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第6話 それぞれの場所で (4)エリオス

王宮の廊下は、少しだけ騒がしかった。

布を運ぶ音。

靴音。

控えめな声で交わされる指示。


誕生祭が近い。

それだけで、城の空気は変わる。


エリオスは、

窓際に寄りかかるように立っていた。


外では、

庭師たちが花の配置を調整している。

まだ完成していない。

けれど、

もう「祝う日」の形をしていた。


「……兄上」


声がした。

振り返らなくても分かる。


「ノア」


七歳の弟は、

まだ大人の歩き方を知らない。

足音を隠せない。

軽い。

速い。

すぐ横に並ぶ。


窓枠に肘をかけ、

つま先を少し浮かせる。


「逃げてる」


「逃げてないよ」


「逃げてる顔」


エリオスは、少しだけ笑う。


「顔で分かる?」


「分かる」

即答だった。


「兄上の、嫌なときの顔」


兄上。

人前での呼び方。

でも今は、二人きりだ。


「……エリオス、でいいよ」


ノアが肩をすくめる。


「分かってる」

そして、小さく続ける。


「でも……今は、

兄上って言っといた方がいいかなって」


エリオスは、それ以上突っ込まない。


ノアは、

エリオスのことを「エリオス」と呼ぶ。

少し生意気に見えるくらいに。

けれど、それを咎めたことはない。

むしろ、気に入っている。


距離が、

兄弟のままでいられる呼び方だから。

王太子でも第一王子でもなく。


ノアが、窓の外を見る。


「すごい」


「なにが?」


「人」


庭にも、通路にも、

準備の人間が増えている。


「祝日だからな」


「エリオスの誕生日って、国の行事なんだよね」


「そうなるね」


七歳のときの名授けの儀。


第一王子として公に名を告げられ、

その瞬間から王太子と定められた。


第一王子は、

名授けを受けた時点で王太子になる。


それ以来、

誕生日は毎年、誕生祭として祝われる。


王と王太子の誕生日だけが、

城の内外を挙げて祝われる日になる。


王都全体が、

その日を祝う。


エリオスは、

どこか他人事みたいに言う。


ノアが、窓の外を見たまま言う。


「……逃げ場、なくなっちゃった?」


冗談のようで、冗談じゃない。


エリオスは笑う。


「もともとないよ」


今年で、四回目だ。


ノアが、ちらっとエリオスを見る。


「面倒?」


「まあ」


正直だった。


「逃げたい?」


「逃げないよ」


「逃げればいいのに」


エリオスが笑う。


「父上が怒る」


「それはそうだ」


少しだけ、空気が緩む。


でも、

ノアはそのまま言う。

ぽつりと。


「……そんなに大変なら、

俺が代わってあげてもいいのに」


軽く言ったつもりなのは分かる。

でも、

軽く流せる言葉じゃなかった。


エリオスは、間を置かない。


「馬鹿言うな」


反射だった。

役目の否定じゃない。

兄としての否定。


ノアが、少しだけ目を丸くする。


エリオスは続ける。

ほんの少しだけ、声が低くなる。


「……お前には、背負わせない」


静かだった。

強くも、荒くもない。

ただ、決めている声。


ノアが、一瞬だけ黙る。

冗談を返そうとして、言葉が止まる。


空気が、少しだけ変わる。


エリオスは、そのまま窓の外を見る。

話題を戻すみたいに。


「花、今年は多いな」


逃げるように。


ノアも、それ以上踏み込まない。


「十歳だもん」


「そうだな」


「エリオス、子ども、終わり?」


「終わらないよ」


エリオスが笑う。


「まだ子どもだ」


「そう?」


「うん」


ノアが、じっと見る。


「……でも、王太子だ」


短い言葉。

それが全部。


エリオスは、何も返さない。


代わりに。

無意識に、左手の指に触れる。


中指。

指輪。


いつから、そこにあったのか。

気づいたときには、もうつけていた。

外そうと思ったことも、ない。


理由は、自分でも分からない。


ただ。

そこにあると、落ち着く。


ノアの視線が、そこへ落ちる。


何も言わない。

ただ、少しだけ目を細める。


見慣れた仕草だった。

触れられたくないときの、兄の癖。


だから、何も聞かない。


「衣装合わせ、もうすぐだね」


ノアが言う。


「行く」


エリオスは、体を起こす。

窓から離れる。


背中に向けて、

ノアが言った。


「……逃げてもいいよ」


足が、ほんのわずかに止まる。


「俺、黙っとくから」


衣装合わせのことを言っている。

でも、

それだけじゃない。


エリオスは振り返らない。


「逃げないよ」


短い返事。


歩き出す。


途中で、

もう一度だけ、指に触れる。


癖みたいに。


理由は、やっぱり分からない。


ただ。

そこにあると、

少しだけ、息がしやすかった。

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