第15話 再会(3)
扉が叩かれ、エリオスは顔を上げた。
「どうぞ」
面接室には、エリオスをはじめ、副会長、顧問、役員数名が席を連ねている。二十五名いた希望者のうち、書面を通過した者と顧問推薦の学生だけが、ここへ入ることを許されていた。
最後の面接だった。
扉が開き、灰色の髪の少女が入ってくる。
ガタッ。
椅子が大きく鳴った。
気づけば、エリオスは立ち上がっていた。
なぜ立ったのか、自分でも分からない。考えるより先に身体が動いていた。ただ、少女から目を離せなかった。
視線が合う。
淡い瞳。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
ここがどこなのかも、誰がいるのかも、一瞬、すべてが遠のく。目の前に立つ少女だけが、ひどく鮮明に残った。
遅れて、心臓が強く跳ねる。
触れたい。
名前を呼びたい。
抱きしめて、確かめたい。
……何を?
分からない。
ただ、今すぐにでも。
胸の奥から、理屈のない衝動があふれてくる。
「……会長」
誰かの声がした。
けれど、届かない。
触れたい。
名前を呼びたい。
抱き寄せて、この胸に閉じ込めたい。
……彼女を?
「会長?」
二度目に呼ばれて、ようやく周囲の音が戻ってきた。
「ああ……」
エリオスは自分が立っていたことに気づき、椅子へ座り直した。
少女が静かに一礼する。
「リリアナ・クラリス・バルディエと申します」
――リリアナ。
その名前が落ちた瞬間、胸の奥の、幼い頃から空洞だったところに、水が落ちるみたいに何かが満ちた。
説明はつかない。
理解もできない。
ただ、そこにあった。
「……よろしく」
気づけば、また立ち上がっていた。
右手を差し出す。
考えていない。
身体が勝手に動いた。
リリアナが一瞬ためらってから、その手を取る。
冷たい。
指先が触れる。
――離したくない。
一瞬、そう思う。
もっと握っていたい。
理由もなく。
意味もなく。
すぐに手を離した。
……何をしている。
初対面の令嬢だ。
これから役員として迎えるかどうかを判断する面接で、自分は生徒会長としてここにいる。
面接が始まった。
志望理由、民政課程を選んだ理由、入学試験で提案した交易制度、生徒会で取り組みたいこと。リリアナは質問の意図を正確に捉え、必要なことを簡潔に答えていく。
返答は聞こえている。内容も理解できる。
それでも、灰色の髪が視界に入るたびに思考が途切れた。淡い瞳がこちらへ向くたび、先ほど触れた指先の冷たさが蘇る。
「……次の質問に移ります」
声だけは普段と変わらないように保った。
喉の奥には、彼女の名が残っている。
リリアナ。
心の中で、もう一度呼んだ。
◇
最後の面接が終わったあとも、生徒会室には仕事が残っていた。
新規役員の選考を終え、役員たちは次週の行事と提出書類の確認へ移っている。いつもなら難なく片づけられる内容だった。
「会長、この資料ですが」
副会長に声をかけられ、エリオスは手元の書類へ目を落とした。
文字は見えているのに、意味がすぐには入ってこない。同じ行を二度読み、三度目に差しかかったところで、再び呼ばれた。
「……会長?」
「ああ。続けてくれ」
会議が進んでも、思考は何度も途切れた。
灰色の髪。
淡い瞳。
冷たい指先。
離したくないと思った感覚まで鮮明に蘇り、書類の上でペンが止まる。
こんなことは、今まで一度もなかった。
「会長、今ご覧の資料は、すでに確認いただいています」
エリオスは机の上を見た。確かに、先ほど目を通した書類だった。
「ああ……そうだったな」
副会長はしばらくエリオスを見たあと、書類をまとめた。
「今日はここまでにしましょう。残りはこちらで整理します」
「いや、まだ――」
「会長。今日はお疲れのようです」
机の上には、ほとんど進んでいない仕事が残っていた。このまま続けても、役員たちの手を止めるだけだろう。
「……分かった。頼む」
「お任せください」
エリオスは生徒会室を出た。
◇
その夜、寝台に横になっても眠気は訪れなかった。
天井を見ながら、何度も今日の出来事を思い返す。
扉が開いた瞬間、理由もなく立ち上がった。彼女以外のものが何も見えなくなり、触れたいと思った。抱きしめたいとさえ思った。
初対面の令嬢に。
「……何だったんだ」
額に手を当てる。
身体が勝手に動き、仕事にも集中できず、副会長から帰るよう言われた。こんなことは、これまで一度もなかった。
王太子としての公務と生徒会の仕事が重なり、ここ数日は十分に眠れていない。そのせいで判断が鈍っていたのかもしれない。
一瞬、人の心を惑わせる魅了の類かとも考えた。
けれど、リリアナが何かをした様子はなかった。彼女は礼を守り、質問に答えただけだ。むしろ、あの衝動は外から与えられたものではなく、自分の内側から湧き上がってきた。
だからこそ、危険だった。
あの瞬間、自分が自分ではなくなったような気がした。王太子として積み重ねてきた判断も、生徒会長として保ってきた理性も、彼女の姿を見ただけで消えてしまった。
無意識に、左の中指にはめた指輪へ触れる。
近づかない方がいい。
必要以上に関わらず、距離を取る。それが最も確実だった。
「……気の迷いだ」
疲れていた。それだけのことだと、自分に言い聞かせる。
けれど、目を閉じれば浮かぶのは、灰色の髪と淡い瞳だった。
冷たい指先の感触も、消えない。
そして、胸の奥には一つの名前だけが残っていた。
リリアナ。




