六、
勇樹が宙づりの状態からようやく解放されたのは、廃教会の目の前に到着した頃だった。
あまり経験したことのない体勢に奇妙な疲労感を覚え、ため息をついたが、先ほどの戦闘で負った傷と疲労はすっかり癒えていた。
「……で、僕たちに話さなかったのは、単に時間がなかったからなのかい?」
「今聞くのかよ」
「そうだよ?」
ニコルはにっこりとほほ笑んだつもりなのだろうが、目は笑っていないのが勇樹にはわかった。付き合い自体は大して長くないが、それだけはなんとなしにわかる。
ここは、正直に答えた方がいいだろうと勇樹は判断し、そっとため息をついた。
「そうだよ。あと、お前らがどこにいるかわからなかったからな」
「う……」
「それなのにいわれのない理由で宙づりにされた揚句、ぼこぼこにされそうな雰囲気というのはどういうことかな?」
「うぅ……」
勇樹はいらだちを隠した微笑みを見せた。
ニコルはその微笑みを見て、今までのお返しだと言うことを察した。
だが、それはあまり長続きしなかった。
勇樹自身、あまり時間がないことは自覚していたし、なにより、ここでじゃれて時間をつぶしたせいで旧支配者を目覚めさせてしまったという結果になってしまっては、明日の目覚めが悪い。
「……なんて、ふざけている場合じゃない。早く行こう」
「あ……うん」
ニコルは勇樹が協力を求めてきたことを意外に思った。
常に教室で一人でいて、実習でもあまり同じ班員とは話さない。孤独を愛する一匹オオカミ、というものがニコルの中での勇樹の印象だったのだが、しっかりと感情表現できるし、相手とも真剣に話をする。
なにより、自分たちに協力を求めなかったことに対し、自分から謝罪していた。
――いや、もしかしたら、これが彼の素なのかもしれない。
ニコルは微笑みながら勇樹の後に続いた。
半ば置き去りにされていたリーネと彩も、二人の後に続いて行く。
教会の中に入ると、異様な気配が満ちていることを感じた。だが、唯一の救いは、それが邪気の類ではなく、異なる属性を持つ精霊が、複数体、同時に一つの空間に存在しているために生じているマナの揺らぎからくるものであるということだろう。
「……何体召喚してんのよ、あいつら……」
シルフは呆れた、といったように重々しくため息をついた。
ニコルはその様子を見て、なぜそこまで呆れるのかを問いただした。
「仕方ないんじゃないかな?監禁されてるんだったら、精霊の力を借りた方が早いだろうし」
「だからって、こうやって一つの場所にいろんな属性の精霊を一度に召喚したら、マナの調和が乱れて逆にあいつを召喚しやすくなっちゃうのよ」
いくら人間がパニックに陥りやすい生き物でも、少しは考えて行動してほしいわ。
シルフはなおもぐちぐちと文句を言っていた。
確かに、この場一帯のマナには乱れを感じる。だが、今のところはマナが乱れているだけで、この教会がある森の生き物たちに何かしらの影響を与えるとは考えにくい。
それに何より、この事態が早々に収拾し、精霊たちを元いた世界に送還すれば、この星の修正力で基の状態に戻すことも可能になるはずだ。
勇樹は、いや、勇樹たちはシルフがなぜここまでいらだっているのか、その正確な理由が未だにわからずにいた。
シルフが呆れたため息をついた頃、桜をはじめとする見習い召喚士は教会の地下から脱出を試み、上の階を目指していた。
しかし、目の前には玉虫色の泡立つ物体が道をふさいでいた。いや、ただの物体ではないことはすぐに察しがついた。
物体は、まるで意思を持っているかのようにこちらの方に動いてきた。そして、その先端がくぱりと開いた。その開いた穴には、無数の鋭く白い牙が生えていた。おそらく、これが口なのだろう。その口からは、小鳥のような高い音で「てけりり、てけりり」と鳴いた。
この場にいたすべての見習い召喚士たちは、そのおぞましい姿を見た。
そして、何人かは、そのおぞましさと悪臭に耐えきれず、あるものはその場で嘔吐し、あるものはその場に立ち尽くし、そしてあるものは矢継ぎ早に言葉を口にした。
その中で、唯一、桜は恐怖心を乗り越え、この異形と対峙することができていた。




