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第6話 それぞれの場所で(3)

市場を抜けて、

少しだけ人通りが減ったところで、

叔父が立ち止まった。


振り返りもせず、

持っていた紙袋を差し出す。


「……持て。土産だ」


それだけだった。


リリアナは、

受け取る。


軽い。


けれど、

中で何かが転がる音がした。


甘い匂いが、

かすかに漏れる。


さっき、

店先で聞こえていた声が、

そのまま残っている。


「もうすぐ誕生祭ですね。

 “輪菓子”、今年も焼き上がりましたよ」


「少し気が早いな。

 子どもが楽しみにしてるやつだろ」


「祝福の輪ですからね。

 殿下の誕生を祝って、

 みんなで分けるものです」


叔父が、

前を向いたまま言う。


「誕生祭の試し焼きだと。

 馴染みの店が、

 余った分をよこした」


理由でも、

説明でもない。


ただの事実。


リリアナは、

袋を見下ろす。


紙の端に、

見覚えのある印が押されていた。


市場の奥の、

あの店のものだ。


指先に、

わずかに温もりが残る。


――誕生祭。


心臓が、

強く打った。


一度。


もう一度。


エリオスの、

誕生祭。


十歳の、

誕生日。


祝う日。


人が集まる日。


誰もが、

笑っている日。


――そして。


あの人が、

血に倒れた日。


……私のせいで。


誕生祭の夜。


人混みの中、

刃が走った。


エリオスが、

背を裂かれた。


何が起きたのか、

誰もすぐには分からなかった。


三日間、

高い熱にうなされていた。


背の傷は深く、

あとになっても、

跡が消えることはなかった。


「……心配ないよ」


エリオスは、

そう言って笑った。


まゆげが、

ほんの少しだけ下がる。


困ったような、

心配するような、

いつもの癖。


私が不安そうな顔をするたび、

安心させるように、

同じ言葉をくれた。


それ以上、

心配させるようなことは、

何も言わなかった。


ただ。


雨の日に、

わずかに動きが鈍る背中を見て、


季節の変わり目に、

無意識に肩へ手をやる仕草を見て、


分かった。


古傷は、

消えない。


それを知ったとき、


胸の奥が、

強く軋んだ。


――守れなかった。


そう思った。


本当に別れたのは、

ずっと後。


あの日じゃない。


あの夜は、

終わりじゃなく――

始まりだった。


すべてが、

少しずつ

狂い始めた日の。


そして今回は。


名授けのあと、

エリオスに会っていない。


宮殿からの迎えも、

来なかった。


保護の名目で、

連れて行かれることもなかった。


同じ流れには、

乗っていない。


同じ未来には、

ならないはずだ。


婚約者にも、

ならない。


近づかないと、

決めている。


……だから、

大丈夫なはずだ。


そう、思っている。


思っているのに。


胸の奥の不安だけが、

どうしても、

消えなかった。


袋は、

開けない。


甘い匂いだけが、

残る。


――離れたから、

 大丈夫なはずだ。


そう思い直すたび、


心臓だけが、

落ち着かなかった。


袋を持つ指が、

震える。


落とさないように、

握り直す。


心配なのか、

確かめたいのか。


分かっているのに、

言葉にできないまま、


リリアナは、

歩き続けた。

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