第16話 生徒会(2)
昼食を終えたリリアナは、まだ昼休みのゆったりとした空気が残る廊下を歩いていた。食堂から戻る学生たちとすれ違いながら進んでいた足が、生徒会室の前でふと止まる。
扉を見ただけで、先日の面接が蘇った。
――握手。
エリオスの手の感触が、まだ指先に残っているような気がする。大きく、あたたかい手だった。
触れた瞬間、離したくなかった。
必死に表情へ出さないように取り繕ったけれど、自分がどんな顔をしていたのか分からない。面接の受け答えさえ、本当にきちんとできていたのか確信が持てなかった。
エリオス……。
胸の奥が、きしむように揺れる。あのとき押し込めたものが、また溢れそうになる。
いけない。
余計なことを考えるべきではない。見ないまま通り過ぎようとしたところで、扉が少しだけ開いていることに気づいた。
昼休みだ。誰もいないと思っていた。
何気なく隙間へ目を向け、そのまま足が止まる。
会長席に伏せたまま、エリオスが眠っていた。
窓から差し込む昼の光が机を淡く照らし、積まれた書類の間から金色の髪がこぼれている。光を受けた髪があまりにも柔らかそうで、胸がぎゅっと縮んだ。
次の瞬間、あの日の光景がまぶたの裏によみがえる。
◇
窓辺から差し込む光が、机の上に静かに広がっていた。
会長席に伏せたまま眠るエリオスの髪が、書類の端からさらりとこぼれている。光をまとった金色を見ているうちに、一つの衝動が胸をよぎった。
――触れたい。
気づけば、そっと指を伸ばしていた。
髪に触れる。驚くほど滑らかで、あたたかい。指先がその柔らかさへ沈んだ瞬間、伏せられていたまつげがかすかに震えた。
ゆっくりと目が開く。
まだ焦点の合わない瞳がこちらを捉え、それから、ふっと溶けるように笑った。
「……リリー?」
低く掠れた声。
寝起きのままの、無防備な声だった。
慌てて手を離そうとした瞬間、手首をそっと掴まれる。そのまま引き寄せられ、掌と掌がぴたりと触れ合った。指が重なり、親指まで、逃がさないようにゆっくりと重なる。
「……行かないで」
目はもう閉じている。それでも手だけは離さず、もう一度、指がきゅっと絡んだ。
「もう少し……ここにいて」
そう言ったまま、エリオスは再び眠ってしまった。
つながった手から、体温がじわりと伝わってくる。
甘い重み。
あの温度。
あの指の重なり。
――覚えている。
◇
リリアナは、詰めていた息をゆっくり吐いた。
目の前には、昼の光の中で眠るエリオスがいる。姿だけなら、あのときとほとんど変わらない。
けれど今は、違う。
触れられない。
あのときのようには。
伸びそうになった指先を止め、リリアナはそっと扉を閉めた。
パタン。
小さな音が、静かな生徒会室にも届いた。
会長席のエリオスのまつげが、わずかに揺れる。
扉の音に薄く目を開けると、ぼんやりとした視線が、今閉じたばかりの扉へ向かった。
誰かが、そこにいた気がした。
けれど、誰もいない。
エリオスはしばらく、そのまま扉を見ていた。
そしてまた、ゆっくりと目を閉じた。
♢
放課後、生徒会室には十五人の学生が集まっていた。
今年度の生徒会は、三年生、二年生、一年生からそれぞれ五名ずつ。学院自治の中心機関であると同時に、王宮との公式な連絡窓口でもあり、学院行事の運営だけでなく、研究棟への許可申請、外部交流、学生規律など、多くの決定に関わっている。
生徒会経験者は、卒業後に王宮官職への推薦を受けることも多い。学生にとっては名誉であると同時に、将来へ続く道でもあった。
その生徒会を率いるのが、王太子エリオス・アストレアである。
大きな机を囲んで全員が席につくと、会長席のエリオスが室内を見渡した。
「生徒会長を務める、エリオス・アストレアだ。今年一年、よろしく頼む」
王太子である彼を知らない学生はいない。それでも最初に自分から名乗ってから、エリオスは続けた。
「では、順に自己紹介を」
隣の席に座っていた青年が立ち上がる。
「副会長のエリック・フェインです。よろしくお願いします」
フェイン公爵家の長男であり、生徒会では実務を取りまとめる役を担っている。王太子であるエリオスにもここでは「会長」と呼びかけ、その判断を支える立場に徹している人物だった。
三年生から順に名乗り、二年生を経て、一年生へ回ってくる。
「ノア・アストレア。よろしくお願いします」
ノアも簡単に挨拶を済ませて席へ戻った。
そして、リリアナの番が来る。
「リリアナ・バルディエと申します。よろしくお願いいたします」
十数人の視線が集まっても、声は普段と変わらなかった。名乗りを終えて顔を上げたところで、会長席のエリオスと目が合う。
ほんの一瞬。
それだけのはずだった。
けれど、エリオスが視線を外すのが、ほんの少しだけ遅れた。




