3.
最後まで書き終えたフィオナは、もう一度最初から文章を読み返した。勢いに任せた非難はなく、セドリックに謝罪を求める言葉もない。彼が謝れば考え直すための手紙ではなく、既に決めたことを伝えるためのものなのだから、それで十分だった。
封をした書状を送り出したあと、フィオナは部屋の奥にある戸棚を開いた。中には長い婚約期間の間にセドリックから贈られた品々が収められており、一つずつ取り出して机の上へ並べていく。十五歳の誕生日にもらった装飾入りの書物、初めて正式な夜会へ出席した際に贈られた腕輪、以前フィオナが欲しいと言ったことを覚えていて買ってくれた髪飾りもあった。
嫌な思い出ばかりではないからこそ、指先が止まることもあった。幼い頃のセドリックは意地悪をした翌日に菓子を持ってきてくれたし、フィオナが欲しがっていた本を探して贈ってくれたこともある。楽しかった時間まで否定する必要はなく、それらを思い出したところで、これからも彼の婚約者でいなければならない理由にはならなかった。
最後に取り出したのは、婚約の証として贈られた青い宝石の首飾りだった。社交界へ出るようになってから何度も身につけてきたもので、初めて首にかけた日は鏡を見ることさえ恥ずかしかったのを覚えている。フィオナは宝石を掌の上へ載せて眺めたあと、小さな箱へ戻して蓋を閉じ、他の品と一緒に大きな木箱へ収めた。
その日の午後、セドリックから返事が届いた。封筒を開いてみれば、昨夜のことについては悪かったと思っている、ミアとの間には何もない、フィオナがそこまで腹を立てているとは思わなかったという文章が並んでいる。フィオナは読み進めながら、最後に書かれていた一文で目を止めた。
『少し時間を置けば、お前も落ち着くだろう。そのときに二人で話そう』
セドリックは、まだフィオナが怒っているだけだと思っているらしい。いつものように腹を立て、いつものように時間が経てば機嫌を直し、最後には自分のところへ戻ってくる。その認識が手紙の端々から伝わってきて、フィオナは返事を書く代わりに便箋を元の折り目に沿って畳んだ。
翌日、フィオナがまとめた品々がクロフォード侯爵邸へ届けられた。青い宝石の首飾りまで箱に入っているのを見れば、さすがのセドリックも意味を理解するだろうと思っていたところ、その日の夕方には再び彼から書状が届いた。
『本気なのか?』
前日までの余裕が消えた短い文章を眺め、フィオナは静かに封筒へ戻した。自分が何度嫌だと伝えても本気にはしてくれなかった人が、婚約の証を返されて初めてこちらの意思を疑い始めた。そのことに寂しさは覚えても、決断を後悔する気持ちは生まれなかった。
婚約が終われば、両家の間で進められていた話にも変化が生じた。アルヴェイン伯爵家の領地では家具に適した良質な木材が採れ、クロフォード侯爵家はそれを優先的に仕入れて工房へ回していた。将来は親族になるという前提があったため、通常より融通を利かせていた部分も多く、セドリックとの婚姻がなくなれば以前と同じ条件を維持する理由も薄くなる。
フィオナも婚約者として、両家の事業について学ぶ機会を与えられていた。帳簿へ目を通したり、工房を訪れたりした経験があったからこそ、婚姻を前提に組まれた部分がどこにあるのかも理解している。契約の期限が近いものから通常の取引条件へ戻されると、これまで優先的に確保できていた木材を同じようには仕入れられなくなり、クロフォード家の工房では生産計画を見直さなければならなくなった。
それを知ったセドリックから、今度は長い手紙が届いた。自分の振る舞いが悪かったことは認める、これからはフィオナの嫌がることをしない、ミアとも必要以上に親しくしないと書かれていた。文章の後半には、婚約を解消すれば両家にも迷惑がかかるのだから、二人だけの問題として考えるべきではないという言葉まで添えられていた。
フィオナはそこまで読んで、机の上へ便箋を置いた。婚約している間、フィオナが嫌だと伝えたときには変わらなかったのに、自分の生活や家の事業へ影響が及んでから変わると言われても遅い。婚約を続ける理由として両家の事情まで持ち出されたことで、むしろ自分の判断が間違っていなかったと思えた。
ミアとも、別の夜会で顔を合わせる機会があった。フィオナが休憩のため広間の端にある椅子へ腰を下ろしていると、ミアは少し緊張した面持ちで近づいてきた。あの王宮の夜会以来、セドリックとは距離を置いているらしく、彼女の方からフィオナへ話したいことがあると告げた。
「私、あの方がフィオナ様を嫉妬させるために私へ近づいていたなんて知りませんでした。気づいていたら、あんなふうに一緒に踊ったりはしなかったと思います」
「ミア様を責めるつもりはありません。あなたも巻き込まれた側でしょう」
「ありがとうございます。セドリック様からは、その後も何度か話しかけられましたけれど、以前のようなお付き合いはできないとお伝えしました」
ミアはそう言って頭を下げた。フィオナも礼を返し、二人の会話はそこで終わった。彼女を恋敵だと思ったことは最初からなく、セドリックが勝手に利用しただけなのだと改めて分かったことで、フィオナの中に残っていたわずかな引っかかりも消えていった。
婚約者としてセドリックの隣に立たなくなってから、フィオナは以前より夜会を楽しめるようになった。ドレスを選ぶときに彼から何を言われるか考える必要もなく、誰かと話している途中で昔の失敗を披露される心配もない。ダンスへ誘われれば自分の意思で受けるか決められ、帰りたいと思ったときには誰かの機嫌を気にせず会場を離れられる。
そんな時間を重ねるほど、自分が思っていた以上にセドリックの反応を気にして暮らしていたことにも気づかされた。婚約者とは多少我慢するものだと考え、長い付き合いなのだから分かり合えるはずだと自分へ言い聞かせてきた。その努力を続けること自体が、いつの間にか二人の関係を保つ目的になっていたのかもしれなかった。




