↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/114

第12話 蝕むものの気配(2)

 十四歳になっても、背中に残る違和感は消えていなかった。


 七歳のときに受けた刃の傷は、とうに塞がっている。だが、その跡は黒く変色し、切り裂かれた形のまま禍々しく残っていた。薬を塗っても薄くならず、ときおり身体の奥まで疼く。


 初めは治療のために通っていた薬師のもとへ、今では、この黒い痕と痛みの理由を知るために足を運んでいた。


 その日も、薬師はリリアナの背中を確かめたあと、何もせずに衣服を戻すよう告げた。新たに塗る薬も、施す処置もない。


「……まだ調べているな」


 リリアナは答えなかった。


 薬師も追及せず、椅子から立ち上がった。棚の奥へ腕を伸ばし、紐で束ねた古い紙を取り出す。端が擦れ、ところどころ欠けた紙束を、机の上へ置いた。


「先代王の時代の記録だ。俺が侍医として王宮に上がっていた頃、手元に残せた分だけ控えを取った」


 薬師は紙束に手を置いたまま、リリアナを見た。


「俺が持っているのは、これだけだ。読むなら止めはしない。ただ、知ったあとで、何も知らなかった頃には戻れないぞ」


 リリアナは紙束を受け取った。古い紙を重ねただけのはずなのに、手に載せるとずしりと重かった。


 紐をほどくと、日付や処置の内容、患者の名、その後の経過が細かく記されていた。先代王の周囲にいた護衛、侍女、従者。王族を庇って刃を受けた者、階段や馬から落ちた者、事故に巻き込まれた者。


 起きた出来事はそれぞれ違う。それでも、その後の経過には似た記述が繰り返されていた。


 熱が引かない。傷の塞がりが遅い。痛みが長く残り、治ったあとも古傷が疼く。


 頁を追ううちに、リリアナは書き方にも一定の規則があることに気づいた。項目の順番や余白の取り方が揃い、紙の端には、王宮の記録官が使う小さな印まで写されている。


 個人が残した覚え書きではない。王宮にあった正式な記録を、できるかぎり元の形のまま写したものだった。


 ある頁で、リリアナの手が止まった。


 王族を庇って刃を受けた者について書かれている。傷は背中に残り、塞がったあとも黒く変色していた。痛みは何年経っても消えず、寒さや疲れによって身体の奥から疼いたという。


 刃を受けた場所も、その後の経過も、リリアナの背中に残るものとよく似ている。


 さらに古い記録がないかと紙をめくったが、束はそこで終わっていた。


「これより前の記録は、俺の手元にはない」


 顔を上げると、薬師が続けた。


「先代王より前のものなら、王宮に残っているかもしれない。外へ移されたものや、学びの場に紛れ込んだものもあるだろう。古い記録ほど表には出てこないが、残っているとすれば、そういう場所だ」


 王宮と、学びの場。


 リリアナは、その言葉を胸に刻んでから紙束を閉じた。


 これまで、エリオスの周囲で起きる不幸は、すべて自分が原因だと思っていた。灰色の髪を持つ自分が近づき、関わったために、彼へ災いが及んだのだと。


 けれど、同じような出来事は、リリアナが生まれるよりも前から王家の周囲で繰り返されていた。自分の灰色だけが原因なら、先代王の時代に残された記録には説明がつかない。


 頁に並んでいたのは、王族を守ろうとした者ばかりだった。刃の前へ出た者。落下する身体を受け止めた者。事故に巻き込まれながら、王族を庇った者。


 本来なら王族へ向かうはずだった災いを、そばにいる誰かが代わりに受けているようにも見えた。


 偶然や人の悪意だけでは説明しきれない何かが、長いあいだ王家にまとわりついているのかもしれない。


 それなら、エリオスの死も、自分だけが招いたものではない。


 原因を突き止めることができれば、今度こそ彼を死なせずに済むかもしれない。近づかずに守るのではなく、もしかしたら、前の世界のようにもう一度、あの人のそばに立つこともできるのではないか。


 名前を呼ばれる距離で並んで歩くことも、手を伸ばせば彼に届く場所にいることも、完全に失われたわけではないのかもしれない。


 胸の奥に、押し込めていた願いがかすかに戻ってきた。


 薬師のもとを出たあと、リリアナは叔父を訪ねるため、商会へ立ち寄った。


 奥へ進むと、仕事をしている者たちの間から、普段より明るい声が聞こえてきた。


「王太子殿下と、サラ様の婚約が整ったそうだ」


 書類へ伸ばしていた手が止まった。指先が無意識に左手へ動き、指輪に触れる。


「正式な披露は来年の春らしい」


「それなら、冬のうちに宝飾と布の候補を揃えておいた方がいいな」


「まだ依頼も来ていないぞ」


「王家の祝いだ。話が来てから品を探していたら間に合わない。今すぐ買い付ける必要はないが、仕入れ先の目星くらいはつけておこう」


「菓子や花も、いずれ話が回ってくるだろうな」


「披露の宴に使う品をまとめて揃えられるのは、結局うちくらいだからな」


 紙をめくる音に、祝う声が重なっていく。


「ようやくだな」


「お似合いのお二人だ」


「これで国も落ち着く」


 王太子と、聖女のようだと評判のサラ。


 国の未来を託す相手として、最初から隣に並ぶことが決められていたような二人だった。


 つい先ほどまで胸の中にあった、エリオスのそばに立つ自分の姿が消えた。


 二人の婚約があり得ないと思っていたわけではない。自分から彼の隣には立たないと、ずっと前に決めていたはずだった。


 それでも、自分だけが災いの原因ではないかもしれないと、ほんの一瞬だけ望んでしまった。


 もう一度、あの人のそばへ戻れるかもしれないと。


 その願いに居場所はなかった。


 リリアナは何も言わず、自分の机へ戻った。


 机の端に、銀色の丸い缶が置かれている。


 いつ置かれたのかは分からない。けれど、レオンだと思った。彼は何も尋ねず、こうして菓子や飲み物だけを置いていくことがある。


 叔父の商会が扱っているミルクチョコレートだった。


 幼い頃、自分のために用意されるものは、ほとんどなかった。その中で、叔父がくれた銀色の缶に入ったこの菓子だけは、確かに自分のものだと思えた。


 蓋を開けると、丸いチョコレートがきれいに並んでいる。ひとつ取り、口に含んだ。


 舌の上で、ゆっくりと溶けていく。


 子どもの頃と同じ味だった。


 ……ただ、甘いと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。