第19話 君の色(1)
生徒会室の窓から、午後の光が差し込んでいた。
書類をめくる音だけが、静かに続いている。
手元の書類に目を落としていたエリオスは、
ふと、思考が逸れた。
叔母の茶会でのことを思い出す。
リリアナの評価は、思った以上に高かった。
当然だ、とエリオスは思う。
優秀で、それだけで終わる娘でもない。
侯爵家の令嬢であり、しかもバルディエ商会を背負う一族の一人だ。
あの家は、もともと名のある家だった。
一度は力を落としたものの、ここ数年で再び勢いを取り戻している。
流れを戻し、人を集め、金を動かし、崩れたものをもう一度立て直した。
あの叔父と、あの一族が積み上げ直してきた強さがある。
あれだけ整っていれば、どこに嫁いでも困ることはない。
叔母は冗談めかして言っていた。
――うちの息子の嫁に。
口調は軽かったが、話としては軽くない。
あの家からの申し出なら、断る方が難しい。
公爵家の縁談とは、そういうものだ。王族であっても変わらない。
ノアの相手としても、十分に成立する。
家柄も、後ろ盾も、能力も足りている。
ノアがリリアナを望むなら――
そこで、一瞬思考が止まった。
胸の奥に、ざらりとした違和感が落ちる。
理由は分からない。ただ、その想像だけが妙に重かった。
――……なら。
王族の婚約者でもいいのなら、
王太子妃としても問題はないはずだ。
家柄も、力も、能力もある。
王宮でも通じる立ち振る舞いだ。
王太子妃としても、きっと――
そこまで考えたところで、エリオスは我に返る。
何を考えている。
一瞬、軽く頭を振り、それ以上の思考を断ち切った。
視線を落とし、手元の書類へろうとした
そのとき。
視界の端に、ふと色が入る。
リリアナだった。
窓際の席に座り、資料に目を落としている。
差し込む光が、その髪に触れていた。
灰色の髪。
だが、ただの灰ではない。
光を受けるたび、わずかに銀を含んで揺れ、細くやわらかな光を弾いている。
静かな艶があった。
視線が、自然と止まる。
次に目がいったのは、瞳だった。
髪と同じ色の瞳は、光を含むと淡く澄み、宝石のように静かな光を返している。
深く、静かな色だった。
――綺麗だな。
そんな言葉が、ふいに浮かぶ。
それは髪の色のことだったのか。
瞳のことだったのか。
それとも、光の中にいるその姿そのもののことだったのか。
自分でも分からないまま、エリオスはわずかに息を止めた。
……いや、とすぐに打ち消す。
別に、リリアナだからではない。
ただ、光の加減でそう見えただけだ。
それだけのことだ。
そう思っても、視線はすぐには戻らなかった。
なぜ、あの色が“不吉”と呼ばれるのか。
昔からの言い伝え。
そう聞いている。
けれど、結局はそれだけだ。
誰かが言い、それが残り、理由も曖昧なまま繰り返されてきただけなのではないか。
もう一度だけ、リリアナを見る。
本人は何も気づいていない。
伏せた睫毛も、書類を追う指先も、いつも通りに静かだった。
その静けさが、妙に目を引く。
騒がない。
媚びない。
見せようともしない。
ただそこにいるだけなのに、なぜか視界の中で薄れない。
ふと、思う。
今、あの席まで歩いていって、
声をかけたら、どんな顔をするのだろう。
名を呼べば、
あの瞳はまっすぐこちらを向くだろうか。
そんなことを考えた自分に、エリオスはわずかに眉を寄せた。
行ってどうする。
話しかける用事があるわけでもない。
今ここで距離を詰める理由もない。
なのに、
ほんの一瞬だけ、
今より少し近い場所でその顔を見てみたいような気がした。
……いや。
それこそ、気にするほどのことではない。
彼女のことになると、
どうも思考がうまくまとまらない。
一度結論を出しかけては、
別の方へ逸れていく。
らしくない、と自分でも思う。
だが、
なぜ彼女のことになるとそうなるのか、
その理由をこれ以上考えるのは
やめた方がいい気がした。
少なくとも、
見たままを、そのまま見られる国であればいい、とエリオスは思う。
色で決めつけない。
外見だけで値踏みしない。
その色に、勝手な意味を重ねる必要はない。
そう結論づけて、ようやく視線を戻す。
それでも、思考はわずかにそこへ残ったままだった。
彼女は、不便な目に遭っていないだろうか。
表には出さない性格だ。
だからこそ、見えないだけかもしれない。
陰湿なものは、表に出ない。
だから厄介なのだ。
エリオスはペンを置き、小さく息を吐いた。
何気なく顔を上げる。
リリアナは変わらずそこにいた。
静かに、何も言わず、ただ仕事をしている。
それなのに、その姿は妙に目に残る。
光を受けた灰色の髪も、
伏せられた瞳も、
静かな横顔も。
近づきたい、と呼べるほどはっきりした衝動ではない。
けれど、今の距離のままでいる方が、
どこか不自然に思えた。




