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6. 影と結婚したお姫様

 星々のただ中、夜の空の真っ暗な中で、お姫様と王子様の影は言葉を交わします。まるでいつもお姫様のお部屋で、影が持ってきた品物を披露する時のよう。でも、今夜はお姫様の方が言葉を尽くし、王子様の影の方が首を振る側なのでした。


「私はただの影なのですよ。影と人間が結婚するなんて聞いたこともありません」

「ええ、人間の王子様が人魚のお姫様と結婚するのも聞いたことがないことだったわ。それにくらべたらあなたは人間の影なのですもの、何もおかしいことはないわ」

「……私は王子の影に過ぎません。あなたの好きな王子とは違うのですよ」

「ええ、愛する方と結ばれた王子様とは違います。だから私があなたを好きになっても大丈夫なの」

「私なんかのどこが良いのですか。最初にお会いした時もその後も、ずっとお怒りだったではないですか」

「それは、王子様と人魚姫を引き裂こうとしていたから。でも、あなたは私の言うことを聞いてくれたわ。どんなに珍しくても美しくても、愛に勝るものはないと、分かってくれたのでしょう?」


 何よりも貴い愛が、今は王子様の影にも向けられていることを伝えたくてお姫様は影の頬を掌で包みました。触れることができない影のことですから、あくまでもそのあたりに手を伸ばした、ということなのですが。


「愛は確かに素晴らしい。あなたも美しく優しい方だ。でも、だからこそ影なんかを好きになるはずがありません」

「まあ、どうして? あなたとお話するのはとても楽しいわ。王子様や人魚姫のことがなくても、私はあなたが来るのが楽しみになっていたのですよ」


 月が輝き星が瞬くほかは、一面の闇が広がる夜空の中で、王子様の影が揺らめきました。夜空と同じ黒のはずなのですが、お姫様には影が恥ずかしがって顔を赤くしているのではないかという気がしました。


「そもそも、たくさんの結婚の申し込みをいただけたのもあなたのお陰です。あなたがたくさんのことを教えてくれたから、私の世界は前よりずっと広がったのです」


 前に、影の話が聞きたいとお姫様が言ったことがあるのを思い出してくれたのでしょう、王子様の影はまた揺らめきました。さっきよりも大きく、多分、少しは喜びのために。でも、影はまだ疑い深く、拗ねたような声で呟きました。


「私は主に捨てられた影です。どうせいつまでもひとりぼっちなのですよ」


 けれど、これこそがお姫様が待っていた言葉でした。夜の風にさらされて冷えてしまった頬で、お姫様はにっこりと微笑んで言いました。


「それなら、主がいれば良いのですね? 私はあなたの主になるつもりなんてありませんけど、居場所をあげられたら、と思っています。私の影もきっと同じことを言ってくれるでしょう。だから、私の影になってくださいな。そうすればずっと一緒にいられますから」


 今度こそ、王子様の影にも反論が見つからないようでした。月が輝き星が瞬く中で、お姫様はずいぶん長いこと待ちました。多分、王子様の影が言い訳を考えては、これでは駄目だと諦める間を。


 そしてとうとう、王子様の影は恐る恐る、といった調子でお姫様に尋ねました。


「……本当に?」

「ええ、本当に」


 答えた瞬間に、星が一斉に流れました。お姫様を抱えたまま、王子様の影がものすごい速さで飛び始めたのです。あまりに速くて、星の煌きが尾を引いたように見えるのです。


「待って! 目が回ってしまうわ!」

「だって、とても嬉しいから!」


 王子様の影が笑うのを、お姫様は初めて聞きました。王子様の笑い声とも違って、嬉しいという気持ちをそのまま声に表したような、高らかで軽やかな響きでした。それを聞くうちにお姫様も何だか楽しくなって、王子様の影と笑いながら星々の間をいつまでも飛び回ったのでした。


 空が薄いすみれ色に染まって明け方が近づく頃になって、王子様の影はやっとある湖のほとりにお姫様を下ろしました。お姫様のお城から遠く離れた山の上で、静かな水面は朝焼けに染まり、空に幾つか残った星を鏡のように映しています。ちょうど山の稜線から太陽の最初の光が射して、空を見上げても水面を見ても一面が薔薇色に輝き始める、そんな美しい世界で、王子様の影はお姫様の前に跪きました。


「本当に、私で良いのですか」

「ええ。ずっと一緒に――幸せに、なりましょう」


 お姫様がしっかりと頷いたのを見て、王子様の影はにこりと笑ったようでした。目も口もない影ですが、確かにお姫様には分かったのです。そして王子様の影は溶けるように、お姫様の影の中へと入っていきました。


「では、お城に帰りましょう」

「ええ、お父様にもお伝えしないと」


 お姫様は影と笑い合うと、空へと足を踏み出しました。魔法の力で王子様から分かたれた影には、まだ魔法の力があるのでしょう。お姫様と影は、ふたりで踊りを踊るように同じ動きをしながら、空を飛んでお姫様のお城へと帰るのでした。




 お姫様が真夜中にお部屋からいなくなったので、お城では大騒ぎになっていました。そこへお姫様が空から舞い降りて来たものですから、王様も王妃様も、お姫様を探すために呼び集められた兵隊たちも、一層の大騒ぎになりました。


「ご心配をかけて申し訳ありません。私、結婚の申し込みをしていましたの」


 心配して駆け寄る人たちにお姫様はそんなことを言ったので、驚きの声でお城の石の壁はまた揺れました。お姫様が示したのがご自分の影で、しかも男の人の形をしているのに皆が気付くと、それでもまたひと騒動です。夜が明けたばかりなのにお城でいったい何があったのだろう、と街の人々が不思議に思うほどでした。


 せっかく素晴らしい人たちから申し込みを受けているのに影だなんて、と。王様は危うく認めない、というところでした。ですが、好きな方を選んで良いとお姫様に言ったのは王様ご自身です。しかも、お姫様と影はもうふたりでひとつ、どこに行くにもずっと一緒で離すことなんかできません。

 さらに詳しく話を聞いてみれば、お姫様に世界中のものごとを教えてくれたのは、この影だということではないですか。そうと知って、王様もさすがに首を縦に振りました。聞いたこともない話ではあるけれども、お姫様と影の結婚を認めよう、と。




 お姫様と王子様の影の結婚式は、それは不思議なものでした。一見すると、花嫁衣裳を纏ったお姫様がひとりだけで主役の席にいるようでしたから。けれど招かれた人たちがお姫様のお傍に寄ってご挨拶をすれば分かったでしょう。お姫様の足元に影が長く落ちるように灯りが置かれていること、お姫様の影はすらりとした若者の形をしていること。その影は爽やかな声で笑い、お客様に語りかけること。何よりもお姫様がとても幸せそうに微笑んで、影とおしゃべりしていることが。


 お姫様のために、影はまた世界中を飛び回って花嫁衣裳の材料を集めていました。

 ほとんど見えないほど細い銀色の蜘蛛が紡いだ糸、それで編んだ天から降り注ぐ光を形にしたようなレースのヴェールに、星屑のように細かな宝石を散りばめて。冠や首飾りや耳飾りのために、細工物が得意な地下の小人の国までも訪ねましたし、お姫様の目の色に合った宝石を求めては雲よりも高くそびえる山の上までも探しました。

 雪よりも白く羽根よりも軽い、ドレスのための艶やかな生地、長い裾に隠れて見えないはずのガラスの靴、とある皇帝の庭に咲く薔薇から作り出した香水にいたるまで、全て影が探し出して手に入れたものです。


 大変だったでしょう、と言う人々に、影は笑いながら答えます。


「ええ、でも、お姫様に何が似合うかと考えて旅をするのはとても楽しいことなのですよ。お姫様が待っていてくれると思えば遠くに行っても寂しくないし、喜んでくれる笑顔を見れば疲れなんて感じないのです」


 それを聞いたお姫様がくすくすと笑う様子がとても可愛らしく幸せそうなので、影との結婚なんて、と不思議に思っていたお城の人たちやお客様も、すばらしい結婚式だ、お似合いのご夫婦だ、と納得するのでした。




 結婚式が終わると、お姫様と影は海の国を訪ねました。王子様と人魚姫は陸の結婚式には来られなかったので、改めてご挨拶に行ったのです。

 人魚になった時にご自分の影が切り離されてしまったことを初めて知った王子様は、寂しい思いをさせたことを大層すまながりましたが、影は構いませんよ、と笑うのでした。


「お陰でお姫様と出会えたのですから。あなたに従うだけだったなら、私は人を愛する喜びを知ることができなかったでしょう」

「私たちは皆、好きな人と結婚することができたのですもの。とても素晴らしいことでしょう?」


 お姫様が付け加えた言葉に、王子様も人魚姫も心からその通りだと頷くことができました。

 こうして、巻貝の手紙には影の声も加わることになりました。それぞれに仲睦まじいふた組の夫婦は、お互いに自分たちこそより深く愛し合っている、より幸せだと自慢し合うのでした。




 影と結婚したお姫様は、末永く幸せに暮らしました。ご自分の影と仲良くお喋りをするお姿は絵にも残っていますし、影に連れられて色々な国を旅した物語もたくさん語り継がれています。どれもわくわくするような冒険なのですが、お姫様と影の物語が愛され親しまれるのは、何よりもおふたりがお互いを助け合い支え合ったからなのは言うまでもありません。

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