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その33.勝利の女神は動かない

 篠辺野のスパイ発言で嫌な予感がこみ上げたと思ったら、それから一転して桃色の空気になり、人生で味わったことのない程の興奮を覚えた。

 そうなったと思ったら今度は血の引くような麻莉亜からの連絡。

 俺の心臓も血流も忙しすぎてそれだけで血管破裂を起こしそうだ。


 あの後篠辺野は行かないでと俺を引き止めてくれたのだが、俺は『姉貴が交通事故を起こした』と説明すると納得してくれた。

 どうしても篠辺野の『行為』がトリガーとなったという誤解を引きずっていたようなので、俺はぎゅっと篠辺野を抱きしめ、そうではないことをアピール。

 最後に篠辺野から「かなでって呼んで抱きしめて欲しい」と言われたので、恥ずかしがりながらも「俺もかなでのことが大好きだ」と言って抱きしめてやり、篠辺野宅から出て行った。


 正直、その後も篠辺野と色々愛を語り合っていたかったというのは事実だ。

 だが、本当にそれ以上に頭がおかしくなりそうな程動揺していたというのも事実。

 麻莉亜が人を殺すなんてことは絶対に有り得ないはずだから。



 篠辺野の家を出て、走って最寄りの駅に向かい、まだかまだかと電車の到着を待った。

 その間麻莉亜に何度も連絡を取ってみたが、応答はなかった。

 代わりに小夏から「早く帰って来て欲しい」と連絡があった。

 もしかしたら『人を殺した』というのが小夏のことだったらどうしようかと思ったのだが、それは見当違いだったようで、ひとまず安心だ。

 小夏にも状況が全く掴めていないらしく、麻莉亜は自分の寝床でずっと眠ったまま動かないらしい。

 俺は既に家に向かっていることを告げ、心臓をバクバクさせながらようやく到着した電車に乗り込んだ。



 エボルが登場するまで、アンドロイドが人を殺すなんてことは今まで1度たりとも聞いたことがない。

 エボルが登場してからも、ゲーム以外でアンドロイドが人を殺したという事案も今のところ恐らくないと思う。

 もしかして麻莉亜は間違ってゲームで人を殺めてしまったのかと思ったが、それも信じられた話ではない。


 麻莉亜は最初からずっと打倒エボルを目指してゲームに取り組んでいた。

 親父やお袋の仇を取るのだと、恐らく誰よりも早くレベル7まで上り詰めただろう。

 それほどまで強い意志があったのも関わらず、レベル7以降はピタっとレベルが止まった。

 断言できるが、それは意志が曲がったからではない。

 麻莉亜は俺と同等に親父のこともお袋のことも、心の底から守るべき存在だと思っているんだ。


 麻莉亜のレベルが止まったのは、人と対戦することができないから。

 麻莉亜は表には出さないが、相当悔しい思いをしていたはずだ。

 どうしても自分の手で親父やお袋の仇を取ってやりたいと思っていたはずだから。

 それでも、それ以上に人に危害を加えてしまう可能性がある対人戦でのゲームに手を出さなかった。

 いや、出せなかったんだ。

 人に危害を加える可能性のある行為をしてはならないというのは、麻莉亜にとって絶対に破ってはならない鉄の掟なのだから。


 もし、本当に麻莉亜が今人を殺したのであれば、経緯はどうあれ、自我の崩壊を起こすレベルで苦悩しているだろうことが予測できる。

 意識を落としたというのも納得の行く話だ。


 これは只事ではない。

 とにかく状況を把握しないことには何も進まない。

 俺は家の最寄り駅に着くと、最大限の力を使って自宅へと突っ走っていった。





「麻莉亜!!」


 自宅へ帰ると、小夏がすぐに出迎えてくれた。

 俺は小夏に連れられるがまま麻莉亜の眠っている部屋へと移動する。


「…………」


 小夏の言っていた通り、麻莉亜は布団に入って眠っていた。

 麻莉亜は俺の活動している時間は極力活動するようにしてくれていたので、目を瞑った麻莉亜を見るのは本当に久しぶりな気がする。

 

「麻莉亜? おい、麻莉亜!」


 俺は眠る麻莉亜の手を取ってそう呼びかけてみる。

 麻莉亜の手が熱い。

 麻莉亜の体温は人と同じ体温を保つように設計されているはずで、病気も起こりようがない為こんな体温が上がることは有り得ない。

 麻莉亜の額にも手を当ててみる。

 非常に熱い。

 コンピュータが熱暴走を起こしているかのような熱さだ。


 このご時世コンピュータが熱暴走なんていうのは有り得ないのだが、昔のアンドロイドは極稀にそんなことが起きることもあった。

 アンドロイドの弱点というべきか、アンドロイドの返答に困るような質問をしたり、アンドロイドがどう対処していいか分からないような事態に陥ったりすると、稀に熱暴走を起こすんだ。

 麻莉亜はもちろん、今のアンドロイドにはそんな例が起こった話を聞いたことがない。

 とうの昔に熱暴走の問題はクリアされているはずだろうし。


 小夏もそれに気がついているようで、麻莉亜の枕には氷の詰まったシートが敷かれていた。

 俺が祈るような気持ちで麻莉亜の手を握り、名前を呼び続けていると、不意に麻莉亜が手を握り返してきた。


「麻莉亜!!」

「……海人……さん……ですね……」


 麻莉亜は体を起こすこともなく、天井を見たままそう力なく答えた。

 その目が虚ろで、まるで人形のようだ。


「どうしたんだよ麻莉亜!! 何でこんな風になった!? 人を殺したって何だ!?」

「本当に……申し訳……ありません。私は……絶対にしてはならないことをしてしまいました……。倫理の外れたアンドロイドは……この世に存在することが許されません……」

「そんなことねぇよ!! 何か理由があったんだろ!? 話してくれよ!! 麻莉亜!!」


 俺がそう必死に訴えても、麻莉亜は少しも体を動かすことなくゆっくりと目を閉じてしまった。


「海人さんの顔が見れて……良かった……」

「麻莉亜……? 麻莉亜!! 麻莉亜!!!」


 目を瞑ったあと、麻莉亜はそう力なく漏らす。

 それはまるで、最後の言葉であるかのように。

 一瞬そんなことが頭をよぎったので、俺は何度も何度も麻莉亜の名前を呼びつづけた。

 それでも麻莉亜が返事を返してくれることはなかった。


 麻莉亜からの反応がなくなったことを確認すると、俺は思い出したように麻莉亜のまぶたをこじ開けてみる。

 麻莉亜の瞳は緑色に点灯していた。

 これは完全に電源が落ち、麻莉亜は全ての機能を停止させた訳ではないということを物語っている。

 それを見て、とりあえずのところは安心するのだが……。


「麻莉亜どうしたの? 電源が落ちただけなんでしょ!? 故障とかじゃないんだよね!?」

「……あぁ。意識を落としているだけで、内部は動いている。自分の意志で目を覚まそうとしていないのは間違いないと思う」

「そう……良かった……」


 俺も最初何かの異常を疑ったのだが、この様子を見る限りではそうではないようだ。

 機械系の異常で麻莉亜が自分で直せないものなら、七原研究所を失った今他に直せる者はいない。

 直すことで出来ないのであれば、麻莉亜を動かすことは永遠にできなくなってしまう。

 もしそんな事態になったのであれば俺も絶望していたところだった。


「小春は……?」

「まだ帰ってきてない」

「……何があったか知ってる人間はいないのか?」

「私が帰ってきた時は家に麻莉亜の姿はなかったと思う。私はゲームでVRにずっといたんだけど、VRから戻ってきた時に麻莉亜からの連絡に気がついたのが最初で……」

「何か思い当たる節とかないのか……? 本当に何の前触れもなく、麻莉亜が突然人を殺したのか……?」

「思い当たる節は……ない。でも、あんたには話しておきたいことがある」

「……なんだよ、話しておきたいことって」

「ちょっと来て」


 小夏は麻莉亜の部屋から出て、リビングへと俺を誘う。

 そして小夏は神妙な顔つきで、小夏の知っていることを全て洗いざらい話してくれた。



 麻莉亜は小夏と一緒に、俺と篠辺野のデートを尾行していたらしい。

 本来は怒るべきところなのだろうが、この際そんなことはどうだって良い。

 その尾行のその際中に麻莉亜は二度、今のように意識を落としたらしいが、ちょっと前に話を聞いたのがそれだ。


 最初に麻莉亜が意識を落としたのは、俺が篠辺野とアイス屋でべったりしている所を見た時。

 麻莉亜が意識を落とす直前に『俺が話す内容は同じでも、相手が麻莉亜と篠辺野とで態度が全然違う』と麻莉亜が言ってたことが印象に残っていると、小夏は話してくれた。

 その後に『情報整理』だとか言って、一度意識を落としたのだとか。


 麻莉亜が二度目に意識を落としたのは俺がゴロツキに絡まれ、ゲームで対戦することになった時。

 その時麻莉亜はアシストに出ようとしてくれていたみたいなのだが、その時に篠辺野が俺のアシストについたのを見て、急に麻莉亜は倒れてしまったのだと言う。


 その様子から小夏は『麻莉亜は篠辺野に自分の居場所を奪われたのだと思い、絶望したのではないか』と俺に言ってきた。

 でも、俺にはそうは思えない。

 今のように『人を殺した』レベルで重大な過ちを犯した訳でもないのに、アンドロイドがそんなことで意識を落とすなんてどう考えても有り得ない。

 もっとアンドロイドの根源に関わる、いや、麻莉亜の根源に関わる重要な何かを……自分の中で自己矛盾を発生させてしまったんだ。

 俺と篠辺野の様子を見て。

 理由は分からないが。


 でも、小夏から話を聞けたのはそこまで。

 それから俺は何も知らずに麻莉亜に『これからも頼む』と伝え、麻莉亜はそれに答えてくれた。

 麻莉亜は二度とこのようなことは起こらないと言っていたはずなのに、こうして人を殺して、再び意識を飛ばしてしまっている。


「……麻莉亜、本当に人を殺したのかな」

「……どういうことだ?」

「海人の気を引くための狂言……なんてことはないかな……」

「……そうであって欲しい。だが、そんなことはないと思う。くだらないジョークはいくらでも言う麻莉亜だが、こんなクリティカルな笑えないジョークは絶対に言わないし、無意味な嘘を俺にはつかない。可能性は低いと思う」

「…………。じゃあ、麻莉亜に殺された人がどこかにいるってこと?」

「……考えたくはないが」


 俺と小夏の間に無言の間が走る。

 こんなことは初めてなので、小夏はどうしていいのか分からないのだろう。

 それは俺も同じだ。


 こうして熱を帯びて眠っている麻莉亜が、俺にはひどく辛そうに見える。

 どうして麻莉亜の異変に少しでも気がついていたのに、俺がそばに居てやれなかったのかという後悔が徐々に出てきた。


「ゲーム……なのかな。クライシスゲームで麻莉亜が間違っちゃったってことは……」

「確率は低そうだな……。確かに麻莉亜が自分から人間にゲームを仕掛けることはないが、人からゲームを仕掛けられたらこの限りではない。でもその場合普段他人とは極力接しないようにしている麻莉亜が何でゲームを仕掛けられたのかっていう疑問が出てくるし、ゲームで対戦を行ったとしても相手が死ぬようなことが起こらないように、細心の注意を払えるはずなんだが……」

「…………」

「……でも、逆に麻莉亜が人と取っ組み合いをして殺したっていう方が非現実的な気もするから、やっぱりゲームでの対戦が一番現実的なのかもな……」


「……麻莉亜の行動範囲……行きそうな場所って分かる? 私、ちょっと色々調べてくる。殺された人がいるなら事件になっているだろうし、目撃者もいるかもしれない」

「俺も行く!」

「あんたは麻莉亜の傍に居てやんなさい!」

「…………」


 俺もそれに着いていこうとしたら、小夏に怒られてしまった。

 ……確かに、今までの話の流れからすれば俺が傍に居てやれるのが一番良いとは思うんだが。


「麻莉亜が意識を取り戻したら連絡して。私も何か分かったらすぐに連絡するから」

「……すまん」

「何謝ってんのよ。私だって麻莉亜が心配なのは同じ。あんただけが心配してると思わないで」

「……ありがとう」


 ミニマム姉妹と麻莉亜の仲も、麻莉亜が生まれて俺の所に来てからずっと続いている。

 そりが合わない麻莉亜とミニマム姉妹ではあるけれども、それは嫌い合っているからではない。

 小夏や小春が病気した時は麻莉亜だって心配するし、麻莉亜がこうして倒れた時は2人共心配してくれる。

 互いにどう思っているのかは分からないが、裏ではしっかり信頼しあっているんだ。


 小夏はそう言うと、俺から麻莉亜の行きそうな場所を聞き出した後、外へ出かけて行った。

 俺は小夏の言いつけ通り、麻莉亜の部屋に戻って麻莉亜の傍に居てやることにする。


「…………麻莉亜」


 麻莉亜の手を握り、名前を呼ぶのだがさっきのように応答が返ってこない。

 明後日に黒波との決闘が執り行われると決まると、突然篠辺野に衝撃のスパイ発言をもらった。

 かと思ったら、今度は勝利の女神が動かなくなってしまった。

 次から次へとやってくる出来事に俺は頭を悩ませる。


「どうしちまったんだよ……麻莉亜……」


 俺はそれから麻莉亜の傍を離れることなく、麻莉亜が目を覚ますのをずっと待ち続けるのだった。

 しかし、それでも以降麻莉亜が目を覚ますことはなかった。

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