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第5話 ズズズズッ

 今日は一日、なんだかふわふわしていて、何をするにも身が入らなかったな。これはまずい。学生の本分は勉強だ。色恋にうつつを抜かして勉学をおろそかにしてしまった。バチが当たったのかもな。


 ちょっと今日のノートはどうにかしないと、次のテストがまずいかもしれない。二年後期の成績は推薦に響くからなぁ。


「ケイタ。ちょっといいか?」


「マサヒロ。俺も話がある」


「お、どうした?」


「今日のノート、ちゃんととってるか?」


「そりゃあな」


「よかったら……帰りにコピーさせてくれないか? どうにも今日は授業に集中できていなかったみたいだ」


「そりゃあ、あんなことがあっちゃな。いいよ。じゃあ一緒に帰ろうぜ」


「助かるぜマサヒロ」


 まさかあれをきっかけに、学年一位を取り続けているガリ勉のノートをコピーできることになるとは……。ひどい目にもあってみるもんだな。


 繰り返すが、マサヒロと俺は別に日頃から交流が多いわけではない。マサヒロは別に根暗ではないが、社交的な人間でもない。というか、ずっと勉強ばかりしているガリ勉だ。


 ただのガリ勉じゃない。ものすごいガリ勉だ。田舎とはいえ、うちの高校は進学校だというのに、定期テストは学年一位を譲ったことがなく、休み時間になると、謎のオリジナル教材と格闘しているか、東京にある国立大学の赤本を解いていたりする。


 だからこの状況が不思議で仕方がない。マサヒロは何をそんなに怒っているのか、どうして俺にこんなによくしてくれるのか、全くわからないのだ。


 マサヒロと教室を出ようとしたところで、視界の隅にヒナが入ってきた。


「ケイタ、今日は一緒に帰らないの?」


「あぁ。すまん! 今日はマサヒロと一緒に帰るから、また明日な」


「そっか。私も——」


「行こうぜ、ケイタ」


「ああ。それじゃあ、また明日な」


「うん。バイバイ」


 ヒナは一緒に帰りたそうだったけど、正直、今日はそういう気分になれなかった。不機嫌な顔で俺を呼んだマサヒロのおかげで助かった。


 どうも、ヒナの顔を真っ直ぐ見れないんだ。さすがにこんな状態で一緒にいると、心配をかけるかもしれない。


 だから、今日のところは……ごめんな。


 ……。


 早くなんとかしないとな。


 教室に残るヒナに背を向けて、俺たちは帰路についた。


◇


——ウィーン……パサッ


「これでいいか?」


「ああ。助かったよ。まさか、『伝説のガリ勉ノート』が手に入るとはな」


「なんだよ『伝説のガリ勉ノート』って」


「マサヒロのノートは巷《ちまた》ではそう呼ばれているんだ。学年一位を取り続ける男のノートだからな」


「大袈裟だな」


「いやいや、今日の分だけみても、俺のノートとはえらい違いだ。コピーしただけで頭が良くなった気分だ」


「別にケイタもそんなに成績悪くないだろ? ノートも手書きだし」


「あぁ。どうもデジタルだと頭に入らなくてな」


「そういうことだよ」


 何を言っているのかよくわからないが、マサヒロがそうだというのであれば、そうなんだろうな。とにかく、良いノートだな。板書の写しと先生の小話を区分けして整理しているのか。俺も明日から真似してみよう。


「ところでケイタ」


「ん?」


「何回も聞いて悪いんだけど、本当に大丈夫か?」


「あぁ。逆にマサヒロはなんでそんなに俺に良くしてくれるんだ? 別に特別仲が良かったわけでは無いと思うんだが」


「ははっ。面と向かって仲良く無いとは、ひでーこと言いやがるな」


「あぁ、すまん! そういう意味ではないんだ」


「冗談だって。まぁ、これから仲良くなろうぜ」


「ああ。ありがとうな。マサヒロがそういうタイプだとは思ってなかったよ」


 本当に、昨日と今日で驚きの連続だ。マサヒロがそもそもグループチャットで発言するやつだとも思っていなかったし、この小さな身体《からだ》で、レオン相手にファイティングポーズをとるような武闘派とも、笑いながら「仲良くなろうぜ」などと言い出すやつだとも思っていなかった。


 ヒナが俺のことを好きとかいい出すとも思わなかったし、俺とヒナが付き合うことになるとも思ってなかったし、まさか告白が嘘だなんてつゆにも思っていなかった。


 ……とにかく、人生とは何が起こるかわからないものなんだな。


 しかし、どうやら重症みたいだ。全く関係ないところで昨日の話を思い出してしまう。そしてそれを思い出すとまた胸が苦しくなってしまう。


 俺はヒナに「気にしてない」と言ったんだから、気にしないようにしなくては。


 ……自分の感情をコントロールするのはこんなに難しかったか? どうやら、ヒナの彼氏という椅子に一瞬でも座った代償は思いのほか大きかったらしい。あの時飛び出した欲望は、すでに俺の手から離れて自立してしまったようだ。


 このっ! 大人しく言うことを聞けっ!


「——ケイタ」


「……」


「ケイタ、話聞いてるか?」


「ああ、すまん。ちょっとぼけっとしてしまった」


「全然大丈夫じゃねーじゃん。顔色悪いぞ」


「そうか?」


「おま……これ使えよ」


 突然ティッシュを渡してくるマサヒロ。


「……ずっ。なんでティッシュ……ずずっ」


「鼻水めっちゃ出てるぞ」


「ずずっ。本当だ。気づかなかった」


「ティッシュ。やるよ」


「ああ。すまん。ありがとう」


 目尻……、頬……、顎……。


 何かが垂れている感覚。


 濡れているのは鼻と口元だけではなかったようだ。


 ……。


 人間の体は半分が水ってのは、本当なのだろうか。


 実はもうちょっと水の割合は多いんじゃないか?


 昨晩のうちに俺が流し切ったと思っていた、十六年分の涙の泉は、まだ枯れていなかったみたいだ。


「ケイタ、このあと時間あるか?」


「ん? ああ。とくには。ちょっとだけ眠いが、予定はないぞ」


「ちょっと寄り道してこうぜ」


「……」


「なんだよ」


「マサヒロも寄り道とかするんだな」


「だからお前は俺をなんだと思ってんだって!」


 確かに……。俺はマサヒロをなんだと思ってたんだろうな。なんならマサヒロが笑うやつだとすら思っていなかった気がする。


「勉強ばっかしてる奴だと思ってた」


「見たまんまじゃねーか! もっと他人に興味を持てよ!」


「あぁ、すまん」


「謝ってばっかじゃねーか!」


「すまん」


「謝んなって! ほら、行こうぜ!」


「あぁ」


 言われてみれば確かに、俺はマサヒロのことだけじゃない。隣の席のミレイちゃんが、可愛いスタンプをくれるヤツだとも思っていなかったし、レオンがあんなバカな真似をするヤツだとも思っていなかった。


 本当に、ヒナ以外の人間に興味を持たずに生きてきてしまったんだな……。世の中にはこんなにたくさんの人がいるというのに。なんてのは、さすがに視野を広げすぎたか。


 でも、「これから仲良くしよう」と言ってくれた友達のことくらいは、ちゃんと知りたい。


 思えば、せっかくマサヒロが誘ってくれたのに、俺はヒナのことばかり考えて、目の前の友達のことを見ていなかったな。今、この時間はマサヒロに集中しよう。


 そう思うと、なんだか少し、体が軽くなった気がした。


◇


「ついたぞ」


「ここは……ラーメン屋?」


「あぁ。奢ってやるよ。別にラーメン食ったって、晩飯くらい食えるだろ?」


「腹のキャパは問題ないな」


「なら、入ろうぜ。塩ラーメンって食ったことあるか? 意外とうまいんだよ」


「いいのか? 奢ってもらっちまって」


「今日はまぁ、特別だ」


「ありがとう」


「気にすんなって! さっ! 食おうぜ! 人生の大体の問題はラーメン食っときゃどうにかなるんだよ!」


「ははっ! 良いことを聞いたな! ヒナにも教えてやろう——」


 しくじった。マサヒロとの時間に集中するつもりだったのに、またヒナのことを考えてしまった。もはや条件反射というか、本能に近い。いい加減にしないと。しかもマサヒロは今、ヒナのことをあまりよく思っていないみたいだし……。 


「ああ。教えてやれ! そんで、ウジウジしてたらラーメン食わせてやれ! でもよぉ、奢ったりすんなよ? むしろあいつに奢らせてやれ!」


「……」


「なんだよ」


「……マサヒロお前、いいやつだな」


「だろ? 勉強ができるだけじゃねーんだよ」


「すげーな。勉強もできていい奴なんて無敵じゃん」


「ちなみに運動もできるぞ」


「そうなのか?」


「本当にケイタは何も見ていないんだな! 次の体育、見とけよ」


「わかった」


 ……。


 マサヒロが奢ってくれた塩ラーメンは確かにうまかった。そういえば、ヒナがいない時に、友達と二人で飯を食って帰るってのも初めてだな。


 ……友達がいないのは、マサヒロじゃなくて俺の方だったのかもしれない。大体俺がいつも一緒にいたのは、俺の友達というよりもヒナの友達だった気がする。


 しかし、マサヒロの言う通りだな。ラーメンを食っていたら、なんだか元気になってきた。ちょっとした悪戯《いたずら》なんぞにウジウジして、情けなかったな。


 マサヒロはすごいな。勉強もできて、いいやつで、運動もできるらしい。その上、何やら落ち込んでいる時、元気になる方法まで教えてくれた。『伝説のガリ勉ノート』に書いてあるのは、勉強のことだけじゃなかったみたいだ。


 もう大丈夫だ。これでヒナに嘘をつかなくてすむ。


 ヒナのことが好きなのは間違いない。でも、どうやら俺は、好きになるだけじゃ飽き足らず、あいつに依存していたみたいだ。


 ははっ。雛《ひな》は俺の方だったわけか。


 ははは!


 ……何を見ているんだ?


 ここは笑うところだ。


——ズズズズッ


 しかし、塩ラーメンって、初めて食べたけど……。


 最後の方が少し、塩辛いんだな。


 ……。


「ほら、ティッシュ」


「ん。ありがと」


「スープ。全部飲んじまえよ」


「ん」


 言われた通り、俺はラーメンのスープを全部飲み干した。


 塩分過多かもしれないが、今日くらいはいいだろう。


 初めて食べた塩ラーメンは、最後の方だけ、ちょっと塩辛かった。





◆ご挨拶

嘘告リベンジを読んでくれてありがとうございます。


続きが気になってくれたら、フォローや応援コメントをしてくださると、めちゃくちゃ喜びます。


星は1つからでも励みになります。


読者様とコメント欄でコミュニケーション取れるのが、仕事終わりの楽しみとなっていますので、ぜひコメントいただけると幸いです。


なお、次回更新は10月15日の19時前後を予定しております。

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