第7話 誕生祭(2)
リリアナは、髪を低い位置で束ねた。
外套の内側に収まるよう、
きつく。
古い布の服。
色を落としただけの、
どこにでもある格好。
鏡の前で、
手を止める。
布の影に隠れ、
輪郭が曖昧になる。
年の頃は分かる。
それでも、
人目には残りにくい。
フードを深く引き、
額から頬の線を落とす。
視線が合わない高さまで、
影を下ろす。
それだけで、
「誰か」から、
「どこにでもいる人」へ変わる。
これなら、
人の流れに紛れる。
――でも。
目だけは、
隠せなかった。
淡い色。
昔から、
よく言われる。
薄い、とか。
変わってる、とか。
リリアナ自身には、
ただの灰色にしか見えない。
光を受けると、
その時だけ、
わずかに色が揺れる。
ほんの一瞬、
奥に、
光が差した気がした。
気のせいみたいに。
瞬きをすると、
もう何も残っていない。
リリアナは、
目を逸らした。
布を深くかぶり直す。
これで、大丈夫。
誰にも、分からない。
戸を開ける。
家の中は、
変わらず静かだった。
自分がいなくなっても、
何も変わらない場所。
外へ出ると、
誕生祭の空気が広がっていた。
旗が揺れ、
笑い声が流れ、
石畳が足音で震えている。
人の流れに紛れ、
歩き出す。
王宮前広場へ。
広場は、人であふれていた。
中央の高い壇上に、
王太子が立っている。
金の刺繍。
深い色の外套。
光を受けて、静かに揺れる髪。
遠くからでも分かる。
――エリオスだ。
周囲の人々は、
口々に名を呼ぶ。
王太子。
殿下。
未来の王。
けれど。
リリアナだけは、
ただ、同じ名前を心の中で呼ぶ。
エリオス。
胸の奥が、
強く熱を持つ。
息をするたび、
そこがきしむ。
生きている。
それだけで、
胸の奥がほどけていく。
近づかない。
声もかけない。
人の流れの端で、
立ち止まる。
歓声が上がるたび、
身体が揺れる。
でも、
目だけは逸らさない。
壇上の彼は、
手を振るわけでもなく、
笑うわけでもなく、
ただ静かに立っている。
それでも、
誰もが彼を見ている。
王太子としてのエリオス。
ずっと見てきた姿なのに、
遠い。
ほんの一瞬だけ。
彼の視線が、
人の流れの端をなぞる。
すぐに戻る。
気のせいみたいに。
リリアナは、
息を止めていたことに気づいて、
ゆっくり吐き出した。
――大丈夫。
胸の奥で、
小さく言い聞かせる。
今日も、
生きている。
それだけで、
いい。
やがて、
お披露目は終わり、
人の流れが崩れていく。
人々は市場へ向かい、
笑い声が広がっていく。
リリアナは、
その場を離れた。
帰るためではない。
――お誕生日、おめでとう。
心の中で、
小さく言った。
通りを抜け、
露店の並びの外れへ出る。
焼き菓子の屋台が、
昼のうちからもう出ている。
蜂蜜の匂いが、
風に乗って流れてくる。
人気の店らしく、
人がいくらか集まっていた。
リリアナの視線が、
ほんの一瞬だけそこへ触れる。
すぐに逸らし、
足を止めることなく通り過ぎた。
賑わいは、
背中の方へ離れていく。
一本奥の道へ入る。
――あの場所。
確かめに行くつもりで、
ここまで来た。
胸の奥の不安が、
消えなかったから。
石畳の色。
建物の影。
曲がり角の位置。
人づてに聞いた断片を、
辿るように。
祝祭の夜。
人混み。
刃。
血。
――エリオスが、
倒れた場所。
路地の手前で、
足が止まる。
人通りは、
大通りに比べれば、
かなり少ない。
遠くの喧騒が、
薄く届く。
胸が、
一度だけ強く打つ。
今回は違う。
私は離れている。
近づかない。
何も望んでいない。
だから、
きっと大丈夫。
そう思っているのに、
足は動かなかった。
視線だけが、
路地の奥へ向く。
影が濃い。
空が細い。
その静けさの中で、
リリアナは、
息を潜めた。
――来ないはず。
そう思いながら。
それでも、
目を離せなかった。




