第18話 お茶会(7)
「そういえば、サラの誕生日ももうすぐだったわね」
公爵夫人が、娘へ視線を向けた。
サラが小さく笑う。
「ええ」
公爵夫人は楽しそうに言った。
「エリオス、何か贈るの?」
エリオスは一瞬だけ視線を上げ、
静かに答える。
「考えてはいます」
短い返答だった。
それ以上を言わないあたりに、かえって本気らしさがあった。
サラがくすっと笑う。
「まだ秘密みたいね」
「楽しみにしているわ」
そのやり取りを聞きながら、
リリアナは静かに視線を下げた。
誕生日。
贈り物。
婚約者同士には、
あまりにも自然な話題だった。
そういう二人なのだと、
改めて言葉にされるまでもなく分かっている。
分かっているのに、
その“当然”が薄い刃みたいに胸を撫でていく。
公爵夫人は紅茶を口に運び、
そのままリリアナへ目を向けた。
「結婚式には、
あの絹でもいちばん上等なものを使いたいのよ」
「サラのドレスだけじゃなくて、
エリオスの衣装も同じ絹で揃えたいわ」
くすりと笑う。
「その絹で仕立てた衣装が、
この二人には本当によく似合うと思うの」
「親ばかかもしれないけれど」
「並んだら、きっと息をのむほど美しいわ」
公爵夫人の視線の先で、
サラとエリオスが自然に並んでいた。
ただ隣に座っているだけなのに、
違和感なく絵になる。
王太子と、その婚約者。
そこに無理がないことが、
かえって胸に刺さった。
サラが言う。
「そうだわ。このドレス」
袖を軽く持ち上げる。
「その絹でやっと仕立ててもらったの」
「本当に素敵だから、今日着てきちゃった」
少しだけ袖を揺らして笑う。
「手触りがとても良いの。
ずっと触っていたいくらい」
そう言って、
サラは柔らかな絹の袖をエリオスへ差し出した。
「ほら。触ってみて」
リリアナはカップを持った。
指先に、
ごくわずかに力が入る。
白磁が、
かすかに触れ合った。
小さな音だった。
けれど、
自分にはひどく大きく聞こえた。
エリオスはその布を指先でつまんだ。
さらりと滑る。
「……本当だ」
小さく言う。
「いい絹だ」
その声は穏やかで、
何気ない感想のようだった。
けれど、
その一言だけで胸がきつく締めつけられる。
エリオスはそのまま、
ゆっくりと布をなぞった。
優しい手つきだった。
知っているものへもう一度触れて、
確かめるみたいな手つきだった。
「糸が揃ってる」
「光沢も深い」
「いい仕事だ」
その声を聞きながら、
リリアナはそっと息を吐いた。
吐いたつもりで、
はじめて気づく。
いつの間にか、
呼吸を止めていた。
同じ絹だった。
夕方の光が、
ふいに胸をよぎる。
まばゆい金糸をまとった
白い絹のドレス。
くるりと回ると、
布がふわりと広がった。
その袖に触れながら、
あの人が言った。
――いい絹だな。
そのあと、
まっすぐに見つめて。
――綺麗だ。
抱き寄せられて、
低い声で囁かれた。
――隠しておきたい。
あの時間は、
たしかにあった。
それと同じ絹だった。
今、
目の前で同じ声が
別の袖に落ちている。
同じ絹に触れ、
同じように質を見て、
同じようにやさしい手つきでなぞっている。
ただ、それだけのことだった。
誰も間違っていない。
それでも、
胸の奥で何かが音もなく裂けていく。
名授けの式のときから
知っていたはずのことを、
改めて現実の形で見せられているようだった。
その絹は、
残したいと思ったものだった。
途切れさせたくなかった。
あの人が生きるこの国に、
ちゃんと残っていてほしかった。
だから、残した。
今、
その絹で二人の衣装を揃える話が出ている。
それもまた、
残った先にある未来のひとつなのだろう。
そう思うしかなかった。
リリアナはカップを持つ手を緩めない。
微笑みも崩さない。
ここで顔を曇らせる理由など、
どこにもないのだから。
祝われるべき話だ。
喜ぶべき席だ。
そう分かっているからこそ、
なおさら崩せなかった。
唇の端だけを、
きちんと上げる。
目元も、
いつものまま静かに保つ。
そうしていれば、
誰にも気づかれない。
自分の胸の内など、
この場には一つも必要ない。
リリアナは視線を落とした。
紅茶の表面が、
静かに揺れていた。
もう湯気は立っていない。
話しているうちに、
いつの間にか
すっかり冷めてしまっていた。
その冷たさが、
妙に今の自分によく似ている気がした。
飲めない。
けれど、
置くこともできない。
だから、
ただ持っている。
冷めた紅茶の重みだけを支えにして、
何も変わらない顔のまま座っていた。
エリオスは何も気づかない。
ただ、
差し出された絹から手を離し、
いつもの静かな顔に戻る。
それでよかった。
心がつい揺れてしまったことを、
気づかれたくはなかった。
そう思うのに。
胸のどこかで、
ほんの少しだけ、
気づいてほしかったような気もした。
この世界では、
そんなことは起きないのに。
それでも、
微笑みは崩さない。
ただ胸の奥だけが、
静かに冷えていった。




