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第18話 お茶会(4)

レオンが書斎を後にしたあと、

部屋には静かな空気が残った。


机の端には、今年の絹の見本が置かれている。

細く巻かれた反物は、届いた中でもひときわ質の良い一本だった。

淡い光を受けて、やわらかく艶を返している。


リリアナはそっと手を伸ばし、指先で触れる。

さらりとした感触が指の腹を滑り、そのまま胸の奥を強く揺らした。


――あの日のことを思い出す。


エリオスが十九歳になった年。

諸外国の使節を迎える舞踏会の日だった。


夕方。王宮のエリオスの私室。

窓の外には橙色の光が広がっていた。


扉が開く。


「エリオス」


リリアナが顔を覗かせる。


白い絹のドレス。

胸元から裾にかけて細やかな金糸の刺繍が流れ、

蔓草のような模様が身体の線に沿って広がっている。


夕日の光を受けて、

その絹はやわらかく輝いていた。


耳元には小さな琥珀の飾り。

金の刺繍と静かに呼応している。


エリオスが贈ってくれた舞踏会のドレスだった。


リリアナは部屋に入り、嬉しそうに笑う。


「ドレス、ありがとう」


くるりと一度、その場で回る。


布がふわりと広がり、

金の刺繍が夕日の光を受けて揺れた。


その瞬間、

エリオスの視線が完全に止まる。


息をすることさえ、一瞬忘れたみたいに。


リリアナは気づかない。


「すごく綺麗」

「気に入ってる」

「……似合う?」


エリオスは一瞬だけ言葉を失い、

ただ見ていた。


「ああ」


低く答える。


「似合ってる」


それからゆっくりと腰を上げ、静かに歩いてくる。

リリアナの前で止まり、視線をドレスへ落とした。


袖の布に触れる。

指先でつまむと、さらりと滑り、柔らかく流れた。


「……やっぱり」


低く呟く。


「いい絹だな」


リリアナが少し驚く。


「分かるの?」


「少しはな」


エリオスは答え、布をなぞる。

光が静かに揺れた。


「糸が揃ってる」

「光沢も深い」

「織りも詰まってる」


ぽつりと言う。


「蚕を育てて糸を取って、

それを紡いで、やっとここまで揃う」


布をもう一度つまむ。


「いい土地といい職人がいないと、こうはならない」


わずかに言葉を切る。


「……こういうのを守るのが、きっと俺の仕事なんだろうな」


リリアナは少し黙る。


エリオスの視線が、

布からゆっくりとリリアナへ戻る。


縫い留められたみたいに動かないまま、

一歩だけ距離を詰めた。


「似合う」


リリアナの頬がほんのり赤くなる。


「……ありがと」


少し気恥ずかしい。


エリオスはまだ布に触れている。

指先がゆっくり動く。


まるで布ではなく、

触れているものを確かめるみたいに。


そして、ぽつりと言う。


「舞踏会」


言葉を切る。


「他のやつらには見せたくないな」


リリアナの動きが止まる。


「……え?」


エリオスはリリアナを見る。

その目が、少しだけ熱を帯びていた。


小さく息を吐く。


「ちょっとだけ」


そう言って、引き寄せる。


ぎゅっと軽く抱きしめた。


リリアナが固まる。


「……エリオス?」


腕の力が、ほんの一瞬だけ強くなる。


そのまま首筋に顔を埋め、

背中の絹に触れ、さらりと撫でた。


「……このまま」


言葉を落とす。


「隠しておきたい」


リリアナの顔が一気に赤くなる。


エリオスはふっと笑い、体を離した。


「冗談」


肩をすくめる。


「変な顔してる」


「してない」

「してる」


エリオスはわずかに口元を緩める。


ソファに腰を下ろす。


リリアナのすぐ隣。

触れるほど近い距離。


エリオスはリリアナを静かに見つめる。


「綺麗だ」


リリアナの顔がまた赤くなる。


――


ふと、現実に引き戻される。


リリアナは、

そっと反物から手を離した。


さらりとした感触が、指先から消える。


あの人にとっては、

数ある公務の中の一つだったのかもしれない。


特別でも、

大きな決断でもない。


ただ、

目の前にあるものを見て、

理解して、

残そうとした。


それだけ。


――それでも。


その“それだけ”の中に、

確かに、この国を思う意志があった。


リリアナは静かに目を伏せる。


だから、残したいと思った。


あの人が守ろうとしたものを、

今度は自分が。


窓の外の光はゆっくりと傾いていく。


部屋の中は静かで、

絹だけが、やわらかな光を返していた。

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