第14話 進路(1)
あれから数日、特別資料閲覧室の机には、連日同じ種類の資料が積み上がっていた。
年代記、編年史、王太子任命記録、葬送記録、事故報告の抜粋、側近の交代記録、喪中布告、弔問記録。二人は第十代から現在の第二十八代までを順に調べ、王太子に関係する箇所を抜き出しては、別の記録と照らし合わせていた。
あの日、途中で閉じた頁の先まで、すでに一通り目を通している。必要な書類は残されており、形式の上では大きな欠落もない。けれど、調べるほど、机上の控えには無視できない数字が増えていった。
「……やはり、王太子の早死が目立つ」
ノアの言葉を受け、リリアナは第二十五代国王の記録を開いた。
第一王子は七歳で王太子となり、五年後、十二歳で急死している。記述は数行しかなく、亡くなるまでの経過も原因も残されていなかった。
リリアナは一覧に一行を書き加えた。
第二十五代国王の第一王子――十二歳、急死。原因の記録なし。
次に確かめたのは、第二十七代国王の記録だった。エリオスとノアの祖父にあたる人物である。
祖父は七歳で王太子となったあと、父王から王位を継ぎ、六十五歳で亡くなるまで長く国を治めていた。少なくとも正式な記録を読む限り、王太子だった時期にも大きな異変は見当たらない。
「祖父のように、長く生きた者もいる」
ノアは同じ時代の継承記録を開いた。
「だが、王になる前に亡くなった者が多すぎる」
第二十七代国王の第一王子、つまり現在の国王の兄も、その一人だった。
本来なら祖父のあとを継ぐはずだったが、七歳で王太子となった十年後、十七歳で病死している。そのため、第二王子だった現在の国王が新たな王太子となり、のちに王位を継いだ。
リリアナは最後の一行を書いた。
第二十七代国王の第一王子――十七歳、病死。病名の記録なし。
十三歳。七歳。十六歳。九歳。十九歳。十二歳。十七歳。
紙の上には、七人の年齢が並んでいた。全員が二十歳を迎える前に、王太子のまま亡くなっている。
「第十代から第二十八代までの十九代のうち、名授けを終えて王太子となり、即位前に亡くなった者が七人」
リリアナは一覧を上から確かめた。
「王宮編纂室の正式な記録に残されているだけでも、これだけいます」
「全員が第一王子で、二十歳未満だ。十九代のうち七人。三人に一人を超えている」
無事に王位を継ぎ、長く生きた第一王子の方が多い。それでも、七人という数を偶然だけで片づけるには多すぎた。
「第一王子ばかりだ」
ノアは事故報告と葬送記録を、もう一度開いた。
急死、病死、事故死。落馬についてわずかな記録が残る一例を除けば、何が起き、どのような経過をたどって亡くなったのかは書かれていない。
王太子が死んだという結果は残っている。それなのに、そこへ至った理由だけが抜け落ちていた。
「……原因がない」
この数日、二人が探し続けていたのは、その部分だった。
病に倒れる前に兆しはなかったのか。事故の前後に、王宮内で何が変わったのか。護衛の交代や薬の搬入、馬の処分といった断片は残っている。それなのに、それらが王太子の死とどう関係していたのかを示す記録が見つからない。
リリアナは控えの端に、「原因、未記載」と書き添えた。
今は説明できない違和感でも、書き残しておけば、別の資料と結びつくかもしれない。思い込みで断定することは避けながらも、気づいたことは消さずに残しておきたかった。
そこで、以前薬師から聞いた話を思い出した。
「王家に関わる古い記録について、以前聞いたことがあります」
ノアが顔を上げる。
「王宮に残されたものもあれば、外へ出されたものや、研究資料として学びの場へ移されたものもある、と」
「王宮書庫は俺が調べた。王太子に関わるものは、辿れる限り見ている」
「でも、原因に触れたものはなかった」
「ああ。王立図書館にも残っていないなら、次に探すべきなのは、王宮の外へ移された記録か、学術資料として保管されたものだ」
ノアは移管目録の置かれた棚から一冊を取り出し、頁を繰った。
宮廷医局や王宮内の各部署で使われなくなった資料の一部は、保存期間を終えると王立学院へ移される。王族の名を表に出せない記録であっても、医学や薬学、事故防止の事例として残されている場合があった。
やがて、ノアの指が一つの移管先で止まった。
「……王立学院の研究棟」
そのまま該当する資料名を追っていく。
「編纂室を通していない記録があるかもしれない。宮廷医や研究者が、症例や研究の控えとして残したものなら、死に至る前の経過も書かれている可能性がある」
ノアは移管目録を閉じた。
「ここで調べられるのは、これが限界だな」
王太子が若くして亡くなった事実は残されている。けれど、何が彼らの命を奪ったのかを知るための記録は、王宮にも王立図書館にも見つからなかった。
二人が閲覧室を出る頃には、廊下に夕刻の光が差し込んでいた。並んで歩きながら、ノアは先ほど見つけた研究棟の話を続けた。
「研究棟の資料を調べるなら、学院に籍があった方が申請は通りやすい」
それから何歩か進んだところで、ふと尋ねる。
「……高等部へは、どうする?」
リリアナは答えられなかった。
数日前に家令から渡された願書は、自室の机の引き出しにしまったままだ。締め切りは三日後に迫っている。
王立学院への進学は、中等部も高等部も義務ではない。貴族の子どもであっても、屋敷で家庭教師から学ぶ者は多かった。
令嬢の多くは必要な教育を自宅で受け、そのまま社交界へ出る。王宮勤めや領地経営を考える者、他家とのつながりを広げたい者が高等部へ進むため、中等部には通わず、高等部から入学する令嬢も珍しくなかった。
「君が中等部にいれば、よかったのにな」
ノアは前を向いたまま、独り言のように言った。
ノアは、人を喜ばせるために思ってもいないことを口にする人ではない。その一言が思いのほか嬉しくて、リリアナはかえって何も返せなかった。
「高等部から入る令嬢も多い。君が来れば、授業の議論も面白くなる。退屈はしないと思う」
前の世界では、リリアナは王太子妃候補として幼い頃に王宮へ連れてこられ、そのまま王太子妃教育を受けることになった。王族と同じ課程を学ぶ必要があったため、中等部から学院へ通っていた。
授業の合間や放課後には、ノアと並んで本を読むことが多かった。
ある日、二人で読んでいたのは、病に倒れた婚約者を救おうとする娘の物語だった。
娘は歌うことを何より愛し、いつか多くの人の前で歌うことを夢見ていた。婚約者も、その弟も、彼女の歌声が好きだった。
病を治せるのは森に住む魔女だけだったが、薬と引き換えに、娘の声を差し出すよう求めた。魔女の家までの道を知っているのは、婚約者の弟だけだった。
「娘が自分で声を渡すと決めたのなら、弟は森へ連れていくべきだと思う」
読み終えたリリアナが言うと、ノアは本から顔を上げた。
「二度と歌えなくなっても?」
「それでも、婚約者を助けたいのでしょう?」
「決めたのは娘でも、連れていくのは弟だ」
「連れていかなければ、お兄さんが死ぬかもしれないわ」
「だから困るんだろ」
「ノアなら、どうするの?」
「娘を止めて、ほかの方法を探す」
「見つからなかったら?」
「期限ぎりぎりまで探す」
「それでも見つからなかったら?」
ノアは最後の頁へ目を落とした。
「……連れていくと思う」
「では、それでいいじゃない」
「よくはない。兄は、自分のために娘が声を失ったと知ることになる。弟だって、好きだった声を自分が奪わせたことになる」
「それでも、生きていてくれる方がいいと思う」
「兄が同じように思うとは限らない」
リリアナは本の中の娘へ目を戻した。
「私が娘なら、それでも連れていってほしいわ」
「君なら、そう言うと思った」
「本当に、頑固なんだから」
「リリアナに言われたくない」
結局、二人の意見が同じになることはなかった。
読み終えたあとは、心に残った場面を見せ合った。
「私は、娘が迷わず森へ入っていくところが好き」
「俺は、弟が最後までほかの道を探そうとしていたところだな」
同じ物語を読んでも、二人の心に残るところは違った。ノアの言葉を聞いて、初めて気づく一節もある。どちらかが相手を言い負かすこともなく、違うまま話せる時間を、リリアナは好んでいた。
今のノアは、あの頃のことを覚えていない。それでも、図書館で物語の感想を交わすうち、二人の間には前の世界とよく似た時間が生まれていた。
「俺も、これから忙しくなる」
ノアの声で、リリアナは廊下へ意識を戻した。
「王子教育もあるし、高等部へ進む準備もしなければならない。今までほど図書館には来られないと思う。王宮に残る資料は、もう少し俺が調べておく」
間を置いて、ノアは続けた。
「生徒会に入れば、研究棟の閲覧許可も取りやすい」
「生徒会に入るのですか」
「ああ。来年の生徒会長は兄上だからな」
エリオスの名が出た途端、高等部へ進むという選択が急に現実味を帯びた。
学院へ入れば、エリオスと同じ場所で過ごすことになる。近づかないと決めた人を、これまでのように遠くから見守るだけではいられない。
ノアはそれを見る。横目に、ほんの一瞬だけ。
「……俺も、いる」
小さく、付け足すように。それ以上は言わない。
廊下の先に、薄く夜が落ちる。
「学院で」
短い。未来を置く声だった。
リリアナは返事をしなかった。ノアも答えを求めず、図書館の玄関まで隣を歩いた。
帰りの馬車に揺られている間も、その言葉は耳に残っていた。




