第14話 進路(2)
夕食後、叔父の書斎へ入ると、レオンも部屋の奥のソファに座っていた。叔父は机に向かって書類を読んでおり、リリアナが来ても、すぐには手を止めなかった。
「学院、まだ迷ってるのか?」
先に声をかけたのはレオンだった。
「願書の締め切り、三日後だぞ。中等部には行きたがらなかったよな。まあ、家庭教師なら興味のある分野を先まで学べたし、あれはあれでリリアナに合っていたと思う。でも、高等部は別だ。勉強だけじゃなく、縁を作る場所でもある」
レオン自身も商会の仕事を手伝いながら、前年に学院を卒業している。そこで知り合った者たちとのつながりは今も続き、侯爵家や商会の仕事にも役立っていた。
「顔と名前を知っているだけで通る話もある。侯爵家の人間としても、無視できない縁だ。商会はもう回ってるし、お前が手を入れたところも、ちゃんと動いてる。だから、いつまでも屋敷の中に籠もってないで外へ出ろ」
リリアナが黙っていると、レオンは眉を寄せた。
「何をそんなに躊躇ってるんだ?」
学院へ行けば、エリオスに近づくことになる。そのことを恐れているとは、口に出せなかった。
叔父が書類を置いた。
「図書館の特別資料閲覧室」
思いがけずその言葉を出され、リリアナは叔父を見た。
「入室の許可が欲しいと言ったのはお前だ。私が口添えした。何を調べているのかまでは聞かん。だが、高等部へ進める年になったのなら、貴族として外に立つ場所を持て。屋敷の中で学べることだけが、すべてではない」
叔父は椅子に背を預け、リリアナを見た。
「離れているから見えることもある。近くにいなければ拾えないものもある。どちらが必要かは、自分で決めろ」
叔父が何を知っているのかは分からない。誰のことを考えて迷っているのか、すべて見抜かれているとも思えなかった。けれど、図書館へ頻繁に通う自分を止めなかったように、今回も道を塞ぐつもりはないのだろう。
「また難しい顔してる」
レオンが、手元にあった銀色の丸い缶をひょいと投げる。
「どうせ、もう答えは出てるんだろ?」
リリアナは両手で受け止めた。手のひらに、慣れた重みが収まる。
叔父は再び書類へ目を戻し、レオンも返事を急かさなかった。
書斎を出たリリアナは、自室の机に丸い缶を置き、引き出しを開けた。願書は、前にしまったときのまま入っている。その下には、綴じ紐のついた紙束があった。
願書へ伸ばしかけた手が止まり、先に紙束を取り出す。
灯りの下で頁をめくっているうちに、前の世界でエリオスと過ごした生徒会室が蘇った。
長机にはいつも書類が積み上がり、夜になっても灯りが消えなかった。会長席に座るエリオスは、誰よりも早く決断し、誰よりも遅く席を立った。引き受けられる役目を見つけるたびに自分の肩へ載せていくのに、重いとは決して口にしなかった。
少しでも、その重さを分けてほしかった。できることなら、自分にも背負わせてほしかった。
王太子だからではない。あの人を支えたかったのだ。
けれど、今度は自分でなくてもよいのだと考えてきた。ノアがいる。サラもいる。エリオスのそばには、彼を支えてくれる人がほかにもいる。
手元の紙束には、前の世界で起きた出来事が日付順に記されていた。誕生祭での襲撃。遠乗りの前に、白馬が右の後脚をかばっていた日。式典会場で緩んでいた装飾の留め具。演習用の刃に見つかった不備。同じ時期に重ねて処方されていた薬。どれも、何か一つずれていれば取り返しのつかない事態になっていた。
エリオスは、何度も危うい場所に立っていた。偶然と呼ぶには、あまりに重なりすぎている。
リリアナは前の世界の記憶を頼りに日付を記し、噂を拾い、関係者の話を確かめてきた。人員を替え、手順を変え、必要な手配を早めることで、姿を見せずに防げたこともある。だから、近づかなくても守れると思おうとしていた。
自分が災いを呼ぶのではないかという恐れを、捨てきれなかったからでもある。
机の脇に置かれた鏡には、灰色の髪と淡い色の瞳が映っていた。母を死なせた色、不幸を呼ぶ色だと、幼い頃から何度も言われてきた。
けれど、エリオスはこの色を不吉だと言ったことがない。髪も瞳も、リリアナの一部として受け止めてくれた。
それでも、自分がそばにいることで彼に災いが及ぶのなら、離れている方がよいと思っていた。
だが、王太子の早死は、リリアナが生まれるよりはるか昔から繰り返されている。第一王子にだけ起きる何かが本当にあるのなら、距離を取るだけで防げるはずがない。
紙束には、学院で起きた出来事も記されていた。当時はそれぞれ別の事故にしか見えなかった小さな異変が、今なら同じ何かの兆しだったのではないかと思える。その積み重ねの先に、あの人の死があったとしたら。
これまでは、目の前に現れた危険を一つずつ防ぐことしかできなかった。その奥で何が起きているのかまでは、理解していなかった。
足りなかったのは、距離ではなく、理解だ。
何が始まりで、何が重なり、あの結末へつながったのか。今度こそ、それを突き止めなければならない。
遠くから見守るだけでは足りない。
エリオスを生かすために、今度は自分から近づく。
記入した願書は翌朝、家令に渡した。迷いが消えたわけではない。それでも、一度決めた答えを変えるつもりはなかった。
その夜、リリアナは叔父の書斎へ呼ばれた。叔父は机に帳面を広げたまま、入ってきた彼女へ一冊の案内書を差し出した。
「高等部は課程が分かれる。統治、法、財政、民政、軍略だ」
案内書には、各課程で学ぶ内容が細かく記されていた。
「民政を選ぶつもりか」
「はい」
「徴税、物流、人口、物価、労働。国の腹を扱う課程だ。国は理念だけでは回らん。人と物と金が動いて、初めて回る」
叔父は机の端に積まれていた別の書類を引き寄せた。
「アルヴェイン公爵家の鉄路計画についても、すでに聞いているな」
「婚約が早められた理由も、その計画にあると聞いています」
本来なら、エリオスとサラの婚約は卒業後でもよかった。だが、事業の承認と資金の確保を急ぐ必要が生じ、計画が始まる前に王家の後ろ盾を明確にすることになった。
「王家の名がつけば、人も金も早く集まる。事業を進めるには有利だが、一度走り出せば、問題が見つかっても止めにくくなる」
叔父は鉄路計画に関する書類をリリアナの前へ置いた。
「来週からは神殿との打ち合わせに、贈答品の手配、両家との調整も始まる。表には出ない仕事が増えるだろう」
商会もすでに、その準備に関わり始めているらしい。
「目を通しておけ」
リリアナは書類を受け取った。
「学院へ行っても、人と物と金がどう動くかを見ろ。表向きの説明だけで判断するな」
「はい」
書斎を出たリリアナは、渡された書類を抱えたまま商会の帳場へ向かった。
その日から、帳場の灯りは以前より遅くまで残るようになった。




