12.
最近、フィオナの周囲でセドリックの名前を聞くことが増えていた。
最初に教えてくれたのは、夜会で何度か顔を合わせたことのある子爵家の令息だった。その青年とは共通の知人を交えて話した程度で、特別親しい間柄でもない。それなのに数日後、セドリックからフィオナとはどのような関係なのかと尋ねられたらしい。青年は困惑しながらも、世間話をしただけだと答えたという。
それだけなら、フィオナも聞き流していたかもしれない。けれど似たような話は、その後も別のところから耳に入ってきた。ある令嬢からは最近よく参加している夜会について尋ねられたと聞き、別の知人からは誰と親しくしているのかをセドリックが気にしていたと教えられた。フィオナが知らないところで、彼は少しずつ周囲へ手を伸ばしているらしかった。
エドワードだけを警戒しているのだと思っていたフィオナも、さすがに不快になった。婚約していた頃であれば、交友関係を気にする理由がまったくなかったとは言わない。けれど二人の婚約はとうに解消されている。誰と話そうが、どこへ出かけようが、セドリックへ報告する必要などなかった。
決定的だったのは、ミアから話を聞いたときだった。
午後の茶会を終えて屋敷を出たところで、ミアは少し困ったように眉を下げながらフィオナを呼び止めた。春も深まり、庭を囲む木々には鮮やかな緑が広がっている。先ほどまで大勢の令嬢たちが行き来していた玄関前も、今は帰りの馬車を待つ数人が残っているだけだった。
「フィオナさん。一応、お伝えしておいた方がいいと思うのですけれど……この前、セドリックさんに声をかけられました」
「セドリックさんに?」
「はい。フィオナさんとエドワードさんが最近も会っているのか、と聞かれまして。三人で出かけることが多いのかとも聞かれました」
フィオナは思わず眉を寄せた。自分の知人へ尋ねて回っているだけでも十分に迷惑だったのに、とうとうミアにまで直接確認したらしい。ミアは詳しいことは何も答えず、知りたいのであれば本人へ聞くようにと言ったという。
「申し訳ありません、ミアさん。私のことでご迷惑を……」
「私は大丈夫です。でも、これからも続くのでしたら少し困りますね。フィオナさんと仲良くなるたびに、皆さんが同じことを聞かれるようになってしまいそうですもの」
その言葉はフィオナの胸に残った。自分が無視していれば済む話ではなくなっている。エドワードに続いてミアまで巻き込まれ、このまま放っておけば次は別の友人へ向かうかもしれない。
セドリックがいつか諦めるのを待つつもりはなかった。
翌日、フィオナは短い手紙を書いた。話したいことがあるので時間を作ってほしい。それだけを記し、場所には王都にある庭園を指定した。人目のない場所で二人きりになるつもりはなく、昼間なら散策を楽しむ人々も多い。話を終えれば、そのまま帰ることもできる。
約束の日はよく晴れていた。庭園には色とりどりの花が咲き、石畳の道を挟んで整えられた生垣が続いている。噴水の近くでは親子連れが休み、少し離れたところでは老夫婦がゆっくりと散策していた。フィオナが約束した場所へ着いたときには、セドリックはすでにベンチのそばで待っていた。
彼はフィオナを見つけると、どこか嬉しそうな顔をした。
「お前から呼び出してくるなんて珍しいな。ようやく話す気になったのかと思ったよ」
「お話ししたいことがあったのは事実ですわ」
期待を含んだ表情を見て、フィオナは早くも疲れを覚えた。手紙には関係を修復したいとも、以前のことを話し合いたいとも書いていない。それでもセドリックの中では、フィオナから連絡を寄越したという一点だけで、自分に都合のよい意味へ変わっているらしい。
「最近、私の友人や知人に、私について尋ねて回っているそうですね」
「尋ねて回っているなんて大袈裟だ。少し聞いただけだよ」
「ミアさんにも、エドワードさんとのことを聞いたそうですね」
「ああ。あいつとは今も会っているんだろ?」
悪びれる様子もない返事に、フィオナは小さく息を吐いた。今日ここへ来た理由を理解してもらうには、遠回しな言い方をする方が面倒になりそうだった。
「やめてください。私が誰と会っているのか、誰と親しくしているのかを、周囲の方へ尋ねないでくださいませ」
「心配しているだけだ。あの男がお前に余計なことを言っているかもしれないだろ」
「エドワードさんは関係ありません」
「だったら、どうして俺のところに戻らないんだ?」
あまりにも迷いなく返された言葉に、フィオナはしばらくセドリックを見つめた。
ようやく分かった気がした。彼はずっと理由を探している。フィオナが怒っているから、時間が必要だから、エドワードと親しくなったから。自分以外の何かに原因を求め、それを取り除けば以前の関係へ戻れると考えている。
その中には最初から一つだけ、選択肢が存在していなかった。
「エドワードさんと知り合っていなくても、私はあなたのところへ戻りませんわ。ミアさんと親しくなっていなかったとしても同じです」
「じゃあ、何が原因なんだよ」
「原因を探す必要などありません。私はあなたと結婚したくないのです」
セドリックの表情が険しくなる。何度伝えても、彼にとっては納得できる答えにならないらしい。フィオナには、それ以上に分かりやすい理由を用意することなどできなかった。
「俺たちは十年も一緒にいたんだぞ。そんな簡単に全部なかったことにできるのか?」
「なかったことにはいたしませんわ。楽しかったこともありましたし、幼い頃から一緒に過ごした時間まで嫌いになったわけではありません」
フィオナは幼い頃のセドリックを思い出した。泣かせた翌日に花や菓子を持ってきた少年も、一緒に本を読んだ午後も、今さら消えるものではない。それらを覚えていることと、これから先も彼の隣で生きていくことは、フィオナの中ではまったく別の話だった。
「十年間一緒にいたからといって、これから先も一緒にいなければならないとは思いません」
「だったら、お前はこれから誰を選ぶんだ」
「今は誰も選びませんわ」
セドリックが言葉を失った。その顔を見ながら、フィオナは自分でも驚くほど穏やかな気持ちで続けた。
「私が選んだのは、あなた以外の誰かではありません。あなたと結婚しない人生を選んだのです」
それ以上、話すことはなかった。
フィオナは軽く頭を下げ、石畳の道へ足を向けた。ここまで伝えても理解してもらえないのであれば、同じ言葉を繰り返したところで結果は変わらない。庭園の出口には自家の馬車を待たせてあり、このまま帰るつもりだった。
「待てよ、フィオナ」
背後から足音が迫り、腕を掴まれた。
フィオナはすぐに振り返って手を振りほどいた。セドリックは一瞬驚いた顔をしたものの、退こうとはしなかった。むしろ逃がすまいとするように距離を詰め、フィオナの行く手へ回り込んでくる。
「まだ話は終わってないだろ。お前は今、意地になってるだけだ。もう少し時間が経てば――」
「終わっています。先ほどから何度も申し上げていますわ」
「だから、それは今のお前がそう思っているだけで――」
セドリックが再び手を伸ばした。
乾いた音が庭園に響いた。
フィオナの右手が、セドリックの頬を打っていた。近くを歩いていた人々が驚いてこちらを見る。以前彼を叩いたときよりも掌がじんと痛んだが、フィオナは手を下ろしたまま、呆然とするセドリックを真っ直ぐに見た。
「いい加減にしてください。もう私に付き纏わないで!」
セドリックは赤くなった頬へ手を当てたまま動かなかった。フィオナは息を整え、今度こそ彼へ最後の言葉を告げた。
「私の友人にも、知人にも、これ以上私のことを尋ねないでください。誰と会うのかも、どこへ行くのかも、あなたには関係ありません」
「フィオナ……」
「さようなら、セドリックさん」
フィオナは背を向けた。今度は腕を掴まれることも、名前を呼んで追いかけてくることもなかった。
庭園の出口へ続く道には、春の陽射しが降り注いでいた。両脇の花壇には白や黄色の花が咲き、その向こうでは新しい葉をつけた木々が風に揺れている。フィオナは少し赤くなった右手を見下ろしてから、何事もなかったように歩き続けた。
十年続いた関係に、三度目は必要なかったのだった。




