第8話 伸ばした手の先に(6)エリオス
祝祭の片付けは、
もう終わっていた。
旗も、
灯りも、
跡形もない。
いつもの街に戻っているはずなのに、
空気だけが、
どこか張り詰めていた。
王太子襲撃から、
数日。
外出は本来、
許されないはずだった。
それでも。
エリオスが押し切った。
警護の数は、
普段の倍以上。
止められているというより、
囲われている感覚だった。
それでも、
歩く。
探しているのは――
あの日、
自分の前に飛び込んできた、
あの子。
名前も知らない。
顔も分からない。
分かっているのは、
背中に刃を受けて、
それでも、
最後に、
こちらを見たこと。
痛みの中で、
自分のことじゃなく、
俺の無事を確かめるみたいに。
それから、
「……よかっ、た」
そう言って、
安心したみたいに、
そのまま、
意識を手放したことだけだった。
「このあたりだ」
足を止める。
あの日と同じ路地。
血の跡は、
もうない。
警護の一人が、
近くの店に声をかける。
「祝祭の日、
このあたりで怪我をした子どもを
見ませんでしたか」
店主の顔が、
強ばる。
「王子様の……あの……」
言葉が続かない。
「いえ……。
兵の方々がすぐに来られて……。
その後のことは……」
別の店。
菓子屋。
服屋。
通りを行き交う人。
誰も、
知らない。
覚えているのは、
“王太子が襲われた”
その事実だけだった。
その前にいた、
小さな存在は、
記憶の外へ、
押し出されている。
「……そんなはずはない」
誰に聞かせるでもなく、
こぼれる。
「確かに、いた。
俺の前で倒れた」
胸の奥のざわつきが、
消えない。
探しても。
探しても。
見つからない。
それでも、
足だけは止まらなかった。
通りの奥に、
小さな診療所があった。
窓は閉じられ、
扉も半ば閉ざされている。
干した薬草だけが、
外に揺れていた。
警護が声をかける。
「祝祭の日、
怪我人が運び込まれたりは?」
中から現れたのは、
年配の薬師だった。
「……いや。
あの日は来ていない」
それだけを告げて、
すぐに奥へ引っ込む。
エリオスは、
わずかに視線を向けただけで、
通り過ぎた。
少し離れた場所で、
ノアも捜索に加わっていた。
命じられたわけではない。
それでも、
そこにいた。
その中で、
ノアは、
兄の様子だけを見ていた。
路地の入口。
石畳。
人が立っていた位置。
エリオスは、
同じ場所ばかり見ている。
思い出しているのではない。
探している目だった。
日が、
少し傾いてきている。
「……兄上」
小さく呼ぶ。
エリオスが振り向く。
「日が落ちる」
それだけ言う。
止めるつもりではない。
ただ、
気づいたことを口にしただけ。
エリオスは、
少し黙ってから、
「……もう少しだけ」
と答えた。
ノアは、
それ以上言わない。
ただ、
(そんなにか)
とだけ思う。
理由は分からない。
でも、
あの日のことが、
兄の中で終わっていないのは、
はっきりしていた。
「……もう一度、あっちだ」
エリオスが言う。
警護が、
一瞬だけ迷う。
「殿下、
先ほども――」
「いい」
短い声。
強くもない。
怒ってもいない。
ただ、
引かない声音だった。
同じ路地へ戻る。
同じ場所を見る。
同じ問いを繰り返す。
それでも、
答えはどこにもない。
人が減る。
音が遠のく。
光が傾く。
エリオスは、
あの日、
手を伸ばした場所で立ち止まる。
掴めなかった距離。
銀色がかった瞳が、
人の隙間の向こうへ消えていった、
あの瞬間。
指先が、
わずかに動く。
届かなかった感触だけが、
残っている。
「……もういい」
ぽつりと、
こぼれた。
諦めたわけではない。
ただ、
今日はここまでだと、
自分に言い聞かせるような声だった。
踵を返す。
警護が動く。
ノアも、
何も言わずに並ぶ。
手がかりは、
なにも得られなかった。
名前も。
行方も。
何一つ。
それでも――
あの瞳だけが、
胸の奥に残っていた。




