10. ただいま
山口鴇は家に帰るなり、ご機嫌でご飯を食べていた。見るからにニタニタしているので、姉の桜に何度も「キモい」と言われたが、気にしなかった。
鴇は風呂に浸かりながら何度も、碧の言葉を反芻した。
『言っておくけど、私は鴇が思っている以上に、鴇のこと心配しているからね』
碧の心意はわからない。表情から読み取れなかったからだ。
だが、今の鴇にはそれで十分だった。
今まで一度も心を開いてこなかった碧が、少しだけ綻びを見せたように思えたからだ。
太常との特訓にも俄然やる気が湧いてくる。
風呂から上がり、自室に戻ると、自身の式であるナツを呼び出した。
ナツはジトっとした視線を鴇に向けるので、鴇は「何だよ」と突っ込んだ。
「なんでもないですよ。青春を謳歌されているようで、良かったですね」
「何? いじけてるの?」
ナツはポーカーフェイスで「そう言うことにしておきます。偶には、わたしもかまってくださいね」と言った。
ナツは鴇にとって初めて作った式だ。一族を黙らせるには人形の式しかない。それも異性の式はかなり難易度が高い。
幼い頃の鴇を支えたのがナツだった。ナツは冗談を言うタイプではなかったが、主人の心境をからかう程度は言うらしい。
「まあ、その話はさておき、呼び出したのは他でもない。祖父の家に行って、白の文書とってきてくれない?」
ナツは何かを言おうとして口を開いたが、鴇はそのまま続ける。
「俺が欲しがっている、と言えばすんなり渡してくれると思うから」
「わかりました」
去ろうとするナツに待って、と言って呼び止めると「もう一つ、お願いして良い?」と、不敵な笑みを浮かべた。
♢♦︎♢
碧は自室のベッドで横になりながら、考え事をしていた。
柄にもないことをしてしまった。
鴇には悟られないようにしたが、思わず口走っていた。
「なんで、あんなこと言ったんだろ」
緑は「ふー」とベッドで息を吐くと、窓がトントンと音がなったので、カーテンを開けた。
そこには8年前に別れたばかりの式、ハルがいた。
碧は大声をあげてしまいそうだったが、急いで口をつぐみ、窓を開けて、ハルを招き入れる。
「どうも」
ハルは8年と言う月日を感じさせずに、素知らぬ顔で碧の部屋にくつろぎはじめた。一方、碧はジロリととハルを睨みつける。
「簡単に戻ってきて、そんなんで許してもらえると思ってた?」
碧の言葉は最もである。
ハルはチラッと碧を見ると「ごめん」と頭を下げる。
「そんなんで許される訳ない」
「じゃあどうすれば良いんだよ」
碧は机をトントン手のひらで叩く。
「説明して」
「……どこから」
ハルが伺うように尋ねる。
「最初から」
ハルは頭を掻きながら「わかった」と言った。
ハルが言うにはこうだ。
8年前、碧の母 燈が死んだのはハルの力が及ばなかったからだ。だから、ハルは鍛えようと思った。だが、ハルには師匠と呼べる人がいない。
だから、太常に師として仰いだ。
碧を見ていると燈と瓜二つだから、心が揺れてしまう。そのために離れることにした。
勿論不安はあった。
だが、碧にはコウ、チョウ、ハク、アイがおり、ハルがいなくても充分な状態だった。
加えて碧の側に常に青と鴇がいる。だから、自分などいなくともなんとかなると思った。加えて離れた方が、二人とも強くなれると思ったからだ。
燈は紺の式を受け継いだ。そして恐らく、能力も引き継いでいる。その証拠に、碧は燈、青の式を受け継いでいる。つまり、燈は死に際、乾坤一擲を行なって、己の全てを燈に譲ったのだ。
何故このように英家の者は自身の式を譲れるのだろうか。英の遺伝が為すものなのかは定かではないが、陰陽師の中でも特異的であることは間違いない。
それも含めて、太常に色々と教えてもらった。だが、一度も会わなかったのはハルの心がぶれそうになったからだ。
「ごめん。どんな理由があっても、碧の側を離れた俺は、やっぱり良くなかった」
碧はハルの頬を叩いた。
「こんなんで許したりしないから」
「え?」
「私の気持ちを考えなかったの? お母さんがいなくなって、ハルもいなくなって、落ち込まないとでも? 私はまだ9歳だったのよ。だから、こんなんで許したりしないから」
碧は泣いた。
ハルは碧のことを見て涙を拭おうとする。碧はその手を弾く。
「あなたに触れてほしくない」
喧嘩中の恋人のように碧はいった。碧は自分の手のひらでぐいっと涙を拭く。
「だけど、お帰りなさい」
「うん、ただいま」
翌朝起きると、碧は久しぶりに頭がすっきりとしていたことに気がついた。
「まあ、この8年で得たことは追々話すとして、今日は学校だろ?」
「………」
ハルは首を傾げる。
「違った?」
「違わないよ。でも、ハルを連れて行くことは考えていないよ。鴇に変に思われる」
ハルは碧の言葉に太常の言葉を思い出した。
「え? そう言うこと?」
碧は応えることなく、ハルを一瞥する。
「行ってきます」
碧は少しだけハルに意地悪をした。
鴇のことは、ほんの少しだけ意識しはじめていることに気がついた。これは何なのかはわからない。
友情なのかもしれない。家族以外で初めて、鴇が碧が落ち込んでいる時に離れず、はげましてくれていたからかもしれない。
鴇が性に奔放なのを知ったのは、ショックだった。恋人でもないから構わないけど、気持ちが悪いと思ってしまった。
けど、そんな気持ちの変化を8年も掘っておかれた式にいちいち言う必要などない。




