9. 心のゆらぎ
太常が家に帰ると、碧の式ハルにがカレーライスを食べているところだった。のんきに大きな口を開いて美味しそうに口いっぱいに頬張る姿に、主人の危機をまるで理解していないこの式神へ無性にイラっとした。
太常は自身の術でハルが座っている椅子を弾き飛ばすと、ハルが見事に椅子から転げ落ちた。
「何するんだよ」
地面から起き上がりながら、反論をするハルに太常は見事までに潮対応を決め込む。
「あ、すみません。なぜか無性に腹がったものですから」
実に理由にならない回答である。
「それ、世の中で一番使っちゃいけない理由だろ。やばいやつの思想」
ハルは転がった椅子を戻しながら、太常へ実に正当な反論をする。
「確かにそうですね。もっともです」
ハルが再びカレーライスを食べようと椅子へ腰かけようとしたその時、太常が今度はカレーライスを取り上げた。
「だったら、貴方は主人の元にさっさと帰りなさい」
ハルは太常を睨み、太常からカレーライスを取り戻す。
「それはお互い様だろ!」
「私は任務でここにきているのです。貴方のは、ただの職務放棄じゃないですか」
大の男がカレーライスを取りあっている姿をみて、空が間髪いれずに突っ込む。
「どうでもいいけど、あんたたち二人がいるこの場所は私の別宅であるという認識を持ってほしいわ。そのカレーライスが床や壁に飛び散ったらどうするつもり?」
まさに鶴の一声である。
二人の式神はカレーライスをテーブルへ静かに置いた。
「ごめんなさい。空さん」
つい先ほどまで言い合いをしていたとは思えないほど、息がぴったり合った謝罪である。
「わかればよろしい」
「ハル、でも本当、太常さまの言う通り、お前はいい加減、碧の元へ戻れ」
菅原褐が沈静化した空気に一石を投じる。
ハルがカレーライスを食べながら「また、その話?」といやいや反論をする。
「お前、式神は主人を守るために存在するのに、何年も碧ちゃんのそばにいないだろ? そりゃ、碧ちゃんのほかの式神はめちゃくちゃ強いのばっかで、お前なんかいてもいなくても同じかもしれないけれど、だからって、側にいなくていい理由にはならないだろ」
褐の言葉がぐさぐさ、ハルの心に突き刺さる。
追い打ちをかけるように太常が応戦をする。
「すでに恋人かできて、あられもない姿で卑猥なことをさせられているかもしれないですけどね」
「!」
ハルが、ものすごい形相で太常を睨みつける。
「本当の話ですよ。碧は強いですけど、国宝級の鈍感娘ですからね。古参の式はストーカーまがいに遠くからしか見てないですし、晴明さまみたいな変態が近くにいてごらんなさいな。恰好の餌食ですよ」
「確かになあ。鈍いからな、碧ちゃん」
褐が太常の援護射撃を送る。二人からの言葉の暴力にハルはヘロヘロになっている。
空はくだらないことやってるな、と思いながらトマトジュースを飲む。
「あなたたち、人の貞操の心配してないで、キナリと赤の文書のことを考えた方が生産的だと思うけど」
太常、ハル、褐が空の一言でピタリ止まる。
「ごめんなさい」
三人は声を揃えて謝罪をした。
♢♦︎♢
山口鴇は無性に碧に会いたくなり、碧の家に向かった。道路から見た2階の碧の部屋の電気はついており、なんだかホッとした。
その時、ちょうど碧から電話がきて、ズボンのポケットにしまった携帯が震えた。
「はい。どうした?」
碧は少し間を置いてから応えた。
「今日、私が突然京都のこと話してごめん」
「なんだよ。謝る必要ないよ」
「ハクに滋岳キナリを調べてもらってたの。そしたら京都の飛び降り事件のことを聞いて……」
「うん」
碧が話してくれた。
鴇はその事実が嬉しくて、光が漏れる二階の窓をじっと見上げた。
「不思議なのはキナリは過去に京都を訪れると必ず、器を変えていたの。ハクには録画再生機能があって、何度か過去にキナリに遭遇してて、同じようにハクの目の前で必ず同じことを繰り返すの」
鴇は見上げたまま、眉間を寄せる。
「どう言うこと?」
「何度も何度も繰り返しているのよ。むしろ、ここ最近で、キナリが京都以外で器を変えたのはあの8年前だけなの。ハクが記録する前の出来事はわからないから」
鴇は携帯を耳に当てていない方の手で、頭をかいた。その時、犬の散歩をしている中年のおばさんに会った。
犬は鴇の足元に近づき、キャンキャン吠えるので、鴇は思わず「うわ」と大声をあげる。
「何? 大丈夫?」
碧の声に鴇は「うん」と応えたが、犬はなおも鴇の足元にまとわりつき、吠えている。
犬を追い払おうと、視線を緑の部屋から足元の犬へと移し、何度か犬と戦っていると、頭上と耳元の携帯から声が聞こえた。
「鴇、何してるの?」
見上げるもと、碧の部屋のカーテンが開き、窓から碧が顔を出していた。
鴇はなんだかバツが悪くなり「散歩、かな」と歯切れの悪い回答をする。
碧に案内され、鴇は碧の家に上がった。まだ、碧の父は帰宅してないらしい。
鴇は碧の家を訪れる際、必ず碧の父の透がいる時と決めているので、意中の女の子と二人きりとは、なんとも美味しい展開である。
「受話器から聞こえる犬の鳴き声が実際にも聞こえたの。だから、確かめたら鴇がいたから、びっくりした」
鴇はちゃっかりソファに座っている。
「ごめんね」
「それは気にしないで。あ、砂糖って入れる?」
「あ、砂糖はいらないよ。ありがとう」
鴇は碧がコーヒーを淹れてくれたので、自分の要望を伝える。
ここでもちゃっかりしている。
碧は「はい」と言って、鴇の目の前に温かいコーヒーを置く。
「でも、なんでうちの前にいたの?」
碧自身は鴇の横に座る。
(肩が触れてしまいそうだ)
「あ、散歩。散歩してて。そしたら、電話がなって、それで」
「そっか」
碧の表情が安堵したように見えたので、鴇は咄嗟に「キモいよね。ずっと見てたのかよ? と思うよね」と言った。
碧は首を左右に振りながら「違う、違う」と否定した。
「電話でも話したけど、帰りの電車のこと、気にしてるのかと思って。だから家にきたのかな? って」
鴇は暫くフリーズした。
「あ、まあ、気にはしてたけど、散歩。ごめん。余計な心配かけて」
碧はコーヒーを一口飲んでから、安堵したようにクスッと笑った。
「言っておくけど、私は鴇が思っている以上に、鴇のこと心配しているからね」
鴇は聞き間違いではないか、と思い、碧を見るものの、碧はソファから立ち上がって、その表情は見えなかった。




