第9話 胸の奥から黒いドロドロが(ヒナ視点)
……。
ガリガリだ。
ちょっと前までは「ミレイずるい! 私も痩せたいよー」なんて言ってたのに、今じゃガリガリのミレイとそんなに変わらない。
一週間程度食欲が無いだけで、人はこんなに痩せるんだな。
あの日から、お腹が空かないし、眠くても眠れない日が続いている。
一週間程度だろと言われれば、そうなんだけど。
自業自得だろと言われれば、そのとおりなんだけど。
それでもしんどいものはしんどい。
死んじゃおうかな。
なんて一瞬考えたけど、すぐやめた。
悲しむ家族の顔、友達の顔、ケイタの顔が思い浮かぶから。
私の大切な人たちはみんな優しいから、私が死んだら自分を責めるだろう。
そんなバカなことを考えていたら、また、涙が、溢れてきてしまった。
自分が悪いのに。わかっているのに。感情のコントロールができない。
……。
朝か。学校へ行かなきゃ。
◇
「おはようケイタ」
「おはようヒナ」
あんなことがあっても、ケイタはこれまで通り……私と一緒に登校してくれる。事件から二、三日は少ししんどそうだったけど、今はもう平気なのかな。多分。マサヒロのおかげだ。
ここ一週間のマサヒロは、ケイタと普通の友達みたいに一緒にいる。昼ごはんも一緒に食べているし、休み時間も少し話している。もう、ガリ勉と呼ぶのも憚られるくらい普通だ。
マサヒロは勉強にしか興味がないと思ってたから意外だった。そして、そのおかげでケイタの目から赤さが消えていったことを考えると、マサヒロには感謝しかない。
ただ、マサヒロには嫌われてしまったみたいだ。それも当然だろう。私とレオンはクラスの奴らからしたら、悪趣味な悪戯を仕掛けたバカ二人なわけだ。それでも、事件から一週間も経てば皆、何も無かったかのように接してくれる。
……。
問題は私だ。一度自覚してしまった「初恋」は思いのほか面倒な感情で、仕舞い込もうとしても、箱の中には収まらない。こんなにも好きだというのに、それを伝えられないもどかしさ。そして、こんなに好きな相手を傷つけた罪悪感が、土石流のように襲いかかってくる。
胸の奥から湧き上がる何かが、口から溢れ出る前に飲み込み、代わりの言葉を吐き出す。
「ケイタ、最近マサヒロと仲良いよね」
「ああ。あいつはいい奴だ。知ってるか? マサヒロって笑うんだよ」
「それは流石に知ってるよ。マサヒロをなんだと思ってたの?」
「本当、なんだと思ってたんだろうな。俺は全然周りの奴のことを見てなかったみたいだ」
ケイタは真っ直ぐ前を見ながらヘラヘラ笑っている。
あぁ。好きだなあ。
こうして横から見ると、ケイタは案外綺麗な顔をしている。切れ長の目に長いまつげ。鼻がスラっとしていて、横から見るととんがってる。顎もくっきり形がわかる感じだ。
考えてみれば、いつも私が少し前を歩いて、その斜め後ろをケイタが付いてくる形が多かった気がする。だから、こうして横から見るケイタは案外新鮮だ。
ああ。好きだなあ。
「ヒナ」
「え、ああ? どしたの?」
「来月、俺の誕生日なんだが」
「知ってる」
「今年はマサヒロが祝ってくれるらしい」
「え?」
「思えば、ヒナ以外の友達が誕生日を祝ってくれるなんてことは、今まで無かったよな。楽しみだ」
「それはよかったね」
え……。マサヒロ? 最近仲が良いなとは思っていたけど……。毎年私が祝ってたのにな。いや、去年は「ヒナの彼氏に悪いから」って、ケイタに断られたんだっけ。だからこそ、今年は二年分祝おうと思って、プレゼントを考えてたのに……。でも、しょうがないか。あんなことがあった訳だもんね。ケイタも私に祝われたいとは思っていないか。別に今だって、いつも通り一緒に登校しているだけで、何か変化するきっかけがあればこの時間も——。
「——って感じなんだが、良いか?」
「……」
「ヒナ? 聞いてるのか?」
「え、あぁ、うん。今年も無しってことだよね?」
「無し?」
「違うの?」
「やっぱり、話を聞いてなかったか」
「話?」
「マサヒロとミレイが今年は一緒に祝ってくれるらしいから、パーティをしようと」
「ああ!? そういうことか!」
盛大な勘違いをしてしまった。そっか。マサヒロとミレイと一緒にパーティか。よかった。二人っきりではないけど、今年はケイタを祝えるんだ。そもそも、恋人でもないのに、毎年誕生日を二人で祝っていたのは、幼馴染という関係もあったけど、ケイタにそこまで仲の良い友達が多くなかったから、というのも確かにあった。
「ぼうっとしてると転ぶぞ」
「転ばないよー! っとっと……っ!」
「おっと」
「……」
「言ってる側からだったな。大丈夫か?」
「うん」
……。
別に変なことはない。転びそうになって、体を支えられただけ……。別にこれまでだって、何度もこんなシチュエーションはあった。
好きとか、好きじゃないとか、そんなことを意識していなかった頃は気づかなかったけど……ケイタ。
咄嗟の出来事だというのに、なぜこうもフワッと人を支えられるのだろう。筋肉質で筋張った腕なのに、なぜか柔らかい感じがする。
不思議……。
「ヒナ」
「ん?」
「軽くなったな」
「え?」
「なんでもない。ほら、ちゃんと立て。遅刻するぞ」
「はーい」
ああ。好きだなあ。
大好きだなあ。
あぁ……。
◇
「ミレイーお昼食べよー」
「ん」
昼休み。いつも通り、ミレイとお昼ご飯を食べようとしていると、マサヒロが声をかけてきた。
「おい」
「何?」
ケイタを立ち直らせてくれたマサヒロには感謝している。感謝はしているのだが……。
正直、若干気まずい。
事件翌日に言い合いをして、それが最後の会話なのだから、そりゃあね。ケイタと一緒に帰ろうとしたのに、何回か邪魔されたし。
「作戦会議やるぞ」
「え?」
「作戦会議だ」
「何? 作戦会議って」
「ケイタから聞いてねえのか? パーティの……」
「ああ、その話か。『今年はマサヒロとミレイが祝ってくれるんだー』なんて、喜んでたよ」
「そりゃなによりだ」
「なによりだ」
「?」
マサヒロの真似をするミレイ。この二人って、こんなに仲良かったっけ。そういえば、昨日は二人でお好み焼き屋に行ったみたいだし。どうしたんだろ。
「俺は友人の誕生日パーティなるものを開催するのは初めてなんだが」
「知ってる。マサハルは友達少なそうだもんね」
「一人で勉強ばっかしてたもんね」
「ガリ勉だったもんね」
「最近勉強ちゃんとしてないでしょ。ガリ勉なのに」
「うるせえ! 黙って話を聞け!」
誕生日パーティを初めて開催するはずのマサヒロは、ルーズリーフに綺麗な字で書いたチェック表を持ってきていた。
□ メンバー
□ 予算
□ 会場
□ 当日のタイムスケジュール
□ プレゼント
□ ケーキ
□ 料理
□ 企画
□ サプライズ企画
□ 親御さんへの手土産
……真面目か!
マサヒロはただのガリ勉ではなく、おかしなガリ勉だったみたい。友達の誕生日パーティを開くにあたって、パーティについても勉強してきたのかな。なるほど、マサヒロにとって企画とサプライズ企画は別のものらしい。そして、親御さんへの手土産……。
誕生日パーティから帰った息子が、友人からもらった親御さんへの手土産を持ち帰ってきた時の、ケイタの両親の顔を想像すると、マサヒロには悪いけどちょっとだけ、面白くなってしまった。
「アハハハハハハ! 待って! お腹痛い!」
「え!? 何かおかしい項目があったか!?」
「そういうことじゃないよ……ぷ……クク……だめ……だめだ……」
「???」
マサヒロが持ち出した、作戦会議用の資料を見て、ミレイが爆笑している。
……。
ミレイが大きな声を出して笑う姿を見たのは初めてかもしれない。
「とりあえず、決めようぜ」
「はーい」
「ふ……ふいひ……」
作戦会議が始まった。
——ぐぅ〜
……。
なんか、久しぶりにお腹が空いた気がする。
◇
昼休みも終わる頃には、だいぶ計画が埋まってきた。ガリ勉の計画表は、実際に話を進めるにあたって、なかなか便利なものだった。
■ メンバー
■ 予算
■ 会場
□ 当日のタイムスケジュール
□ プレゼント
■ ケーキ
■ 料理
■ 企画
□ サプライズ企画
■ 親御さんへの手土産
メンバーは、私、ケイタ、マサヒロ、ミレイの四人。予算は一人3,500円。ケーキと料理とジュース、それから飾り付けと企画用の小道具の仕入れを考えると、だいたい3,500円かなって感じで決まった。
場所はミレイの家を使っていいらしい。ミレイの実家はここから少し離れたところにあるが、今はお兄さんと二人暮らしをしている。当日はお兄さんを追い払うから、部屋を好きに使って良いとのことだ。
ケーキは駅前のケーキ屋で事前に注文して、料理はマサヒロが担当。私は企画担当になった。誕生日パーティの企画なんてものはやったことがないから少し不安だけど、私だけ仕事がないのは、それはそれで嫌。
そして、プレゼントは各々が持ち寄る形。親御さんへの手土産はマサヒロが家からワインを持ってくると言っていた。ケイタの両親はお酒が好きだと、私が伝えたからだ。
……。
これまでのケイタの誕生日は、割と適当に二人でその辺をプラプラして、映画を見る時もあれば、どちらかの部屋で漫画を読んで過ごし、夜になれば、ケイタの家族とケーキを食べてプレゼントを渡す。
そんな感じだった。
だからよく考えれば、私も誕生日パーティをちゃんと開催するのは初めてなのかもしれない。マサヒロを笑えなかったな。
プレゼント。去年は渡せなかったから、今年は二年分のプレゼントを考える予定だけど。何を渡そう。最後に渡したのは中学三年生の時だったっけ。
あの時は……。
『ケイタ、誕生日おめでとう』
『おお、ありがとう。 開けてもいいか?』
『うん』
『……おお。 筆箱か。 なんか大人っぽくてかっこいいな』
『でしょ。ペンケースって言って! ケイタが今使ってるやつ、小学生の頃のやつじゃん。これなら高校生になっても使えるよ!』
『あぁ、ペンケース。 ありがとな、ヒナ。 大事に使うよ』
……。
少し離れた席で、五時間目の英語の予習をしているケイタの机の上には、二年前にプレゼントしたソレが置いてあった。二年間も使い続けている割には、状態が良さそうだ。大切にしてくれているのだろう。
当時の私からすれば痛い出費ではあったが、それでも中学生の小遣いで買える程度のペンケース。それを律儀に使い続けるケイタを見て、胸が痛くなる。
何か嫌なことがあったわけでもない。むしろ、こんな私のあげたプレゼントを、いまだに大事にしてくれているのだから、喜ぶところだろう。
だけど、ケイタが大切そうに使っているペンケースに自分を重ねてしまった。ケイタは私をこんなに大切にしてくれているのに、私は迷惑をかけて、傷つけてばかりだ。
『好き』を自覚してから、これまで見ようともしていなかったケイタが……、幼馴染という関係を良いことに、雑に受け取ってきたケイタの思いやりが見えてくるたびに、自分が嫌になる。
さっきまで、マサヒロとミレイと、バカな話をしながらケイタの誕生日パーティ計画表にチェックをつけていたのに、突然、胸の奥から黒いドロドロが湧き上がってきてしまった。
……。
「よし! とりあえず今日のところはこんなもんか!」
「ふむ。よくやったぞマサハル。褒めてやろう」
背の低いマサヒロの頭を、さらに背の低いミレイが「よくやった」なんて言いながら撫でている。こんな美少女に頭を撫でられているというのに、マサヒロはどこ吹く風だ。
……。
本当にこの二人はいつの間にこんなに仲良くなったんだ?
「ほんじゃ、ヒナ、企画よろしくな! つまんねーもん考えんなよ」
「頑張るよ」
「サプライズ企画は、俺とミレイに任せておいてくれ。考えがある」
「そう。考えがある」
「わ、わかった」
そう言って不敵な笑みを浮かべる二人。
何を考えているんだろう。




