その32.熱した空気が冷えたワケ
「…………」
「………………」
俺があれこれ言い訳する前に、篠辺野が拗ねた。
壁に向かって体育座りしているだけで、一切言葉を発しなくなってしまった。
俺がいくら謝っても一切口を利いてくれない。
思った以上に篠辺野の心の傷は深そうだ。
「……もう、お嫁にいけない」
「…………」
ようやく発した言葉がそれだった。
もう、俺だって何て声をかけたらいいか分からない。
そりゃ、篠辺野は勝手に見ないで欲しいと思っただろうけれどもさ、俺は軽い気持ちで宝の山を漁っていただけだったんだ。
そこにまさかこんな核地雷が埋まっているとは本当に思わなかったんだよ。
「……いいよいいよ、私はどうせ腐った変態女ですよ。女子高生の変態なめんな。私はどうせ九条さんのように清廉で凛々しい女じゃありませんよ」
「…………」
余裕があるのか、それとも相当やけくそになっているのか、その口調は俺が以前言ったような口調にそっくりだ。
「だ、大丈夫だって! ほ、ほら! 俺の方が変態だから!」
何のフォローにもなってない気がするが、とりあえず思いつく限りの慰め文句は言っておこうと思う。
「……七原くんは発育しすぎた妹だもんね……」
「ひぃーーー!!!! 言わないでくれ! あれは……もう捨てた!!」
捨てたというか、何か一部なくなってただけなんだけれどもな。
どうせ麻莉亜に見つかって捨てられたんだと思うが、小夏や小春の前でエロ本捨てるなふざけるなとも言いにくいので放置してある。
「そうだもんね……九条さんと小春ちゃんがいるから、今の七原くんに本は必要ないもんね。七原くんだって九条さんや小春ちゃんで色々想像してる変態だもんね……」
「してねぇよ!!」
「じゃあ、変態じゃないじゃない。変態なのは私だけですよ……」
「変態だよ! 俺、すっげー変態!!」
何言ってんだ俺は。
「ほら! 俺、あれ以外にも色々エグい本持っててさ!!」
何言ってんだ俺はっ!
「……発育しすぎた妹……スイカ三姉妹……危険な桃色の果実……」
「ひぃいいぃいいい!!」
篠辺野が呪いの魔法のように、俺の宝物の名前をぽつりぽつりと呟いていく。
これだけ私は見ましたよということで、自分の方も重要な秘密を持っているアピールでもしているのだろうか。
「分かった分かった。これは2人だけの秘密だ! 誰にも話さない、2人だけの秘密! 俺だって……いや、っつーか変態っつーのは俺のような奴のことを言うんだよ。女に変態は名乗らせない! こんなの普通だろ! そういえば小夏もこんなの読んでた気がするぞ? こんなの普通のレディコミだろ!」
「九条さんも……」
その言葉で、ようやく篠辺野がゆっくと体を回転させ、こちらの方を振り向いてくれた。
そして真っ赤な顔を膝の中に半分埋めたまま、うるうるした上目遣いで俺の方を見てくる。
すまん小夏!!
お前に全く罪はない。
今のはもちろん嘘だ。
完全なる白、潔白なのは分かってる。
でも、こうして言ってやらないと篠辺野が調子を戻してくれないんだよ!
「ほんとに……?」
「あぁ、本当だ! あんなの全然だわ。普通のレディコミじゃねぇか。みんな読んでるっつーの」
とは言いつつ、本音は相当びっくりしてます。
ごめんなさい。
俺がそうフォローすると、篠辺野は無言のまま体育座りのままもぞもぞ動いて、自分の描いた『愛の奴隷』を手にとる。
そしてゆっくりとページをめくって中身を確認し始めた。
「……あのね……こうしないと、読んでくれないの」
「読んでくれない……?」
篠辺野は中身を確認しながらぽつりとそう呟く。
「うん……。ネット上に同人の漫画を投稿できるサイトがあるんだけれどもね、私そこでちまちま活動していた時があったんだ。その時は一生懸命漫画を書いては出してみたんだけれども、観覧数が0が続くの」
「観覧数0? いやいやいや、表紙だけでも十分目に留まるくらいうまいじゃねぇか」
「その時は絵も今より下手だったし、絵のうまさとかはあんまり関係ないと思うんだ。でも、そのサイトで実際に漫画家デビューした人とかもいて、私もそれを目指して毎日徹夜する勢いでどんどん漫画を書いていったの。それでも、観覧数1位の人は400万とか観覧数があるのに、私のは0とか1とか、一桁。面白い面白くない以前に、全然読まれなかったんだ」
「そりゃまた、競争率の高そうな……」
「色んな努力をしてみたんだよ。絵も構図も話の内容もすごく研究して、その果てに描き上げた一本が今七原くんが読んでいる『冷たい愛の殺人機』。私なりに自信あったのに、それでも1巻の観覧数が120程度」
「この話で!? じゃあ、そのサイトの1位はさぞかし面白いんだろうな……」
「う~ん……。というか、趣向の問題だったと思うんだ。その先に書いたのがこれなの」
そう言って篠辺野は『愛の奴隷』の表紙を恥ずかしそうにちょっぴりと俺に見せてくる。
「こういうエッチな漫画の方が読んでくれるのかなって思ったら、大当たり。観覧数が伸びに伸びて80万を軽く超えちゃったよ……」
篠辺野は苦笑いしながらそう言う。
「エロパワー凄いな……」
「ね……。お陰で二階堂勝はそのサイトでは割りと著名な作家になったけれども、本来の私のペンネームは埋もれたまま。何か違うな~って思って、それ以降そういうのは書くのやめちゃったんだけどね……」
「なるほど……」
「はいはい、言い訳言い訳。変態女の見苦しい言い訳ですよ~」
そう言って篠辺野は不貞腐れて顔を背ける。
篠辺野が『変態』という言葉を出すだけで興奮するというのに、その恥ずかしがる仕草が可愛すぎて、俺の脳みそがとろけてしまいそうだ。
「まぁ……でも、どうなんだろうな。篠辺野が漫画を描く目的っつーか、自分が描きたいものを優先するか、見てもらえるものを優先するかって話になってくるのかな……」
「うん……。将来は漫画家になりたいから、そういう読者を意識したものが書けるようにならないといけないなとは思うんだけれども、やっぱり私はそういうの無しで勝負したいなって思う。だから今もなお日々努力を重ねているでありますよ……」
「なれるさ」
「…………」
俺は笑顔を作って、間髪入れずにそう篠辺野向けてハッキリ言ってやった。
「篠辺野、才能あると思うよ。たった一読者の意見だけどさ、俺、この『冷たい愛の殺人機』すっげぇ面白いと思うもん。俺は漫画の世界とかよく分からないけれども、もっと自信を持って頑張っていいと思う! 漫画家デビューしたら真っ先に教えてくれよな! 一番最初の読者になってやるさ!」
「七原くん……ありがとう。本当に嬉しい」
俺がそう言うと、篠辺野は顔を更に赤くしながらもにこっと笑ってそう答えてくれた。
なんだか一番最初に篠辺野とまともに話した、文化祭の準備期間を思い出す。
あの時の篠辺野は本当に一生懸命で良い顔をしていた。
きっとあんな調子で活き活きと漫画を書いているんだろう。
だからこの漫画には篠辺野の思いがこんなにもダイレクトに伝わってくる、いい話になっているんだと思う。
そんな夢に向かってキラキラ輝きながら真っ直ぐ走っている篠辺野は、本当に魅力的だ。
漫画業界のことはよく知らないし、無責任なことは言えないけれども、篠辺野ならなれると思うし、心の底から応援したいと思った。
そんなやり取りをしていると、不意に篠辺野は体育座りのまま俺の隣に移動してくる。
そしてベッドから薄い掛け布団を一枚バサッと取って、エスキモーのように布団で自分の体を覆った。
何してんだと思いながらその様子を見ていると、篠辺野は俺にもたれかかるような位置に座り、そこで俺の制服を摘んでクイクイ引っ張ってきた。
「ちょいちょい」
「ど、どした?」
「……七原くんは……その……さっき自分のことをすっげー変態だーって言ってたよね……?」
「お、おう。変態だぞ……。世の中の男子高校生、みんな漏れ無く変態だ」
「……や、やっぱり……その、毎晩九条さんと……へ、変態なこと……してたりするの?」
「し、しねぇよ!! いくら変態でも、そんなことはしない! 俺は変態紳士だからな!」
「ふ~ん……。なんだ。じゃあ、変態じゃないんだ……」
「…………」
な、何だこの空気。
篠辺野は顔を真っ赤にして俺に寄りかかりながらも、なんだかソワソワ落ち着かない様子をしている。
篠辺野の危険な桃色の果実が俺の腕に当たってるし、俺のロケットも今にも発射しそうだ。
も、もしかしてこれは愛の奴隷なんじゃないのか!?
そうなのかぁ!!?
「変態……だって……」
「……じゃ、じゃあ、七原くんが変態だっていうのを……証明してみせて……」
篠辺野はそう言うと、顔を近づけて頬を俺の頬に当ててきた。
滅茶苦茶熱い。
俺の頬も熱くなっているんだろうけど、篠辺野の頬も滅茶苦茶火照っているのがよく分かる。
まずい。
まじで俺、ここで頭を吹っ飛ばす勢いで爆発するかもしれん!!
「七原くん……」
「…………」
篠辺野は俺の頬から顔を離すと、うるうるした目で俺のことを見てくる。
そして少しの間見つめ合うと、篠辺野の顔がゆっくりと近づいてきた。
――――――っ!!
テロン。
「わ、わりぃ」
「もぅ……本当に変態……」
篠辺野の顔が近づこうとしている時、急に視界にIPが立ち上がった。
この絶妙なタイミングでやってくるとは本当に空気の読めないIPだと思いながら、サッとIPを視界外に追いやろうとしたら、その手が篠辺野の胸に当たってしまった。
そのせいで篠辺野は近づけていた顔を一旦俺から距離を離してしまう。
そして篠辺野は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに胸をガードする格好を取って、そう言ってきた。
「ち、違うんだって。急にIPが立ち上がったから……」
「ありゃ……なんだ……七原くんがせっかちって訳じゃないのか……。つまんない……」
「…………」
せっかく雰囲気が最高潮まで達して完成したというのに、空気の読めないIPのせいで本当に台無しだ。
篠辺野も布団を体からするりと落とし、俺にIPを確認していいよと促してくる。
俺としてはそんなのどうでもいいからはよ続きと思ったのだが、篠辺野も少し熱が抜けてしまったような感じだったので、壊れた空気に流されて渋々IPを確認してみた。
「…………」
そのIPは麻莉亜からのメールを知らせるものだった。
まさか麻莉亜がこの状況をどっかで確認していて、それに水をさそうとしたんじゃあるまいな。
もしそうだったら麻莉亜を一生恨んでやるとか思いながら中身を確認していく。
だがそれを確認した瞬間、全身の血の気が引いていくような感覚に陥った。
その連絡を見て一瞬にして帯びていた熱を冷ました俺は、頭が真っ白になって固まってしまった。
「……何かあった?」
「……篠辺野。本当にごめんな。俺、今から家に帰るわ」
色々と嫌なものがうちからこみ上げてくる。
どうしていいか分からなくなった俺は、気がついたら篠辺野にそう返していた。
「ど、どうしたの急に?」
「……すまん、重要な知らせだった」
「……ご、ごめん。わ、私、こんなはしたないことしたから……。き、嫌われちゃった……」
「違う違う!! 本当に違うんだ! 恥を欠かせてしまったようで、本当にすまん! でも、家族の危篤レベルでやばい知らせなんだ! 本当にすまない!!」
「…………」
そうは言うも、篠辺野は自分の行動のせいで俺が無理やり話を逸らしたのだと思い込んでいるようだ。
何とかその辺りの誤解は解いておきたい。
でも、それどころじゃないんだ。
さっき確認した麻莉亜からもらったメッセージをもう一度確認してみる。
そこには見間違いでも何でもなく、確かにこう表示されていた。
『人間を殺してしまいました。しばらく意識を落とします』
と――。




