第13話 協働(2)
机の中央には、王太子任命記録、葬送に関する布告、事故報告、側近の交代名簿が並んでいた。
アストレア王国では、第一王子は七歳の名授けを終えた日に王太子となる。父王の在位が長ければ、そのまま十数年、二十年以上を王太子として過ごすこともある。即位した者の記録は、任命された日から王位を継ぐまで途切れず残っていた。
だが、何人かは王太子の名のまま記録が終わり、その後の継承者が弟や王弟へ変わっている。
ノアは国王の在位記録を確かめ、一つの年を指で押さえた。
「この人物の記録が途切れたとき、父王はまだ在位している」
王太子が亡くなったあとも、父王はさらに十五年国を治めていた。その死後、王位を継いだのは第二王子だった。
「王太子のまま亡くなった、ということですね」
「ああ。父王から王位を継ぐ前に」
二人は、記録の書式が揃っている第十代以降に範囲を絞った。それ以前の資料には後世に書き写されたものが多く、年齢や日付に食い違いがあったからだ。
第十代国王の第一王子は、七歳で王太子となり、六年後に亡くなっていた。葬送の記録には発熱のあと息を引き取ったとあるが、病名も治療の経過も残っていない。
リリアナは紙の一行目に書き込んだ。
第十代――十三歳、病死。病名の記録なし。
続いて、第十三代国王の第一王子を調べる。名授けを終えた直後、乗っていた馬が転倒し、七歳で亡くなっていた。
「事故報告はありますか」
「見つからない。残っているのは葬送の記録と、厩務方が馬を処分した記録だけだ」
リリアナは二行目に書き加えた。
第十三代――七歳、落馬事故死。事故報告なし。
第十七代国王の第一王子は、王太子となってから九年後、十六歳で事故死していた。事故が起きた場所も、同行していた者の名も書かれていない。
第十七代――十六歳、事故死。詳細の記録なし。
第十九代国王の第一王子は、王太子となって二年後、九歳で急死している。原因についての記述はなかった。
第十九代――九歳、急死。原因の記録なし。
第二十三代国王の第一王子は、十九歳で病死していた。こちらも病名は残されていない。
第二十三代――十九歳、病死。病名の記録なし。
紙の上に、五人の年齢が並んだ。
十三歳。七歳。十六歳。九歳。十九歳。
死因は病と事故に分かれ、亡くなった年齢にも規則は見つからない。
ただ、五人とも二十歳を迎えていなかった。
リリアナの筆が止まる。
二十歳。
前の世界のエリオスも、二十歳の誕生祭を迎える前に倒れた。
原因の分からない熱が続き、侍医が薬を替えても回復しなかった。前日まで言葉を交わしていたのに、翌朝には息をしていなかった。
あの日、冷たくなった手を握り、もう一度だけ名前を呼んでほしいと願った。それでも、エリオスの目は開かなかった。
紙の上に並ぶ年齢が、その記憶と重なった。
第十代以降の王太子のうち、父王から王位を継いだ者の方が多い。五人の例だけで、王太子が二十歳までに必ず亡くなるとは言えない。
それでも、病名も事故の詳細も残されないまま、同じ立場の者が五人も若くして命を落としている。
ノアも一覧から目を離さなかった。
現在の王太子は、兄のエリオスだ。七歳で王太子となり、やがて父王から王位を継ぐ。紙の上に名の並ぶ者たちと、同じ立場にいる。
「即位した王太子についても、二十歳前後の記録を調べたいです」
リリアナは声を抑えて続けた。
「本人が亡くなっていなくても、近くにいた者が傷を負っているかもしれません」
薬師から渡された紙束には、先代王の周囲にいた者たちの傷が記されていた。刃を受けた者、落下する王を支えた者、事故に巻き込まれた護衛。王族が助かった陰で、そばにいた者が代わりに傷を負った例もあるのかもしれない。
ノアは次の年代記へ手を伸ばしかけ、向かいに座るリリアナを見た。
顔から血の気が引いている。筆を握る指に力が入り、白くなった指先が紙の上で止まっていた。
彼女がなぜ王太子の記録にこだわるのか、ノアには分からない。
けれど、二十歳という数字を見た瞬間、誰を思い浮かべたのかは分かった。ノア自身も、同じ人物を考えていた。
彼は開いていた本を閉じた。
「今日はここまでにしよう」
「まだ調べられます」
「今続けても、見落としが増える」
リリアナは筆を置かなかった。
ノアは机の中央にあった一覧を裏返す。
「続きは次にする」
しばらくして、リリアナは筆から手を離した。
二人で使った本を棚へ戻し、書き写した控えをまとめる。最後にノアが、裏返した一覧をほかの紙の間に挟んだ。
閲覧室を出ると、廊下は夕暮れの色に染まっていた。窓から差し込む橙色の光が、二人の影を長く床へ落としている。
二十歳を迎える前に亡くなった王太子が複数いた。
分かったのは、まだそれだけだ。何が彼らの命を奪ったのかも、エリオスに同じことが起きるのかも分からない。
それでも、紙に並んだ五人の年齢は頭から離れなかった。
二人は言葉を交わさず、一般書架へ続く廊下を歩いた。
書架の角を曲がったところで、リリアナの足が止まる。
窓際の低い棚には、子ども向けの本が並んでいた。何冊かは表紙を見せるように置かれ、その中央に、この国では誰もが知る童話がある。
『王と聖女と、時の指輪』
リリアナは手に取らず、表紙を見つめた。
王と白い衣をまとった聖女。その二人から離れた場所に、灰色の髪の女が描かれている。
物語の中で名を与えられず、ただ魔女と呼ばれる女だった。聖女の場所を奪い、王を呪い殺し、時を戻した王と聖女によって最後には退治される。
「……ノア殿下」
リリアナは本へ目を向けたまま、口を開いた。
「一緒にいるだけで、不幸を呼ぶ存在はいると思いますか」
突然の問いに、ノアも足を止めた。
「何の話だ」
「……伝承や物語には、そばにいる者へ災いを招く存在が描かれます。この物語の魔女も、そうです」
ノアは表紙の端に描かれた女を見た。
「伝承は伝承だ」
答えは早かった。
「この目で見ていないものは信じない。見たものと、確かめた事実で判断する」
リリアナがノアを見る。
「病や事故には原因がある。偶然を物語に結びつけるのは、人間の習性だ。髪の色や生まれだけで、誰かが災いを呼ぶと決める理由にはならない」
「……そうですね」
リリアナは小さく頷いた。
「今日は、ありがとうございました。では、失礼します」
礼をすると、そのまま出口へ向かって歩き出す。灰色の髪が扉の向こうへ消えるまで、ノアはその背中を見送った。
あの問いは、物語の話ではなかったのかもしれない。
自分が誰かのそばにいるだけで、その相手を不幸にするのではないか。
リリアナは、自分自身のことを尋ねていたのではないか。
そう思ったが、確かめることはできなかった。
ノアは棚へ目を戻した。
『王と聖女と、時の指輪』
灰色の髪の魔女が、表紙の端に描かれている。名はなく、物語の中でも魔女としか呼ばれない。
ノアは本を棚から取り出し、抱えていた資料の上へ重ねた。
借りるつもりはなかった。




