第24話 軋む鉄路(1)
アルヴェイン家の鉄路事業で、当初の予定だけでは足りなくなった物資や輸送の追加手配を正式に引き受けて以来、リリアナは休日だけでなく、学院の帰りにもバルディエ商会へ立ち寄るようになった。
鉄路は、王都と南を結ぶ物資運搬用の道である。鉄の線路を敷き、荷運び専用の小型機関車に貨車を引かせる。南からは鉱石や木材をはじめ、穀物や薬草などを運び、王都からは薬や布、職人の道具、さまざまな加工品を送り出す。途中に設ける倉で荷を分け、周辺の町や村へは馬車で届ける計画になっていた。
必要なのは、線路に使う鉄だけではない。枕木や砕石、橋や土留めに使う木材と石材、線路を留める金具。工事用の縄や滑車、車輪や道具に使う油も要る。人夫や馬車を集め、職人たちが滞在する宿も手配しなければならなかった。
バルディエ商会は、各地の製鉄所や製材所、石材商、馬車組合と取引がある。依頼された物資をどこから回し、どの倉へ入れ、どの馬車で現場まで運ぶか。リリアナは依頼書と在庫表を照らし合わせ、荷が滞りそうな場所を見つけては、倉や馬車の振り分けを変えていた。
鉄については、国内の製鉄所だけで必要な量を揃えられなかった場合に備え、アルマンが隣国の鉄鉱山や製鉄所に伝手を持つ商人にも話を通しているらしい。まだ具体的な仕入れ先までは、商会の中でも詳しく語られていなかった。
ある日の放課後、学院で教本を抱えて講義室を出たところで、リリアナはノアに呼び止められた。
「リリアナ」
「ノア殿下」
ノアは行き交う生徒たちを一度見てから、声を落とした。
「レオニードの件で、二、三日、学院を空ける」
「何か分かったのですか」
「例の治療院から連絡が来た」
ノアの表情が改まる。
「本人につながるものか、関係者につながるだけなのか、まだ分からない」
「それを確かめに行くのですね」
「ああ。表向きは視察ということになっている」
「お気をつけて」
ノアは短く頷いた。
「戻り次第、話す」
「はい」
ノアが歩き出そうとした時だった。
「……ノア」
呼び止められ、ノアが振り返る。
「もし、その方へ伝える必要があるなら、私のことを話していただいても構いません」
「君のことを?」
「灰色の髪と、色の薄い瞳を持つ者が実際にいること。それから、その者が王太子の近くで起きる災いを止める鍵になり得るのか、私も知りたいと思っていると伝えてください」
ノアはしばらく黙ってリリアナを見つめた。
「……分かった」
短い返事だった。
「お願いします」
レオニードが追っていたのは、王家を蝕む災いと、その鍵になるかもしれない灰色の者の記録だ。
今度こそ、エリオスを救う手がかりが見つかってほしい。
リリアナはそう願いながら、ノアを見送った。
学院を出て商会へ向かうと、帳場ではまだ夕方の仕事が続いていた。積み荷の書類を抱えた者が行き交い、奥からは、戻ってきた馬車の数や積み荷を確認する声が聞こえる。
帳場の奥寄りに置かれた長机で書類を見ていたレオンが、リリアナに気づいて顔を上げた。
「お疲れ。外は冷えただろ。紅茶を淹れてくるから、座ってて」
「うん」
レオンは一度席を離れ、湯気の立つ紅茶を手に戻ってきた。カップをリリアナの前へ置いてから、銀色の缶を差し出す。
「それと、これ。前の缶はもう空だろ。新しいのを取っておいた」
蓋を開けると、リリアナの好きな丸いミルクチョコレートが、缶いっぱいに詰まっていた。
「ありがとう」
リリアナはチョコレートを一つ口に入れ、温かい紅茶を飲んだ。
レオニードにつながる手がかりが見つかるかもしれない。その期待と緊張で強張っていた気持ちが、優しい甘さと紅茶の温かさに少しずつほどけていく。
ほっと息をついたリリアナを見て、レオンも穏やかに目元を和らげた。学院で閉じ込められた一件以来、レオンはすっかり過保護になっていた。
「急がなくていいよ。まず、一息ついて」
「仕事をしに来たのに」
「分かってる。でも、冷えたままじゃ手も動かないだろ」
レオンはそれ以上仕事の話をせず、向かいで自分の書類に戻った。帳場のざわめきを聞きながら、リリアナはもう一つチョコレートを口に入れ、ゆっくり紅茶を飲む。
冷えていた指先まで温まり、気持ちも落ち着いたところで、リリアナから声をかけた。
「レオン、書類をちょうだい」
「もう温まった?」
「うん」
「じゃあ、頼んでもいいかな」
レオンが書類の束をリリアナの前へ出す。
「今日は南側の工事の分。線路だけじゃなく、途中の倉や橋の工事も動き始めたから、追加がかなり来てる」
リリアナは依頼書を上から確認していった。
「この石材と枕木、同じ時間に着くことになってる」
「荷下ろしが重なるか」
「うん。南倉の荷下ろし口は一つしかないでしょう。石材を先に入れて、枕木は製材所を出る時間を半日遅らせた方がいいと思う」
「分かった」
レオンは近くにいた者を呼んだ。
「製材所へ連絡してくれ。枕木の出発を半日遅らせる」
「承知しました」
その後も、到着日が重なっている荷や、数の足りない馬車を確認していく。
何枚目かの依頼書で、リリアナの指が止まった。岩盤を崩すための火薬だった。
「レオン」
「何かあった?」
「この火薬、十日前に同じ量を納めたばかりだよね」
レオンが椅子を寄せ、書類を覗き込む。
「ああ。これが二度目の依頼か」
「でも、前の分をどれだけ使って、どれだけ残しているのか、何も書かれてない。それに、今回受け取る人の名前も、保管場所もないの」
硝石や硫黄、木炭を混ぜた火薬は、近年、大きな工事で岩盤を崩すためにも使われるようになった。便利ではあるが、扱いを誤れば人の命に関わる。
最初に納めた際の受領書には、受け取った者の名前と保管場所がきちんと記されていた。だが、使用量や残量の報告が届かないうちに、もう同じ量が求められている。
「岩が予想より固くて、思ったより多く使ったのかもしれない。でも、それなら、前の分をどれだけ使ったのか書くはず」
リリアナは馬車と人夫の一覧も横へ置いた。
「それに、十日ほどでこれだけの火薬を使ったなら、かなりの量の岩が崩れているはず。崩した石を運び出す馬車や人夫も増やさないといけないのに、そちらの手配は前とほとんど変わってない」
「火薬だけが増えてるのか」
「うん。何も分からないまま、二度目を出すのは危ないと思う」
レオンは最初の受領書と今回の依頼書を並べ、日付と内容を見比べた。
「まだ手配には回ってないな。確認が取れるまで、ここで止めよう」
その時、帳場の扉が開いた。外の冷たい空気とともに、アルマンが入ってくる。
「父さん、お疲れ。寄り合いはどうだった?」
「ああ。それなんだが」
外套を使用人へ預けたアルマンは、二人の机へ近づいた。
「南の岩場で、事故があったらしい」
「事故?」
「ひと月ほど前だ。うちが追加の手配を引き受ける少し前になる」
依頼を受けた時には、そのような話は一度も出ていなかった。
「今日の石材商の寄り合いで聞いた。工事現場で岩が崩れたらしい」
「被害は?」
「詳しいことは分からん。怪我人を乗せた馬車を見た者がいる。亡くなった作業員もいたという話だ」
レオンが眉を寄せる。
「そんな事故があったなら、追加を受ける時に何か話が出てもよさそうだけどな」
「ああ。だが、現場は間もなく作業を再開したらしい。事故の話は、ほとんど外へ出ていないそうだ」
本当に事故があったのか。どれほどの被害だったのか。今のところは、石材商たちの間で交わされている噂にすぎない。
それでも、火薬を使う岩場で事故が起きた可能性があるなら、次の納品前に確かめておく必要があった。
「父さん、ちょうど今、その岩場から来た火薬の依頼を見てた」
レオンが二枚の書類を差し出す。
「十日前に最初の分を納めたばかりなのに、もう同じ量を求められてる。前の分の使用量も残量もなくて、今回受け取る人間の名前も書かれてない」
レオンは、リリアナが広げた一覧にも手を置いた。
「リリアナが気づいて、馬車と人夫の手配も調べてくれた。十日でそれだけの火薬を使ったなら、崩した岩を運び出す方も増えるはずなのに、そっちは前とほとんど変わってない。火薬だけが追加されてる」
アルマンは書類を受け取り、日付と内容を確かめた。
「それで、今回の分は止めることにした」
「それがいい」
アルマンは書類を机へ戻す。
「現場責任者と保管場所、前の分がどれだけ残っているのか。それから、追加が必要な理由も確認しておこう。事故についても、あわせて聞いた方がいい」
「ああ、そうする」
レオンは担当の者を呼び、確認の書面を用意するよう伝えた。その指示を終えると、リリアナを見る。
「リリアナ、今日はここまでにしよう」
「まだ、ほかの依頼が残ってる」
「明日も学院だろ。十分助かってるよ。続きは俺と父さんで見るから、今日は帰って休んで」
リリアナは残った書類へ目を向けたが、やがて頷いた。
「分かった」
レオンは銀色の缶の蓋を閉じ、リリアナへ差し出す。
「ほら。これは持って帰って」
「ありがとう」
「帰ったら、ちゃんと夕食を食べて、温かい湯に入って。湯冷めしないうちに、今日は早めに休むんだよ」
帰ったあとのことまで気にかける言い方に、リリアナは小さく笑った。
幼い頃から、レオンはいつもこうだった。
リリアナが何も言わなくても、疲れていることや、気持ちが張りつめていることに気づいてくれる。
エリオスを救うことばかり考えてきたリリアナにとって、レオンの前は、ほんの少し肩の力を抜いてもいいと思える場所だった。
「分かった」
レオンは笑った理由を尋ねず、わずかに目元を和らげた。
「火薬の件は、こっちで進めておく。返事が来たら、すぐに知らせるよ」
「うん」
「気をつけて帰って」
リリアナは銀色の缶を鞄へしまい、帳場をあとにした。
◇
屋敷へ戻り、夕食と湯浴みを済ませた。まだ寝るには少し早い。
レオニードの手がかりが見つかるかもしれないという期待。短い間を置いて届いた二度目の火薬の依頼。南の岩場で起きたという事故。
今考えても、どれにも答えは出ない。
気持ちを切り替えようと机へ目を向けると、裁縫箱の脇に、洗ったハンカチが置かれたままになっていた。
黒い汚れを刺繍で隠そうと思っていたが、ここのところ忙しく、まだ一針も入れていない。少し手を動かせば、気持ちも落ち着くかもしれない。
リリアナは椅子に座り、淡い緑の糸を針へ通した。黒い跡の一部を隠すように、小さな葉の形を刺していく。
一枚を刺し終えると、針を置いた。
淡い緑色の葉の周りには、洗っても落ちなかった黒い跡が、まだ薄く残っている。リリアナは指先で、その汚れをそっとなぞった。
これは、何の汚れなのだろう。
ふと、あの日、研究棟の廊下を慌ただしく荷車で曲がってきた男を思い出した。
研究棟の片づけを請け負った業者が、人手の足りない日は臨時の運び手も雇っていると聞いていた。
ほかの作業員たちは似た色合いの上着を着ていたが、あの男だけは、土埃の染みた粗い上着を着ていた。臨時に雇われた者なら、服装が違っていても不思議ではない。
袖口は黒く汚れ、靴には土がついていた。外仕事をしている者なら、それも珍しいことではなかった。
荷車に積まれていた木箱には、古い実験器具や薬品瓶が入っているのだと思っていた。
ただ、見た目よりも重そうだった気がする。車輪は廊下の床を軋ませ、男は角を曲がるのにも苦労していた。
重い器具が、隙間なく詰められていたのだろうか。
リリアナはもう一度、黒い跡へ目を落とした。
洗っても残ったことが、どうしても気にかかった。
続きを刺そうと針を持ったが、今日は一枚でやめることにした。ハンカチを裁縫箱のそばへ戻し、灯りを消す。
寝台へ入ってからも、黒い跡のことがふと頭に浮かんだ。
作業員の汚れた袖も、重そうな木箱も、それだけなら不自然ではない。古い実験器具を運んでいたのなら、荷車が軋んでいたことにも説明はつく。
それでも、なぜか少しだけ気にかかった。
何が引っかかっているのか、自分でもよく分からない。
答えが出ないまま、やがて日中の疲れに引かれるように、リリアナは眠りへ落ちていった。




