖蒲は信用できない』
碧は「目にゴミが入った」と言ってまばたきを二度行う。
鴇は碧の動作を確認し、首を縦に振る。
『攻撃するから準備して』
「力業で押さえつけても解決しないから、アプローチを変えることにした」
「アプローチ?」
碧は自然な会話を装い、質問をする。
「そう。例えば菖蒲が僕らと接触したように」
鴇の言葉に緊張が走った。1秒にも満たない時間、菖蒲は窓から逃走しようと足のつま先、指を動かそうとした。
だが、見えない縄で縛り上げられているかのように、椅子から離れることはできなかった。
「これは俺の医術師としての術。一糸不苟。見えない糸が体に巻き付いて繋ぎ合わせる。本来は臓器の縫合や皮膚縫合に使うが、こう言う使い方もできる」
燈のような派手さはないし、青のような奇抜な術でもない。だが、細かな技術を要するこの術は、繊細であり、周囲の状況に気を配る鴇らしい術だと、碧は思った。
(空間作るだけでもすごいのに、私の脳内に直接話しかけたり、こんな術もあるの)
「さすがは当主、と言うところですか」
「腐っても鯛、なんで」
鴇は糸を締め上げたのか、菖蒲は、うっ、と息を洩らす。
「誰が、菖蒲の仲間だ?」
鴇が更に糸を締め上げる。
「鴇くん、ごめん」
突然、藤の声が聞こえてきて、鴇と碧はハッとした。
「鴇、ストップ」
青の声だった。
碧と鴇は顔を見合わせた。




