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第3話 百合の咲く場所(2)

お茶会が終わると、誰かが「それでは」と言った。椅子が引かれ、カップが皿に戻される。さっきまで重なっていた声が、ひとつずつ別の方へ散っていった。


「先に帰っていなさい」


 振り返らずに、そう言われた。父の声だったのか、継母の声だったのか、リリアナには分からなかった。分からなくても、することは同じだった。


 立ち上がり、頭を下げる。返事を待つ人はいなかった。


 馬車は屋敷の門を出て、石畳を抜け、町外れの道へ入っていく。車輪の音が、規則正しく続いていた。


 リリアナは窓の外を見ていた。


 ――あんまり良くない色なんでしょ。


 小さな女の子の声が、ふと戻ってくる。悪意のない、明るい声だった。ただ、覚えたことをそのまま口にしただけの声。


 誰も叱らなかった。誰も、違うとは言わなかった。それが答えなのだと、リリアナは知っている。


 リリアナは、膝の上で指を重ねた。


 エリオスは生きている。


 お茶会で聞いた「健やか」という言葉が、まだ胸の中に残っていた。


 会いたい、と思った。


 もう一度だけでもいい。遠くからでいい。生きて、動いて、誰かと言葉を交わしている姿を見たい。


 けれど、そう思った瞬間、指先が冷えていく。


 会いに行ってはいけない。


 近づいてはいけない。


 自分は、エリオスのそばにいていい少女ではない。


 灰色の髪。灰色の瞳。


 そう呼ばれてきた色が、リリアナをその場に縫いとめる。


 王宮にはサラがいて、その名前は当たり前のようにエリオスのそばで語られている。


 それなら、自分が近づく理由はない。


 リリアナは窓の外へ目を向けた。馬車が、屋敷へ続くゆるやかな坂に差しかかっている。白い道の先に、屋敷の屋根が小さく見えた。


 戻る場所は、あそこだった。


 北向きの離れ。冷めた食事。誰にも名前を呼ばれない部屋。


 あのまま戻ったら、きっとまた何も言わずに部屋の隅へ行く。椅子にも座らず、古い本を抱えて、夜が過ぎるのを待つ。


 そう思ったら、息が苦しくなった。


「……ここで」


 声が出た。


 御者が振り返る。


「少し、歩きたいの」


 御者は少しだけ迷ったようだった。けれど、すぐに馬車を止めた。


 リリアナが何かを望むことは少ない。望んだとしても、大きなことは言わない。だから、止めるほどのことではないと思われたのかもしれない。


 扉が開く。草の匂いが、風と一緒に流れ込んできた。


 リリアナは、ひとりで地面に降りた。


 馬車は再び走り出す。車輪の音は、すぐに遠ざかっていった。


 残ったのは、風と、広がる野原だけだった。


 踏み荒らされていない、なだらかな草地。背の低い草が揺れて、どこまでも続いている。


 リリアナは、その真ん中に立った。


 ここでは、髪の色を聞かれない。良いか悪いかを決める声もない。誰かの邪魔になる席も、戻される部屋もない。


 ただ、風が吹いて、草が揺れる。それだけだった。


 胸に溜まっていたものが、ほどけたわけではない。でも、ここなら、何も答えなくていい。


 リリアナは、野原の中を歩き出した。どこへ行くでもなく、戻るでもなく。ただ、今いる場所から、少しだけ離れるために。


 どうして馬車を降りたのか、自分でもまだ分からなかった。ただ、あのまま屋敷へ戻ることだけは、できなかった。


 革のくたびれた靴に、短い草が触れていく。


 ふいに、足が止まった。


 視線の先に、白い花があった。草の間に、ひっそりと咲いている。


 百合だった。


 リリアナは、その花を見つめたまま、動けなくなった。

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