第15話 再会(1)
大講堂の扉が閉じると、残っていたざわめきも次第に収まっていった。
新入生はすでに長椅子へ着席している。リリアナが選んだのは後方の席だった。前に並ぶ者たちの肩に隠れ、壇上からは目につきにくい。それでよかった。
周囲から向けられる視線には、すぐに気づいた。灰色の髪に目を留め、何事もなかったように逸らしていく者が何人もいる。珍しいからなのか、不吉な色だという話を知っているのかは分からない。誰も口にはしなかったが、幼い頃から見慣れてきた反応だった。
リリアナは膝の上に置いた左手へ目を落とした。生成りの薄い手袋の上から、中指にはめた指輪に触れる。
この指輪だけは、外せなかった。
やがて入学式は、生徒会長の挨拶へと進んだ。
壇上には上級生と生徒会役員が並び、その中央に、一人の青年が立っている。
金色の髪。琥珀色の瞳。
まっすぐ前を見据える姿も、肩の力を抜きながら隙のない立ち方も、記憶の中と変わらなかった。
エリオス。
胸の内で名前を呼んだ直後、彼が新入生へ向けて話し始めた。
低く、穏やかな声が大講堂に響く。
耳に届いた瞬間、胸の奥が大きく揺れた。忘れられるはずのない声だった。押さえ込んできたつもりでも、どこかでずっと、もう一度聞きたいと願い続けていた。
会いたかった。
もう一度、生きている姿を見たかった。
彼がそこに立っている。同じ場所にいて、その声を聞くことができる。それだけで胸が熱くなり、目を離せなくなった。
あの人だ。
前の世界で愛した人が、今も生きている。
それを願って戻ってきたはずだった。
生きていてくれれば、それでいい。今度こそ二十歳を越えて、その先の季節をいくつも迎えてくれれば、自分はその未来のどこにもいなくていい。そう思っていたし、何度もそう言い聞かせてきた。
なのに、生きている彼を目の前にした途端、それだけでは足りなくなる。
声を聞けたことが嬉しい。こうして立っていることが嬉しい。明日も明後日も、この人が生きているのだと思うだけで、泣きたくなるほど嬉しい。
そのくせ、胸の奥では、もっと欲しいと願ってしまう。
壇上に立つ彼を見ているうちに、その隣へ立っていた頃の自分まで思い出した。
もう、そこは自分の場所ではない。
初めから、エリオスの隣には、彼にふさわしい人が立つべきだった。今度の世界では、自分は決してそこへ行かない。それで彼が生きられるのなら、恋も未来も、婚約者の座も手放すと決めた。
それなのに、あの声は昔と同じだった。
自分の名を呼んでくれた声も、笑いながら話しかけてくれた声も、未来のことを一緒に話した声も、全部あの声だった。
もう、自分に向けられるものではない。
分かっている。
分かっているのに、声を聞くたび、抑えたはずの願いが胸の奥から浮かび上がってくる。
隣にいたい。
触れたい。名前を呼んでほしい。
もう一度、一緒に生きたい。
そこまで浮かんで、胸が痛んだ。
生きていてくれれば、それだけでいいはずだったのに。
リリアナは膝の上で拳を握った。掌へ食い込む爪の痛みに意識を向け、自分が何のためにここへ来たのかを思い出す。
エリオスを生かすためだ。
そのために、自分から近づくと決めた。彼の隣を取り戻すためではない。この人が今度こそ生き続けられるように、前の世界では分からなかったものを突き止めるために、ここへ来た。
それだけでいい。
今度こそ、本当にそれだけでいい。
胸にあふれかけた思いを押し戻した。消えたわけではない。消せるはずもない。ただ、その思いを抱えたまま、新入生の一人として壇上のエリオスを見つめた。
やがて式が終わり、大講堂に拍手が広がった。リリアナも周囲に合わせて立ち上がった。
アストレア王立学院高等部は、王都中央区から離れた丘の上に建つ、王族と貴族の子弟のための教育機関である。この国で学院といえば、ほかの名を添えなくてもここを指した。
単に学問を修める場所ではない。学院で築かれた関係は、卒業後の王宮や領地経営にも持ち込まれる。同級生が将来の同僚となり、盟友となり、ときには政敵にもなる。この国を動かす者の多くが学院を通り、ここで得たつながりを保ったまま、それぞれの立場へ進んでいった。
学生は歴史、法、神学、外交、戦略、古典など、国を担う者に必要な科目を共通して学ぶ。その後、将来の進路に応じて、統治学、法政、財政、民政、軍略の五つの課程に分かれる。
王族や王宮の中枢を目指す者が多い統治学課程には、エリオスとノアが属していた。
リリアナが選んだ民政課程では、地方行政、流通、都市管理、医療、災害対応、人口統計などを学ぶ。王権の中枢から国の行く先を決めるのではなく、人と物が滞らず動き、人々の暮らしが続いていく仕組みを支えるための学問だった。
立つ場所は、初めから違っている。
学院はまた、家と家の縁を結ぶ場所でもあった。十六歳を迎える頃には社交界での交流も増え、将来の婚約相手を探す家も多い。中等部には通わず、高等部から入学する令嬢が珍しくないのも、そのためである。
北棟のさらに奥には、王宮研究官が管理する研究棟があった。王国史料や古文書、地誌、統計資料、医療制度、旧法令などが保管され、薬理や植物学の実証研究を行う区画も設けられている。
許可を得た学生は、資料整理や統計の補助、標本管理などを通じて研究に関わることができる。そして、その許可に深く関わるのが生徒会だった。
生徒会は学院の自治を担うと同時に、王宮との正式な連絡窓口でもある。規律や行事、外部交流に加え、研究棟へ入る学生の審査にも携わっていた。役員の名は学院の記録に残り、卒業後の進路にも大きく影響する。
かつて生徒会に名を連ねた者の多くが、のちに王宮や行政機関、国家事業の中枢へ進んでいる。
そして、その頂点に立つ生徒会長こそ、王太子エリオスだった。




