第9話 指に残る輪(2)
ふたたび眠りに落ちていたらしい。
どれくらい経ったのかは、分からない。
目が覚めたとき、
外はまだ薄暗かった。
灯りは消えていて、
窓の向こうに、
淡い朝の気配だけがあった。
背中が、
鈍く痛む。
動けば、
まだ裂けそうだった。
それでも、
起き上がる。
帰らなければ。
ここに長くいれば、
必ず誰かの目に触れる。
「……帰るのか」
背後から、
低い声が落ちた。
振り向くと、
薬師が戸口に立っていた。
「まだ動くなと言ったはずだが」
責める声音ではない。
ただ、
事実を置くような言い方だった。
リリアナは、
少しだけ目を伏せる。
「……帰ります」
それだけ言う。
薬師は、
しばらく黙っていた。
それから、
ゆっくりと歩み寄る。
背中に触れ、
包帯を確かめる。
「……熱が出るかもしれん」
ぼそりと。
「傷が、
妙な腫れ方をしている」
指先で、
わずかに圧をかける。
「刃そのものというより、
内側から、
じわじわ悪くなる類だ」
説明ではない。
観察だった。
「数日、
様子を見ろ」
「痛みが増す。
熱が続く。
夢見が悪くなる」
「そのどれかが出たら、
また来い」
一拍。
「……理由は、
まだ分からんがな」
言葉は軽い。
だが、
視線は鋭いままだった。
「王家の周りでは、
昔から似た話がある」
ふと、
独り言のように続く。
「傷が、
妙に残る」
「治りが遅い」
「原因が分からない」
「……そういうのは、
薬だけじゃ、
どうにもならんことが多い」
リリアナは、
顔を上げた。
薬師は、
それ以上は言わない。
「古い記録なら、
多少ある」
包帯を整えながら、
続ける。
「解決できるとは限らんが、
知っておく意味はある」
「来たければ来い。
追い返しはせん」
それだけ言って、
手を離した。
リリアナは、
小さくうなずく。
礼は言わない。
言葉にすると、
何かが崩れそうだった。
戸口へ向かう。
足取りは、
まだ覚束ない。
外は、
夜と朝の境目だった。
人のいない通り。
冷たい空気。
振り返らない。
屋敷へ向かう道を、
ただ歩く。
一歩ごとに、
背中の奥がひりつく。
息を吸うたび、
熱が滲む。
それでも、
歩けないほどではない。
立ち止まる理由には、
ならなかった。
門は、
まだ開ききっていなかった。
使用人の気配も、
ほとんどない。
足音を殺して、
中へ入る。
廊下は静かで、
灯りも落ちていた。
誰にも会わない。
誰にも呼び止められない。
自分の部屋の扉を、
そっと閉める。
それで、終わりだった。
誰も、
何も知らないまま。




