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第17話 研究棟(3)

研究棟の奥。


背の高い棚に囲まれた一角に、

簡素な机と椅子が置かれている。


二人はそこを拠点にしていた。


放課後。

生徒会の仕事の後。

時には空き時間まで使って。


もう何度も、

同じ作業を繰り返している。


古い記録を運び、

机に積み、

めくる。


古い本を開くたびに、

細かな埃が舞う。


指先には

古紙の黒い汚れが残る。


紙の匂いと、

少し湿った空気。


研究棟の奥は

静まり返っていた。


しばらくして、

ノアが本を閉じた。


「……見つからないな」


低くつぶやく。


視線は

棚の奥の記録へ向いたままだ。


「王太子の短命」


静かな声。


「ただの偶然なのか」


少し間があく。


「……いや」


小さく首を振る。


「偶然にしては

出来すぎている」


リリアナは

手元の記録から顔を上げた。


ノアは続ける。


「記録は残っている」


ページを軽く叩く。


「事故。

急死。

病死」


「それだけだ」


「死因の詳細が

一つも残っていない」


静かな声だった。


「昔のことは

今さらどうにもならない」


「だが」


そこで言葉を切る。


少しだけ視線を落とし、


静かに言った。


「今の王太子――

兄上にも」


「同じように

危険が重なっているなら」


言葉を止めた。


言い切らなくても

意味は十分だった。


王太子の短命。


それは

過去の話ではない。


エリオスに

繋がっているかもしれない。


ノアは

小さく息をついた。


「見過ごすわけにはいかない」


リリアナは

静かに頷いた。


その瞬間。


脳裏に浮かぶ。


――冷たく横たわる

エリオスの姿。


二十歳を迎える前に

息を引き取った

あの日。


胸の奥が、

ぐうっと締めつけられる。


指先に力が入る。


それでも、

表情は動かさない。


「……はい」


静かな声だった。


ノアが続ける。


「まだ

確かなことが何もない以上、

軽々しく

他に話すことも出来ない。」


「……兄上には、

なおさら」


「だからこそ」


「少しでも

手がかりが見つかれば」


リリアナは

小さく頷いた。


しばらくして。


リリアナの視線が

ふと止まる。


「……ノア」


ノアが顔を上げる。


「?」


「右の頬に

少し汚れが」


ノアは

指で頬を拭った。


「どこだ?」


だが

古紙の汚れが

かえって広がった。


「あ……」


リリアナが

小さく言う。


「少し、失礼します」



ハンカチを取り出す。


左手には

薄い手袋。


リリアナは

そっと手を伸ばし、


手袋の手でハンカチを持ち

ノアの右頬へ触れた。


その瞬間。


ノアの動きが

わずかに止まる。


反対の手は、

軽く顎に添えられる。


触れているのは、ほんのわずか。


それでも、

顔の向きは自然と保たれる。


ノアは、動かない。


冷たい細い指。


優しく

汚れを拭っていく。


距離が近い。


ほんの数秒。


「……取れました」


少し離れる。


ノアは

まだ固まったままだった。


リリアナが

首を傾げる。


「ノア?」


その様子を――


少し離れた通路から

エリオスが見ていた。


顧問と並んで

立ったまま。


リリアナたちは

まだこちらに気づいていない。


リリアナが

ハンカチ越しに

ノアの顔に触れている。


反対の手は

そっと添えられていた。


二人で

何をしているんだ。


こんなところで。


だが――


リリアナの

優しい手つきから

目が離せない。


吸い寄せられるように

視線が止まる。


リリアナは

ノアを見上げていた。


その距離が

妙に近い。


「ノア」


――呼ぶ。


やわらかな声。


名前で呼ぶのか。


いつからだ。


ノアの頬が

心なしか赤い。


熱を帯びているようにも見える。


そんな顔を

ノアがするのか。


リリアナの表情は

やわらかく、

警戒の欠片もない。


胸の奥に


正体のわからない

どろりとした感情が残る。


なんだ。


これは。


わからない。


だが

消えない。


その時。


リリアナが

ふと視線を上げた。


エリオスに気づく。


ノアも

遅れて振り向いた。


一瞬。


二人の表情が

こわばる。


さっきまで

話していた内容が

頭をよぎったからだ。


王太子の短命。


そして

エリオス。


その本人が

目の前に立っている。


先程までの

柔らかな空気が

すっと消えた。


ノアの背筋が伸びる。


机の上の資料を

さりげなく閉じる。


リリアナの表情も

静かに整う。


二人とエリオスの間に

わずかな距離ができる。


線を引かれたように。


エリオスは

その変化を見ていた。


――違う。


ノアに見せていた顔とは。


自分の顔を見た途端に。


胸の奥が

ざらりと軋む。


「邪魔をしたな」


――思わず。


思ったより

声が冷えた。

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