第1話 光が消えた日(3)
神殿は、静かだった。
静かすぎて、
世界が音を失ったみたいだった。
棺の中で、
エリオスは眠っているように見えた。
光を受けて、
金色の髪はやわらかく、
伏せられたまつげの影が、頬に落ちている。
——起きて。
そう言いかけて、
リリアナは喉の奥で言葉を止めた。
何度呼んでも、
返ってこないことを、
もう知っている。
胸の奥が、
ぽっかりと空いた。
泣けなかった。
涙は、出なかった。
代わりに、
思い出だけが、次々と浮かぶ。
リリアナは、百合の花を手に取った。
白い花弁を、そっと棺の縁に置く。
その向こうに、
金色の髪がある。
動かないまま、
静かに横たわるエリオス。
「……リリーの花だね」
幼いころに聞いた声だった。
少し照れたようで、
それでも当たり前のことのように言った、あの声。
その声でその名前を呼ばれるたび、
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
忘れられるはずがない。
一つも。
彼女は、
エリオスの頬に、そっと触れた。
冷たい。
生きている人の温度では、
もうなかった。
それでも、
手を引くことができなかった。
自分の体から
生きる意味が、
音もなく抜け落ちていく感覚があった。
世界は続いている。
朝は来て、
人は歩き、
王国は回る。
でも。
自分が、
ここに立っている理由だけが、
見えなくなった。
——生きていて。
声にはならなかった。
祈りでも、願いでもない。
ただ、
彼がそこにいたという事実だけが、
すべてだった。
目線が、
無意識に自分の手元へ落ちる。
指輪が、あった。
飾り気のない、小さな輪。
幼いころ、二人で見つけたもの。
縋るように、
互いの指に通した。
それは、
幼い頃に交わした、
たしかな約束の指輪だった。
エリオスと一緒に生きる未来を、
疑いもしなかった頃の。
そこにあることだけが、
変わらなかった。
リリアナは、指輪に触れた。
冷たいはずなのに、
なぜか、そこだけが
現実とつながっている気がした。
胸の奥に、
ひとつの考えが浮かぶ。
――迷信だ。
王家に伝わる、古い話。
時を戻す指輪。
失ったものを取り戻す奇跡。
誰も、本気にはしていない。
祈りの延長のような、
都合のいい昔話。
リリアナ自身も、
信じていたわけじゃない。
それでも。
ここで、
何もしなかったら。
このまま、
すべてが終わってしまう気がした。
リリアナは、
指輪を握る。
強く。
祈るようでもなく、
願うようでもなく。
ただ、
逃げ道を探すみたいに。
——お願いだから。
声には、ならなかった。
言葉にも、ならなかった。
ただ、
世界が、少しだけ揺れた。
光は、走らなかった。
風も、吹かなかった。
視界だけが、白く滲んでいく。
祈りの声が遠のく。
石の冷たさが、消える。
最後に見えたのは、
棺の中のエリオスの顔だった。
リリアナは、
目を閉じた。




