第7話 誕生祭(1)エリオス
誕生祭の日の、まだ広場の門が開く前の時間だった。
王宮の中庭には、白い朝の光が落ちている。磨かれた石畳に空の色が薄く映り、侍従たちが音を抑えて行き交っていた。衣装係の声、騎士の足音、荷を運ぶ車輪のきしみ。祝う日なのに、始まる前の王宮には、祭りより先に張りつめたものがあった。
エリオスは、黙って立っている。
王太子の正装に腕を通す。布は重い。肩に外套がかかるたび、衣装係の手が襟元や裾を直していく。
「こちらを」
「もう少しだけ」
「大丈夫です」
言葉は丁寧で、どれもよく似ていた。誰もエリオスに無理をさせているわけではない。ただ、十歳の少年を、王太子として人前に立つ姿へ近づけていく。
鏡の前に立たされる。
金の刺繍。深い色の外套。胸元の飾り。
そこに映る姿が、一瞬、自分ではない誰かに見えた。
エリオスは何も言わず、袖口に触れる。ほんの少しだけずれていた布を、指先で直した。
神殿での儀式を終え、王宮へ戻ってから、しばらく時間があった。これから、王宮前広場でのお披露目がある。
扉の外から、声がかかった。
「殿下。時間です」
エリオスは短く頷き、歩き出した。
廊下は、すでに人で満ちている。侍従。騎士。文官。誰もが道を開ける。その間を、エリオスはまっすぐ進んだ。
外に出ると、音が変わる。
遠くから届く人の声。旗の揺れる音。まだ姿を見せていないのに、街はもう王太子を待っていた。
広場へ続く階段の手前で、一瞬だけ足が止まる。誰にも気づかれないほど、ほんのわずかに。
それから、そのまま降りた。
扉が開く。
光と、音と、人の熱が一気に流れ込んでくる。
歓声が上がった。名前が呼ばれる。王太子の名が、何度も。
エリオスは顔を上げ、まっすぐ前を見る。手を振るでもなく、笑うでもなく、ただ、そこに立つ。
それだけで、十分だった。
民の視線が、すべてここへ集まる。祝う声。喜ぶ声。誰もが、王太子を見ている。
その中で、エリオスの視線が、ほんの一瞬だけ群衆の端へ流れた。
すぐに戻す。
広場での進行は、滞りなく続いていく。挨拶。祝辞。拍手。途切れない音。祝われているはずなのに、エリオスの内側だけが妙に静かだった。
やがて、一連の流れが終わる。
広場を離れ、王宮へ戻る途中、低い声が横から落ちた。
「夕刻、街の様子を見ておけ」
王だった。
振り返らないまま、続ける。
「祭りの夜は、民の顔が変わる」
それだけ言って、王は歩みを止めなかった。
命じられたというより、当然の務めを渡されたのだと分かる。王太子なら、見ておくべきもの。知っておくべきもの。そういう意味の言葉だった。
エリオスは、わずかに視線を下げる。
「はい」
答えたときには、王はもう先へ進んでいた。
王宮の扉が閉まる。歓声が遠くなった。
外套を外されると、肩が少し軽くなる。けれど、誕生祭はまだ終わらない。
窓の外では旗が揺れている。屋台の布が風にたなびき、人の流れが少しずつ増えていく。
これから、夜になる。
エリオスは、しばらくそのまま外を見ていた。




