第三章 欠けた記録
村長の家は、村の中央にある一際大きな木造の家だった。
道中、何人かの村人とすれ違った。
畑仕事をする者。 薪を割る者。 井戸で水を汲む者。
誰もが私を見つけると穏やかに笑い、軽く会釈をしてくる。
昨夜、山へ向かって一礼していた人々と同じとは思えないほど、ごく普通の村人たちだった。
しかし、その普通さが今はかえって不気味だった。
この村では、誰も理由を知らない。
いや、理由を知ろうともしない。
「昔からそうしている。」
その一言だけで、皆が納得してしまう。
そんな村が、本当に存在するのだろうか。
私は歩きながら、昨夜見た光景を何度も思い返していた。
やがて、一軒の家の前で足を止める。
他の民家より一回りほど大きく、門柱には木製の表札が掲げられていた。
『村長 山本』
ここで間違いない。
私は一度深呼吸をすると、玄関の戸をゆっくりと叩いた。
「ごめんください。」
しばらくして、家の奥から足音が聞こえてくる。
戸が静かに開いた。
現れたのは、七十代ほどの男性だった。
白髪混じりの髪を後ろへ撫でつけ、姿勢は年齢の割に真っ直ぐ伸びている。
私を見ると、一瞬だけ目を細めた。
「……村を歩いている若い人というのは、あなたですか」
「はい。突然お伺いして申し訳ありません。」
「少し、お話を伺いたくて。」
「率直にお聞きします
しらたけさまについて教えて下さい」
私がそうきくと一瞬村長の表情が硬くなった。
「……したけさま、ですか」
村長はすぐには答えなかった。
まるで、その名前を口にすること自体が間違いであるかのように。
「どこで、その名前を聞きました?」
「村の方からです」
「そうですか……」
「この村では、昔からあの山について余計なことを話さないようにしてきました」
「危険だからですか?」
「危険だからですか?」
私が尋ねると、村長は少しだけ目を伏せた。
「危険……ですか」
その言葉を確かめるように繰り返す。
「そうですね。そういう言い方をする人もいます」
「村長さんは、違うんですか?」
そう尋ねると、村長はしばらく黙った。
「私は……したけさまを神だとは思っていません」
予想していなかった言葉に、私は少し驚いた。
「では、村の人たちは?」
「信じている者もいるでしょう。ですが、長い年月の中で、この村に残ったものは信仰というより……習慣に近いのかもしれません」
「習慣?」
「ええ。理由を知らないまま、続けられてきたものです」
村長は窓の外へ視線を向けた。
「昔からそうしてきたから」
その言葉を、何度も聞いてきたような口調だった。
「ですが……あなたが本当のことを知りたいのなら、見てもらったほうがいいものがあります」
「見てもらった方がいいもの?」
「村の資料館です」
私は村の資料を保管している場所へ連れられた。
「どうぞご自由にご覧ください」
そう言うと、村長は足早にその場を離れた。
資料館の中には、村の行事に関する記録、建物の建設や補修工事の記録、住人の名簿など、白津村に関する様々な資料が保管されていた。
一見した限りでは、どれも変哲のない村の記録ばかりだった。
しかし、私はなぜかその中に何かが隠されているような気がしていた。
ふと目に入ったのは、村の出生記録だった。
私は出生記録が書かれた資料を手に取り、ページをめくった。
白津村出生記録
昭和四十一年(1966年)
出生者数 六名
・男児 三名
・女児 三名
昭和六十一年(1986年)
出生者数 五名
・男児 二名
・女児 三名
平成十八年(2006年)
出生者数 四名
・男児 二名
・女児 二名
村で生まれた子供の人数と性別が記録されていた。
次に私は住人が成人した際に記録される資料も見てみることにした。
白津村成人記録
昭和六十一年度(1986年)
二十歳到達者 五名
平成十八年度 (2006年)
二十歳到達者 四名
令和八年度(2026年)
二十歳到達者 三名
そこで違和感を覚えた。
先ほど見た出生記録と見比べてみる。
……一人足りない。
数字を何度も確認した。
見間違いではない。
1966年に生まれた六人のうち、1986年に成人として記録されているのは五人。
1986年に生まれた五人のうち、2006年に成人した記録が残っているのは四人。
2006年に生まれた四人のうち、2026年に成人した記録があるのは三人。
まるで、二十年ごとに一人ずつ、記録から抜け落ちているようだった。
私はもう一度、数字を確認した。
偶然ではない。
これは、この村で昔から繰り返されている何かを示している。
私は首を傾げた。
成人する前に亡くなった者がいたのだろうか。
そう思い、資料棚を見渡す。 「死亡記録」と書かれた分厚い帳簿が目に入った。
私は急いで帳簿を開き、該当する年代のページをめくる。
昭和四十一年生まれ。 昭和六十一年生まれ。 平成十八年生まれ。
名前を一つずつ照らし合わせていく。
……ない。
成人記録から消えていた一人の名前は、死亡記録には載っていなかった。
念のため、次の年代も確認する。
やはり、成人記録から姿を消していた人物の名前は見当たらない。
事故死でも病死でもない。
私はもう一度ページを最初から見返した。
見落としているだけかもしれない。
しかし、何度確認しても結果は変わらなかった。
「……どういうことだ」
村を離れたのだろうか。
そう考え、今度は住民異動に関する資料を探した。
だが、転出を示す記録も見つからない。
その人物たちは、ある年を境に、村の記録から静かに姿を消していた。
転出記録を棚へ戻し、私は隣に並べられていた『祭礼記録』と書かれた古い帳面を手に取った。
表紙は色褪せ、何度も開いたのだろう。角は丸く擦り切れていた。
ページをめくると、毎年の祭りの概要が淡々と記されている。
『春祭 五穀豊穣を祈願』 『秋祭 収穫への感謝』 『盆行事 祖霊供養』
どこにでもある山村の祭礼。
そう思いながらページをめくっていると、一ページだけ紙質の違う古い記録が目に留まった。
昭和四十一年 奉納祭
例年どおり、山へ供物を納める。
村の安寧を願い、選ばれし者を山へ送る。
これにより災いは退き、村は二十年の平穏を得る。
記録は以上。
私は思わず手を止めた。
「……選ばれし、一人?」
読み返してみても、それ以上の説明はない。
誰を。
何のために。
どこへ。
何一つ書かれていなかった。
後のページには、筆跡の違う人物が一文だけ書き加えている。
『古き習わしにつき、詳細は口伝とする。』
私はゆっくりと息を吐いた。
口伝。
つまり、文字には残さないということだ。
私はもしやと思い昭和六十一年の祭礼記録も確認した。
やはり奉納祭の記載。文章もほぼ同じ。
さらに平成十八年も同様だった。
ふと、先ほど見た出生記録が頭をよぎる。
二十年ごとに、成人した人数が一人だけ足りない。
そして、この記録にも――二十年。
「……偶然、なのか?」
そう呟きながらも、その言葉には自分自身で納得できなかった。
私は帳面を閉じた。
静まり返った資料館に、紙をめくる音だけが残る。
もし、この記録の意味が私の考えている通りだとしたら――。
いや。
そんな馬鹿な話があるはずがない。
私は資料館を後にした。
あの記録が意味するものを知っている人間がいるとすれば、この村では村長しかいない。
確かめなければならない。
あの二十年という数字が、ただの偶然なのか、それとも――。
私は村長の家へ再び行き、質問をまくし立てた。
「出生記録と成人記録の人数が一致しませんでした。」
「死亡記録にも転出記録にも載っていない人がいます。」
「祭礼記録には『選ばれし者を山へ送る』とありました。」
「あれは何なんですか。」
村長は少し驚いた表情をみせ、私と目を合わせずだまった。
しばらく沈黙が続いたあと村長が口を開いた。
「……そこまでご覧になりましたか」
「私にも、ほんとに必要なことなのかどうかわかりません」
「皆、昔からそうしてきたから続けている。」
「理由を知る者は、もうほとんどいません。」
「……だが、それが今も正しいのかは、誰にもわからない。」
「昔からそうしてきた?」
「いえ…」
そう言うと村長はまた口を閉じてしまった。
「私には答えられません。」
「答えられるとすれば……長老だけでしょう。」
「あなたが知りたいのならお会いになるといい」
村長は長老の家に丸をつけた村の地図を私に手渡した。
村長は最後まで私の目を見ようとはしなかった。
私は地図を握りしめた。
本当のことを知るのは怖かった。 それでも、もう引き返すことはできない。
私は長老の家へ向かった。




