第16話 生徒会(3)
生徒会が動き始めてから、数日が過ぎた。
エリオスは、リリアナとは意識して距離を取っていた。
面接の日、灰色の髪の少女を見た瞬間、思考が止まった。考えるより先に身体が動き、気づけば立ち上がっていた。名前を聞いたあとには、初対面の令嬢へ自分から手まで差し出している。
あんなことは、今まで一度もなかった。なぜ立ち上がったのか。なぜ、名を聞いただけであれほど胸が揺れたのか。どうして自分から手を差し出したのか。
何一つ、分からない。
自分のことなのに、自分で説明できない。そのことがエリオスにはひどく落ち着かなかった。正体の分からないものには、近づかない方がいい。それが自分の中で起きているものなら、なおさらだった。わざわざ近づいて、もう一度同じことが起こるか確かめる必要などない。
生徒会長として必要な指示を出し、必要なことだけ話す。それで十分だった。
そう決めたはずなのに、ここ数日、やけに彼女が目に入る。会議の最中も、書類を整理しているときも、行事の打ち合わせをしているときも、ふと顔を上げれば長机の向こうに灰色の髪がある。同じ生徒会なのだから目に入るのは当然だ。
そう思うには、少しばかり回数が多かった。
リリアナ・バルディエ。
彼女は、ほとんど笑わない。何を考えているのかが表情に出にくく、いつも落ち着いている。初めのうちは、ずいぶん感情の見えにくい令嬢だと思っていた。
けれど、冷たいわけではない。
「これ、合わないんだけど、ちょっと見てくれないか」
二年生の役員が持ってきた書類を、リリアナは受け取った。
「この数字です。ここだけ前年度の統計が入っています」
「……本当だ。よく分かったな」
「その前の項目までは今年度の数字だったので」
間違っている箇所だけを示して、書類を返す。そういうことが何度かあった。
あるときは、一人の役員が何かを探して何度も机の引き出しを開けているのを見て、「先ほど使っていた資料でしたら、そちらの棚に戻されていました」と声を掛けていた。相手が探し物をしていると口にするより先だった。
また別の日には、いくつもの書類を抱えていた役員の机から、締め切りの近いものだけを見つけて、
「こちら、今日中でしたよね。半分いただいても?」
と、ごく自然に引き取っていた。
「悪い、助かる」
「いえ」
それだけで終わる。助けることを大げさにしない。だから、助けられた方も必要以上に恐縮しなくて済む。
出しゃばらないのに、必要なところには手が届く。
――優秀だ。それに、よく気づく。
数字の誤りを見つけるのが早いというだけではなかった。相手が困っていることにもよく気づくし、どこまでなら手を出しても負担にならないのか、その加減がうまい。何でも自分でやってしまうのではなく、ちょうど相手が「助かった」と思える分だけを受け取っていく。
生徒会に推薦された理由も、入学試験で首席だったことも、見ていれば分かる。
最初の頃は、生徒会の中でもリリアナに対してわずかな距離があった。灰色の髪は珍しく、貴族社会ではそうした外見に勝手な意味をつけたがる者もいる。
けれど、それも長くは続かなかった。最初は遠巻きにしていた者が書類のことで声を掛け、次には別の者が相談を持ってくる。数日もすると、誰かがリリアナのところへ何かを尋ねに来ることが、ごく普通の光景になっていた。
そして、ノアと話しているときだけ、リリアナは少し違った。
普段は動きの少ない表情が柔らかくなる。ときには、笑う。
大きな笑顔ではない。けれど、普段の彼女を何日も見ていれば分かる。
ノアには、あんな顔をするのか。
二人は読書仲間だと聞いている。それにしては、ずいぶん気安いような気もした。ノアは何のためらいもなくリリアナへ声を掛けるし、リリアナもノアには最初から構える様子がない。
本当に、読書仲間というだけなのだろうか。
そこまで考えて、エリオスは思考を止めた。
……いや。
ノア自身が、読書仲間だと言ったのだ。
なら、それでいい。
自分と話すときのリリアナは、いつも礼儀正しい。失礼な態度を取られたことなど一度もない。ただ、ノアといるときに比べれば明らかに距離がある。目が合うことも少なく、必要な話が済めば、それ以上こちらへ言葉を向けることもない。
近づかないようにしている。
そんなふうにも見えた。
……当然か。
王太子という立場に、人が距離を置くことは珍しくない。それに、自分だって彼女から距離を取っている。
それでいい。
自分の中で何が起きているのかさえ分からないのに、わざわざ近づいて確かめる必要はない。生徒会の一員として優秀だということも分かった。それ以上、知る必要もない。
そう思って、手元の書類へ戻る。
しばらくして、また顔を上げていた。
長机の向こうで、ノアが何かを言った。
リリアナが笑う。
ほんの少しだけ。
リリアナが誰と親しくしようと、誰に笑いかけようと、自分には関係ない。
それでいい。
そう思う。
そう思うのに――
どうしても、視線だけが離れない。
胸の奥に、無視できない引っかかりが残る。
――リリアナ。




