第3話 心臓が跳ねた(ヒナ視点)
例の事件の少し前……。
◇
——バキッ
「え?」
「ちょっ! おい! どけ!」
足元を見ると、最近発売したばかりで、抽選予約に当たらなければ入手困難な携帯ゲーム機があった。レオンが当選したことを自慢げに話していたそれは、液晶画面が割れ、見るも無惨な姿になっていた。
「え!? あ、ごめん!」
「ふざけんなよマジで! うわ……電源つかねーじゃん!」
「ええ!? 私のせいなの!?」
「ヒナが踏み潰したんだろうが!」
「なんでそんなものを地面に置いとくのよ!」
「そんなの俺の勝手だろうが! 弁償しろよ!」
「えぇ……いくらすんのそれ」
「10万くらい」
「ええ!? そんなするわけないじゃん!」
「今普通に買えないんだよ! 転売屋から買うってなると、そんくらいしちまうんだ」
「絶対払わないよ! 変なところに置いたレオンが悪いんじゃん」
「お前、ふざけんなよ?」
せっかく手に入れたゲーム機が壊れてしまったレオンには同情するが、私が完全に悪いとは思えない。壊れて困るものを学校に持ってくるのが悪い。
……まぁ、足元を見ずに歩いていた私の責任が全くないかはわからないが、とにかく、弁償させられる謂れはない。そもそもそんな大金持っていない!
「そもそもお金ないし!」
「だったら体で払えよ!」
「は? セクハラ! 有罪! 死刑! はい! これでチャラね!」
「ふざけんなってマジで!」
「ケイタに言いつけてやろーっと。レオンにセクハラされたよーって!」
幼馴染のケイタは私が何かを頼むと「困ったもんだ」なんて言いながら、いつも助けてくれる。さすがに壊れたゲーム機は直せないと思うけど、「弁償しなきゃいけないのにお金がない」なんて言ったら「いくらだ?」なんて聞いてくるかもしれない。
さすがに私もそんな頼み事はしないよ。ケイタなら本当にどこかからお金を持ってきちゃうかもしれないからね……。だから、あまり無茶させるような願い事はしないの。
「バカ! 冗談だって! でも弁償はしてくれよ」
「だから無理だって」
「それじゃあ、賭けをしないか? 俺が勝ったら半額でいいから払ってくれ」
「んんー。しょうがないな。転売じゃなくて、普通の金額ならいいよ。私が勝ったらさっきのセクハラで全部チャラね」
「よし! そしたら、ケイタの話だけどさ」
「ケイタ?」
「あいつは絶対ヒナに惚れている」
またこの話か。ケイタと私は仲がいい。私に彼氏がいないときは登下校も一緒にしているくらいだけど、それは別に家が近いからってだけで、深い意味はない。
だって、いつも「彼氏ができた」って報告しても、ケイタは「そうか。いいやつか?」って聞いてくるだけで、特にそれ以上は何もないもん。
普通、好きな女子に彼氏ができたなんて言われたら、そんな反応はしないよね。少なくとも私は。
……。
自分から片想いとかしたことは無いからわからない……。
けど、もし好きな人に彼女ができたなんて言われたら、あんなふうに淡々としてはいられないと思う。
「ケイタが? あれは『ただの幼馴染だよ』っていつも言ってるじゃん」
「いや、お前以外は全員知っているが、口に出さないだけで、あいつは絶対お前のことが好きだ。目を見ればわかる」
「はいはい。みんなそういう話が好きだよね。それで、賭けって?」
「俺は『ケイタはヒナに惚れている』に賭ける。お前は『ケイタは惚れていない』に賭ける。どうだ? 自信があるんだろ?」
「まったく。幼馴染をわかっていないんだね。よかったー。バカな借金を背負わないで済んだよ」
「わかってないのはどっちだか」
「それで、どうやって確かめるの? レオンが聞いて私に教えるってのは無しね。嘘つけちゃうから」
「そうだな……。そしたら、放課後、二人きりの教室で、ヒナがケイタに『好きな人いないの?』って聞いてみるってのはどうだ?」
「私も何回か聞いたことあるけど『どうだかな』とか誤魔化されるよ」
「だから、シチュエーションが大事なんだよ! 放課後、好きな女子と二人で静かな教室。告白には持ってこいのシチュエーションだろ」
「まぁ、確かに」
「その状況で好きな女子に『好きな人いないの?』なんて言われてみろ! それで何も言わない奴は男じゃねーだろ?」
「まぁ、好きだったらそうなるかもね」
「だから、お前が『好きな人いる?』と聞いて、ケイタに告白されたら俺の勝ち、されなかったら俺の負け。それでどうだ?」
「面白いじゃん。どうせ私が勝つけどね」
「お前がズルしないように、スマホのカメラを仕掛けておくけど、バレないようにしろよ」
「はーい」
まったく。幼馴染というものを知らない人たちにはまいっちゃうな。子供の頃からずっと一緒にいて、小さい頃なんか一緒にお風呂に入ってた仲で、好きだとかなんとかってのは、漫画の中だけの話なのにね。
とにかく、無駄な出費が増えなくてよかったよ。そろそろケイタの誕生日だっていうのに、プレゼントを買えなくなるところだった。去年は私に彼氏がいて、プレゼントを渡せなかったから、今年はちょっと良いものを買おう。
喜んでくれると良いけど。
まぁ、なんでもあいつは喜ぶか。
◇
なんやかんやしているうちに、放課後……賭けを実行する時間だ。
すでに教室にカメラを仕掛けてあるとのことだが、軽く教室を見回してもそれらしきものは見当たらない。レオンには盗撮の才能があるのかも。絶対に悪用しないでほしい。
あとは私がケイタを呼び出して、こいつの好きな人を聞けば、借金はチャラだ。あまりにも簡単な話だね。
「ケイタ、帰るの?」
「そうだけど、帰らないのか?」
「ケイタ将棋できるよね?」
「まぁ、それなりに」
不思議なくらい、ケイタはなんでもできる。だから疑っていなかった。だから、「将棋? 知らんな」と言われたら終わるような雑な計画でもうまくいっちゃうんだ。
「ちょっと面白そうだなって思ったんだけど、いまいちやり方がわからなくて……教えてくれる?」
「ああ。うちに帰ればセットがあるから、来るか?」
「行く! ——じゃなくて、ここにあるからここでやろ!」
「珍しく準備がいいな」
「何よ『珍しく』ってー!」
「準備なんかしたことないだろ?」
「たまにはするよー!」
「たまーにな」
「キーーー」
やっぱりケイタは幼馴染だ。居心地がいい。こいつの前じゃなかったら私だって「キーーー」なんて言わない。でも、失礼だな。私だって準備くらいする時もあるのに。別にたまにじゃない。ケイタの方がちょっと準備する機会が多いだけなのに偉そうに……まったく。
ケイタは将棋についてかなり細かく教えてくれた。とりあえず「『美濃』と『矢倉』を覚えておけ」とか言ってたけど、全然頭に入ってこなかった。
◇
……将棋が意外と楽しくて、本来の目的を忘れていた。時計は17:00を指している。そろそろいい時間だ。いよいよ本題に入ることにした。
——パチッ
「ケイタってさ」
——パチッ
「ん?」
——パチッ
「好きな人いないの?」
——パチッ
「……どうだろうな」
ほら。ケイタはいつもそうだ。何回聞いてもこうなる。
私だけなんか一人でドキドキしてる。
こいつとは恋バナなんて一生できなそうだ。
そもそもこいつに恋心なんてものがあるのだろうか。
……。
もうちょっと掘ってみるか。
「また適当なこと言ってー」
「手が止まってるぞ」
「これ、詰んでる?」
「詰んでるな」
ちょうど、いいタイミングというのか……私の玉は頭金で抑えられて詰んでいた。
「もー! なんで飛車角落ちでこうなるかなー?」
「まずは囲いを覚えないとな」
『矢倉』だとか、『美濃』だとか、『ミレニアム』だとか、『角銀雁木』だとかを一日で覚えろなんて無理な話だ。あんたにはできても、普通はできないんだよ。
「ヒナこそ、バスケ部の彼氏とはどうなんだ?」
なんでそんな話を今するの? しかも、普通の顔で。これだからこいつには彼氏の話をしたくない。ちょっとは何かしらリアクションしてくれるなら、こっちも話しがいがあるというものなのに。
「そんなのとっくに別れたよ〜」
「そうか。今回も早いな」
言い方を考えろ! デリカシーのない男だ。
本当に。私以外に絶対にそんな言い方をするなよ。
……こいつは、しないか。
「言い方〜! そんで、ケイタはどうなの?」
「……内緒だ」
「……」
初めて「どうだかな」以外の言葉が返ってきた。どうしよう。返事に詰まってしまった。
なんか、変な汗が背中を濡らしている気がする。
内緒ってことは、いるってことだよね……。
え、無理なんだけど。
ケイタに好きな人がいるの?
……私以外に?
無理。
「……」
「どうした?」
「じゃあさ、私と付き合わない?」
……。
私は何を言っているんだろう。
意味がわからない。
まったく計画通りではない。
……。
あぁ。
いや、私は何もわかっていなかったわけじゃない。
『もし好きな人に彼女ができたなんて言われたら、あんなふうに淡々としてはいられないと思う』
ほらね。淡々としていられなかったでしょ。
……。
自分のことはわかっているつもり。
わかっていなかったのは……。
私が『ケイタのことを好きだった』ってことだけ。
「へ?」
何が「へ?」だ。もうここまできたら賭けなんてどうでもいい。いけるところまで行くしかない。
「好き……って言ってるの」
「マジか……」
それは私のセリフだよ。
私だって、自分があんたを好きだなんて、今この瞬間まで知らなかったよ。
だけどやっぱり……。
ケイタは私のことをそんなふうに見てはいないみたいだね。
知ってたけど。
「ケイタはどうなの!」
「……俺もヒナが好きだ。本当はずっと……初めて会った時から……」
……!?
心臓が跳ねた。
何これ。苦しい。ドキドキする。
心臓ってこんなに大きな音が出るの?
これ、ケイタにも聞こえちゃうんじゃないかな。
好き。
好きなんだ。
ふーん。
好きだって。
好き。
「ごめんな」
「何がごめんなの?」
「いや、ヒナから言わせちゃって……」
本当だよー! まったくだよー!
今更だけど、ケイタから好きって言って欲しかったよー!
でもいいんだ。
今すごく幸せだから!
「全然いいよ! じゃあ今日からケイタが私の彼氏ってことで、いいのかな?」
「ああ。……嬉しいよ」
「私も!」
「俺、彼女とかできたことないから、何すればいいかわからないんだけど……」
そっかー! ケイタは彼女がいたことないもんね。
ずっと私のことが好きだったんだからね!
ふふ。
私だって、何回か彼氏はいたことあるだけで、特に深い仲になってはいないから、そんなに詳しくはない。
だけどエスコートしてあげなきゃね!
ケイタは彼女がいたことがないんだから♪
「まずは一緒に下校をするところからだね♪」
「それは……いつも通りだな」
「いいの! とにかく帰ろう!」
「ああ」
いつもの帰り道なのに、今日はなんだか色鮮やかに見えた。
◇
このままずーっと下校していたい。なんて、バカなことを考えていたのに、家の前に着いてしまった。
……。
もうちょっと一緒にいたいな。でも、そんなに簡単な女だと思われても困る。
男なんてのは、釣った魚に餌をあげないものだ。
私からは「もう少し一緒にいたいな」なんて可愛いことは言ってやらない。
私から告白したからって、簡単にイニシアチブは握らせないぞ。
「それじゃあ」
……このばか。
「うん! また明日ね!」
まあいい。『会えない時間が愛育てる』なんて歌もある。
私たちなりに、じっくり愛を育てていけばいいんだ。
……。
浮かれ切った私は、教室にあったカメラのことなど、すっかり忘れていた。
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