ハルト、ベルヌの長い一日
「えっ、ラグナロク!?」
ぼくとミュリエルはぎょっとして絵画を見た。
神々の黄昏――それは世界の終りに起きるという神々と巨人族の最終戦争のことだ。
そしてそれは、運命の女神ノルンさまが予言した、この先の未来の話、世界の終りについての物語でもある。
世界の終り――ラグナロクがいつ起こるのだろう。それは明日か、明後日か――それとも来週か、来月か、来年か、数年後か、数十年後か、数百年後か。
預言者にも神々にも、誰にも分かっていないのだ。
ラグナロクが起こる前には前兆があると言われている。
三夏のあいだ、日は暗くなり、そして三冬の間、寒さは厳しくなる。
この三夏三冬時代に、人々は互いに裏切り、この世に戦闘と貪欲さと殺し合いが満ち溢れ、法という法がすべて破られる。
人間の世界ミズガルズはすべて破壊され、親家族、兄弟でも殺し合う地獄となる。
そして、太陽は巨人族のスコル狼が捕えて飲みこまれる。
月はその兄弟のハティ狼が打ち砕いてしまう。そして天空は血で満ちるという。
次に『大いなる冬』という三冬がやってくる。
この間、夏はこない。
冷たい風が吹き荒れ、海の波は天まで達して大地を削っていく。
雪は四方から吹きつけ、厳しい寒さが地上に荒れ狂い、地上に住む人間のほとんどが冥界へ召されるという。
三冬と大いなる冬、つまり今風にいうと、氷河期による人間世界の終末だと言われている……恐ろしい話だが、これはまだラグナロクの前兆にすぎない。
ラグナロクの序幕は、雄鶏で始まる。
巨人の国ヨトゥンヘイム、神々の国アースガルズ、霧の国ニヴルヘイム、それぞれの国で、一羽の雄鶏が鳴くのがラグナロクの始まりだ。
北域を統べる神々であるアースガルズの都に、巨人族が攻めてくる。
巨人族は地獄の死者を乗せた巨船ナグルファルでやってくる。
その梶を取る者は、洞窟に囚われていたはずの悪神ロキだった。
くわしくは省くが、ロキはアースガルズの神殺しの罪で洞窟に幽閉されていた。
かつては大神ヴォーダンさまの義兄弟であり、副軍師として活躍していたロキも、蜜月時代は終わりを告げていた。
この頃になると、ヴォーダンさまとロキは、互いに家族を殺し、憎しみあう仇敵になっていた……
死者の国ヘルヘイムを治める女神ヘルは、ロキの娘であり、彼女がロキを助けたという説もある。
他にもロキが生み出した怪物には、魔狼フェンリルと世界蛇ヨルムンガンドがいて、恐るべき敵であった。
さらに、南方の炎の国ムスペッルヘイムからは、炎の巨人スルトが率いる炎の民ムスペッルらも巨船ナグルファルでやって来る。
巨人族と炎の民、ロキ一族の連合軍がアースガルズに押し寄せる。
虹の橋ビヴロストの袂に、神々の見張りをして下界を監視していた白き神ヘイムダッルが住んでいた。
彼はこの連合軍の存在に気づき、角笛ギャッラホルンを吹き鳴らして、神々に凶事を知らせる。
主神ヴォーダン様が、武装したアースガルズの神々と、ラグナロクのためにヴォーダン様が戦乙女ワルキューレたちに選ばせた人間――神霊の戦士エインヘリャル戦士団を率いてこれと戦う。
ヴィグリードの平地を決戦場にしてアースガルズの神々と巨人族と炎の民、そしてロキ一族の怪物を含めた連合軍は激突する。
大神ヴォーダンさまは、魔狼フェンリルと戦う。
豊穣神フレイさまは、炎の巨人スルトと戦う。
軍神テュールさまは、冥府の番犬ガルムと戦う。
白き神ヘイムダルさまは、宿敵である悪神ロキと戦う。
最強の雷神ソールさまは、世界蛇ヨルムンガルドと戦う。
この壮絶な戦いで、神々とエインヘリャル戦士団も、連合軍の巨人や怪物たちも、ともに相打ちになって幕を閉じる。
炎の巨人スルトが戦闘中に放った火は、アースガルズを燃え尽くし、人間界ミドガルズも、巨人国ヨトゥンヘイムも、死者の国ニヴルヘイムも焼き尽くされる。
神々も巨人も、人間も妖精も小人も、動物も魔物も死に絶え、世界は灰になってしまう。そして大地は海の底に沈んでしまうのだ。
神々でさえ終末には逆らえない。
そのためこの神々と巨人族との最終戦争を『神々の黄昏』あるいは『偉大なる神々の定め』と呼ぶのだ。
運命の女神ノルンは、ラグナロクの後、新しい世界が生まれると予言している。
だが、そこには、ぼくら人間族も、アースガルズの神々もいない……
ぼくが恐るべき未来の終末譜の感慨にふけっていると、
「この絵もギルマスが描いたのか?」
エリーゼがサーリング卿に訪ねた。
「ええ、私ですよ。エリーゼくん」
「とても絵がお上手なんですね」
「そうよ、ロデリックはなんでも上手にこなすんだからぁ!!」
小妖精のエステルが胸をはっていばっている。
「実技試験場にかざってある三軍神の絵もギルドマスターが描いたとうかがいました。とても勇ましく荘厳な絵だったと思います」
「ありがとう。絵を描くのは私の趣味です。昔は興味がなかったのですが、ギルドの仕事をしていると、あまりにもストレスを感じることが多すぎましてねえ……友人に相談したところ、何か没頭できる趣味があればいい、そう聞いたもので、色々と習い事をして趣味探しをしてみました」
「ストレス対策のために……」
きっと、ぼくなんかにはうかがいしれないほどの、苦労があったんだろうなぁ……
「ええ、詩を作ったり、竪琴を習ったり、色々やってみましたが、私の場合、絵画が一番集中できました。人間は何かに集中している間は、悩み事や俗世のことを忘れ果て、いい気分転換になるものですよ」
「へえ……そういうものですか」
「あなたたちも興味があれば、ブラギ教会に行くといいですよ」
「ブラギ教会というと、たしか芸術の神様を信仰する教会でしたね」
「詩芸を司る神ブラギは、アースガルズの神々の中で一番の吟遊詩人と呼ばれ、彼を信仰するブラギ教会では詩や音楽の他にも絵画や文学、演劇、舞踏、彫刻、工芸などの芸術も守護すると拡大解釈していて、そこの司祭たちは信者や近所の人々にも音楽や美術工芸などを教えてくれます」
「へえ……でも、今のところ食堂の仕事と冒険者の仕事をたくさんやろうと思っていますので……」
「生活が安定したら、なにかやってみようと思います」
ミュリエルがギルマスに無難に受け答えした。
「しかし、このラグナロクの絵は気合がはいってんなあ……あれ、あっちにもこっちにも夕景の絵があるぞ!?」
エリーゼの指差す方向に、さまざまな夕陽の絵画が見受けられた。
神々が巨人や怪物と戦う絵もある。
「ラグナロクの絵は私のライフワークです。廊下などに飾ってある神々や怪物の絵などは、このための習作といってもよいかもしれません」
「ライフワーク……」
ぼくらはなんだか呆気にとられた。
「あなたたちには、ダンジョン攻略の即戦力として期待していますよ。まあ、入ったばかりなので、まずは初級クエストをこなしてもらいますが」
「はい。ぼくらもクエストで稼ぐために冒険者ギルドに入ったんです」
「そうですか、正直でよろしい。ところで、ダンジョンは何のために造られたかのでしょう……その理由を知っていますか、ハルトくん?」
いきなり名指しされちゃった。
「え~~と、ダンジョンは深い地下にあり、宝物が眠る地下迷宮で、危険なモンスターが棲みついて困っているから、冒険者が探索して魔物退治をする舞台です」
ぼくが絵物語や吟遊詩人の歌に出てくるダンジョンの知識をいった。
「そういう答えはバツですねえ……」
「ええ……」
ぼくはがっくりして、救いを求めるようにミュリエルを見た。
「では、ミュリエルくんはどうです?」
「ダンジョンは元々、各国の王室がドワーフ族の技術者を招いて、三百年ほど前に各地で造らせた地下都市なの。大いなる冬の時代や、ラグナロクに備えて、人類が生き延びるために備えた避難施設といっていいわ」
「その答えはマルですねえ」
ぼくとエリーゼが「そうなんだ!!」と感心した。
「さすがミュリエルは魔法使い見習いなだけあって、知識が豊富だなあ」
「えへへ……」
頬を染めて恥ずかしがるミュリエルも可愛いものだ。
「ダンジョンというと、今では冒険者が経験値をあげるための地下迷宮という認識になってしましたが、元々は人類が十年は地下で生きていけるよう作られた地下避難都市が本来の意義です。そこを今では、暗いところを好む魔物やモンスターに乗っ取られてしまいました」
「まずいじゃねえか。いざって時に避難できないじゃねえかよ」
「そうです、エリーゼくん。いつか、来たるべき大いなる冬の時代やラグナロクが来た場合のためにモンスター共を駆逐して、いつでもそこに人類が避難して暮らせるようにしておかないといけません」
「へえ……そうだったんですか」
「地下避難都市は、元々は王国で管理と維持をしていましたが、戦争やら政争やらで手が回らなくなり、民間のモンスター退治の専門家に任せるようになりました。それが冒険者ギルドの成り立ちであり、冒険者の誕生というわけですね」
「冒険者は、元々、ダンジョン攻略のために生まれた民間の専門家が発祥だったんですか……」
「そうです。今では冒険者は下層民の何でも屋という認識が強くなっていますが、元来は人類のために戦う立派な職業です。あなたたちも冒険者としての誇りと矜持をもってくださいね」
ぼくらは「はい!!」と答えた。
ぼくらはギルマスに別れを告げ、「黄昏の画廊」本部の建物を去った。
冒険者の誇りと矜持か……サーリング卿はいいこと言うなあ。なんだか鼻息があらくなってしまうや。
帰り道でエリーゼが、
「だけど、あの糸目エルフは変わった奴だったなぁ……」
「ああ……なんだか、サーリング卿はギルドマスターというより、学校の先生みたいだったね」
吟遊詩人の語る冒険者ギルドのギルドマスターは、元勇者や、歴戦の戦士が隠退して、後進を育成するという人物像が多い。
隠退した魔法使いは魔法学校の講師などになることが多いという。
「私もそう感じたの!!」
「たしかにラグナロクの絵を描くのが趣味だなんて、美術の先生みたいだよなぁ……」
「いやまあ……ストレス対策の趣味だと言っていたし、ギルドマスターというのは、大変な仕事なんだと思うよ」
「私もそう思うわ。それにサーリング卿って、ギルドマスターをするくらいだから、魔法使いか精霊使いとして、ものすごい実力を秘めているような気がするの」
ミュリエルが鋭いところを突いてきた。
「あっ、それはぼくも思ったよ……穏やかそうに見えるけど、なんだか、底が知れないものがあるようにも感じた気がする」
なんだろうか。
この胸の奥で感じたもやもやのようなものは?
「わっちも思ったぜ。だけどさぁ……なんていうか、あのギルマスはうさんくさくないか?」
「えっ、どうしてそう思うの、エリーゼ?」
ミュリエルが眉をひそめてエリーゼを見た。
「ほら、前にブリストル司令がサーリング卿は食わせ者だと言ってたじゃねえか」
「ああ……でも、悪い奴じゃないとも言ってたよ」
「でも、な~んか、糸目の奴って、ここ一番って時に裏切りそうじゃないか?」
エリーゼが思わせぶりに小声でいった。
「なんてこと言うんだよ。フラグが立ったらどうするの!?」
「そうなの。ただ目の細い人が怪しいだなんて言っていたら、偏見だって訴えられちゃうの!!」
「だははは……悪い、悪い。今のは忘れてくれ。冗談だって」
「もお……エリーゼは時々とんでもない事を言いだすの……」
「フィヤ!」
ぼくらは、「マルデルの涙亭」に戻り、最上階の屋根裏部屋に行った。
前方の壁が斜めに傾いているのは屋根裏だからだ。
ぼくの部屋でミュリエルとエリーゼと今日のことを少し話した。
すると、窓の外のどこからか、美しい旋律の笛の音が聞えた。
「どこかで、笛の音がするね。綺麗な音色だけど……でも、なんだか悲しい音色みたいだ……」
「ベルヌ地方では、夜吹く笛は、家族の誰かが夜の内に死んだ者を笛で天国へ送るという伝承があるの。きっと、昨年の魔族との戦いで亡くなった兵士の遺族が吹いているのかもしれないの」
「そうか……」
そう言われると、なんだか胸をつかれた想いがした。
ミュリエルとエリーゼが自室に去り、ひとりきりになった。
なんだか急にさびしい感じがした。故郷の家族たちは今頃どうしているだろう。
とにかく今日は色々あった。
ぼくはランプを消して、ベッドに横になり、やがて睡魔がおそってきた。
今回で第三部完結です。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
用意していた登場人物の半分くらいは出せたと思います。
色々と忙しいので、第四部の初級冒険者奮闘編は、ストックがある程度溜まってから再開します。
作品を読んでみて、面白かったと思っていただけましたら、広告下にある《☆☆☆☆☆》に評価していただけましたら、創作活動への大きな励みと活力になります。
星の評価は日間ランキングの順位に大きく関わるため、今作のこれからに大きく影響いたします。
「今作を応援したい!」と思ってくださった方は、なにとぞ応援を、よろしくお願いいたします。




