第1話 光が消えた日(2)
世界は、何事もなかったかのように続いている。
誰かが歩き、誰かが声を交わし、
夜は、静かに深まっていく。
リリーは、動かなかった。
エリオスの手を握ったまま。
どれくらいの時間が経ったのか、分からない。
長かったのか、
ほんの一瞬だったのかも、思い出せない。
ただ、
離れる理由だけが、見つからなかった。
そのとき、
肩に、そっと重さが触れた。
「……少し、休まれたほうが」
静かな声だった。
心配しているのだと、
あとからなら分かる調子で。
リリーは、返事をしなかった。
返す言葉を、
探そうともしなかった。
肩に置かれた手が、
そのまま背に回る。
促されるまま、足を動かした。
自分で歩いているのか、
導かれているのか、
その違いも、よく分からなかった。
振り返らなかった。
そこに、
何が残っているのか、
考えることが、できなかった。
部屋に戻されても、 何が変わったわけでもない。
椅子に座らされ、 上着を外され、 水を勧められる。
「お休みください」 そう言われた。
誰も、泣けとは言わなかった。
リリーは、ベッドに腰を下ろしたまま、 動かなかった。
泣く理由が、見つからなかった。
怒る理由も、嘆く理由も。
胸の奥は、ただ静かで、重たかった。
どれくらい、そうしていたのか分からない。
夜だったのか、朝だったのかも、
はっきりとは覚えていない。
気づくと、
喪服が運び込まれていた。
王家の格式を守るために整えられた、
婚約者という立場のための装いだった。
黒い布が、静かに広げられる。
誰かが、髪を整え、
淡々と支度を進めていく。
葬儀の準備だと、
説明された気がする。
けれど、その言葉は、
意味として胸に届かなかった。
すべてが、 流れの中で決まっていく。
自分の意思が、 必要とされない場所で。
神殿に入ったとき、 空気が変わった。
香の匂い。
石の冷たさ。
低く響く祈りの声。
そして――棺。
その前に立った瞬間、 初めて、足が止まった。
そこにいる。
動かないまま、横たえられている。
知っているはずの姿なのに、 見慣れた輪郭なのに。
胸の奥が、音を立てて崩れた。
ああ、これは。
これは―― もう、眠っている姿じゃない。
歩み寄ろうとして、すぐにはできなかった。
触れたら、 取り返しがつかない気がした。
名前を呼ぼうとして、 息だけが漏れる。
その瞬間、 ようやく分かってしまった。
——呼びかける前から、
応えは返らないのだと。
ここにあるのは、 「終わったあと」の姿だと。
リリーは、棺の前で、静かに膝を折った。
声は、出なかった。
涙も、まだ落ちなかった。
ただ、胸の奥に沈めていたものが、 ゆっくりと、重さを取り戻していく。
――失ったのだ、と。
ようやく、そこに落ちてきた。




